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侵入調査会社
「あなた浮気したでしょ」
佐久間が家に帰ると、妻はそう言ってボケた白黒写真を差し出した。
「この女、誰ですか?」
今まで聞いたことのない冷え切った声で、よりによってベッドに裸で写っている自分と、その隣の女性を指差した。
「いや、ちょっと落ち着いて話をしよう」
佐久間のその場しのぎの言葉に、妻はさらに冷たい声で言った。
「私は落ち着いてますけど?」
それから2週間後。離婚届けの提出を終えた佐久間は、妻が依頼した調査会社を突き止め、そのオフィスに顔を出していた。
「どういったご用件で」
警戒したような顔の事務所スタッフに、佐久間は静かに話し始めた。
「お宅の調査能力は身を持って体験し、良く理解しています」
相手は表情を変えずに聞いていた。
「今回は、私の方から依頼です。弊社では、現在ライバル会社の取引先に関心を持っています。お宅の調査能力で、相手の会社に忍び込んで、どういった取引先と付き合いがあるのか、調べられないでしょうか」
事務所スタッフは話を聞き終えると、調査を引き受けること、費用は成功報酬で構わないことを告げた。
佐久間の依頼から10日後、先方の調査会社から回答が来た。郵送された封筒には、ライバル会社の応接室らしき場所で、佐久間の会社の優良顧客であり、長年の取引先であるA社と、ライバル社の幹部が握手している場面が写っていた。
「これはすごい」
その調査能力に驚くと同時に、一体どのような方法で盗撮しているのか、疑問を持たずにはいられなかった。自分の浮気写真のときも、部屋に誰もいないのはもちろん、ホテルも信用できる老舗の高級ホテルだったため、どんな手段なのか皆目検討がつかなかったのだ。佐久間は請求書の額を振込処理すると、この疑問を解決すべく、また、いつ自分たちが逆に被害を被るかわからないことから、「調査会社の調査」を別の探偵会社に依頼しようと考えた。
探偵会社に依頼してからしばらくの間、報告はなかった。進捗を訪ねると、先方はだいぶ戸惑った声で、こう言った。
「正直、今回の結果には驚いています。これからご報告いたしますが、場所はどちらをご希望で?」
万一を考慮して、会社には呼ばず、先方の事務所でもなく、とある喫茶店を指定した。
「こちらをご覧ください」
待ち合わせ場所の喫茶店で差し出された写真には、あの調査会社で佐久間と面会したスタッフが、どこかの植え込みの前に屈んでいる様子が写っていた。
「最初は手前どもも、何をしているのかわかりませんでした。しかし、依頼が来たと思われた後、毎回こうやって地面を覗き込み、そこで何かやっているのです」
佐久間は黙って聞いていた。
「そして、彼らが瓶のような容器で、アリ、あの昆虫のアリですが、それを出し入れしているとわかりました」
そしてもう1枚の写真を出した。
「こちらは、別の場所を調査している際の写真です」
見ると、例のスタッフが窓際で何かの入れ物の蓋を開けているシーンだった。
「どうやら、この時は『ハエ』のようです」
まったく意味不明の説明だった。
「で、それらの昆虫が何か関係が?」
佐久間の問いに、探偵会社のスタッフは声をさらにひそめて言った。
「まさか、と思いましがが、盗撮の犯人は、それらの昆虫でした」
説明をまとめるとこうだ。例の調査会社は、昆虫を盗撮先に忍ばせ、隙間から侵入した虫たちは部屋を自由に盗撮後、スタッフが外でその昆虫を回収する。アリの場合もハエの場合も、それらが好きそうな匂いのする何かを外に起き、そこに引き寄せるのだろうと言う。肝心のカメラは?との疑問に、どうやら昆虫の「目」がカメラで、「脳」がそのメモリであり、回収した昆虫の脳を特殊な装置で解析して、メモリ(脳)に入った画像を引き出しているのではないか、と言う。
にわかには信じられないが、浮気の事例を考えても、他に盗撮の手段が考えられないことから、これが真相ではないか、と佐久間も考えた。
「こちらの音声をお聞きください」
とてつもなく不思議な気持ちでいる佐久間に、探偵会社がイヤホン差し出した。
「これは先方の調査会社が、スタッフ同士で話しているところを録音したものです」
佐久間がイヤホンを耳にすると、再生が始まった。
「しかし、ハエの回収が可能になってから空撮ができるようになって、だいぶ調査が捗るよな」
「アリだけでは、いい写真が撮りにくかったからな」
「でも、アリは好物が甘いものだったから、好きそうな匂いの開発も比較的楽だったけど、ハエはな…」
「誰にも言えないけど、苦労話をネットで書いたら受けるだろうな」
「だって、俺達の大便、しかも前の日に匂いの強い食品を食べた後、ってんだから」
「結果、できあがった『ハエの喜ぶ便の出る』レシピは企業秘密だな」
イヤホンをつけたまま、佐久間は呆気にとられて、探偵会社のスタッフの顔を見るしかなかった。昼下がりの喫茶店では、おしゃれなジャズが静かに流れていた。
*この物語はフィクションです。