見出し画像

世界とわたし自身へ

 中学生くらいの頃から、漠然とわたしが死んだときどれだけの人がわたしを知ってくれていて、死を悼んでくれるんだろうと考え続けていた。なにも残さずに死にたくないし、死んでせいせいするわ! とも思われたくない。
 
 と思いつつも高校生くらいになってくると、自分は特別じゃないし、万人から好かれることなんて不可能だし、世の中の大半の人はなにも残さずに死んでいくって気付き始めた。
 
 でも、何者にもなれないわたしでも生きていたんだって、証明したいという気持ちになってしまった。生きていたことを証明ってなんなんだ、って自分でも思うけど、その日その瞬間を記録して残していくことには意義があると思いたい。

 あの時のわたしはこれで悩んでたな、とか。この本を読んでこう感じてたんだ、とか。長い人生の休憩地点でそっと昔のわたしを振り返ることができるような場所にしたい。
 そして、わたしは我儘で欲張りだから、それを自分のなかだけじゃなくて世界に刻みたい。
 
 よく人に、誰もあなたのことなんか気にしてないよ、見てないよ、と言われるけど、わたしは気にしているし、見ている。わたし以外にもそういう人って実は大勢いるんじゃないかとずっと思っているから、そんな人はここでわたしのことを見ていってよ! という気持ちです。
 わたしがひとりで生きた証を刻んでも、誰かが見てくれなければそれは生きたことの証明にならないんじゃないかな、とも思います。
 
 こうして簡単に自分を発信できる、なんていい時代に生まれたんだろうと感じています。
 みなさま、わたしが生きていた証とやらを一緒に見てやってください。
 いろんなことを綴りたいと思っているので、どうぞよしなに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?