理不尽も受け入れないといけないことがある
いつかの記事で、世界は理不尽というわけではなく、行動しない人が理不尽だと騒いでいるだけだという話をしました。
今日の話は、その記事の補足という形で書いていこうと思います。
もしも見ていないという人がいましたら、先にこれを見てからの方が話が入ってきやすくなると思います。
https://note.com/yoichi_yoichi/n/n054c5510aac9
さて、この記事では何やら偉そうに「理不尽な話はスルーしろ」みたいなことが書かれています。
しかしながらこの話は本当のことで、子供の頃に私たちは「世界は理不尽だ」というアホな理屈を、植え付けられてきました。
この言葉はことあるごとにこのを多用され、主に地位的に優越にたつ者が、そうでない者を従わすための脅迫文句として使われている節があります。
ですが実際のところは世界というものは理不尽ではなく、それら不条理と思えること全ては、行動1つどのようにでもねじ曲げることができます。
必ずしも理不尽に屈することはないということです。
しかしながら、全てをこの理屈で押し通そうとすると、結局のところ社会から干されることになるでしょう。
面白くもない世界を面白くするために理不尽をスルーしてきたのに、そうなってしまっては本末転倒もいいところです。
詰まるところ、「時には理不尽に耐えなけれべいけないこともある」ということです。
こうなると、「『耐るべき理不尽』と、『耐える必要のない理不尽』はどこで判断すればいいんだ?」という疑問が生まれます。
それについて話していきましょう。
耐えるか否か
理不尽と感じた時、それを仕方がないと割り切るか否か迷った時は、自分にとって「有益か」「無益か」で考えてみると整理がつきやすいです
例えば、僕が張重要な書類をパソコンの上に置いていたとします。
そこへアホな上司がやってきて、書類があることに気づかずにコンニャクをパソコンの上に置いてしまいました。
当然大事な書類はコンニャクのせいでベタベタです。
ところが、その上司はアホなので、「こんなところに書類を置いたやつは誰だ!」といい放ちます。
この時誰もがこう思うことだろう。
「いや、お前がコンニャク置いたのが悪いだろ」
しかし、誰もそんなことは口にはせずその代わり出る言葉というのは大抵
「陽一、仕方がないよ、世界はこういうものだ」というものだ
これは本当に仕方がないことなのだろうか?
もしその組織に所属することでキャリアアップが期待でき、多大な報酬が支払われるとして、理不尽を受け入れなければ、このどちらも没収される。みたいなことになれば、受け入れるか否か検討の余地はあるのだが、実際のところ、こんな組織はほんの一握りだ。
今の時代、仕事なんて物は取って捨てるほどあり、わざわざ理不尽を我慢してまでそこにい続ける意味があるとは思えません。
だから、私たちは思考停止に「仕方がない」で済ませるのではなく、自分にとって有益なのか、無益なのか、そこの所の想像力を働かせて選ぶ必要があるんです。
直接的には有益なものに繋がっていないにしても、回り回って自分に帰ってくるものもあります。その辺の流れを読むのも想像力です。
何にしても、考えなくてはならないのは「有益」か「無益」かこの2つで、決して早く生まれたからとか、高い役職だからとか、そんな理由で理不尽を受け入れるべきではないという話です。
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