「御免羅臼」全5巻 完結記念特別記事
あの日の空は四角い〜H書房に「御免羅臼」がひと月置かれていた話〜
2013年のある日、クモハは神田神保町の公園にいた。何を勘違いしたのか1時間前の十時に神田駅に着いた。待ち合わせは十一時。
もうここには来ないかもしれないな。何とはなしにそう思う。電話の向こうでSさんが言った「そろそろ決着をつけないと…」の言葉が心に響いていた。
最後まで読んでくれて、直した方がいいところを指摘してくれて、改稿を読んで、今日の日になる。
ビルの間に小さな公園を見つけた。カラフルな遊具と滝、水の流れのあるなかなかに開けた公園だった。すわって原稿を読み、おにぎりを食べるのに丁度いい空間。
クモハはそうした。保育園の子どもたちが遊びに来た。見上げると台風の去った空は、青く深く澄んでいた。ビルの合間から見る空は四角い。
遡ることおよそ十年。クモハは1600枚の小説の持ち込み先を探していた。ネットも携帯電話もない世界。武器は「度胸」だけ。つてもないのに某SF雑誌の編集部に電話し、原稿を見ていただくという暴挙がかろうじて成立した時代
〈2001.6.25〉
去る六月二十一日、大いなる夏至の日に「御免羅臼」完結いたしました。
バンザ〜イ!
とりあえずこう叫んでもいいよね。1600枚ですぜ。
感動のまま雑誌を開き、末尾の電話番号にかける。「編集長、いらっしゃいますか?」
だが、最初のやりとりはうまく進まなかった。「プロットの見直し」を求められたクモハがフリーズしてしまったのだ。
〈2002.8.8〉
彼が要求しているのは徹底的なプロットの見直し。ありもしない3本目の手で、ありもしない背中をかけ、といわれているようで、どうしたらいいのかさっぱりわかりません。
そのまま7年が経過。ある晩、強烈な夢を見て書き直しを始める。半年足らずで完成。再びSさんに電話をする。
〈2010.3.03〉
Sさんと電話が通じた。原稿を送ることになった。電話口の彼は「8年たったんですかぁ」と感慨深そうにいった。きっと彼にとってはあっという間だったのだろう。
電話を切った後、クモハは声を上げて泣いた。幸い、家には誰もいなかった。号泣したのは何年ぶりだろうか。
〈2010.4.30〉
行ってきました。あちこちへこみはしたけど、現状で可能な限りベストな一日でした。
なんか「再会」でしたね。それとも「再開」か。まずざっと間に横たわる8年間の話をしました。お互いにあの時からどうやって、いままできたか。おそらく四十才くらいのその人の8年も仕事ばかりではなく、数年前に結婚し、お子さんがいらっしゃることなど。そういえばお互い、タバコを止めましたね。以前より、健康そうで落ち着いた感じでした、Sさんは。
「キャラの描きわけがまだ充分でない。描写されている容姿と台詞が、有機的に繋がっていない」
〈2012.10.1〉
Sさんに会ってきました。今回は約半分の十章まで読み進めていました。
「重みを持たせることと、全体の中で位置づけをちゃんとすることは別」
「書き込むのではなく、わかりやすく」
〈2012.11.27〉
前回から二ヶ月、Sさんに会ってきました。
やっと、やぁぁぁぁぁっと、読み終えてくれました。
行動を起こしたのが2010年二月十三日、現在2012年十一月二十七日。間に福島原発事故をはさみ、2年と9ヶ月。事故のショックと対応に追われ、一年ほどの活動停止期を含む。で、感想。
「まあビックリしたというか、意外におもしろかったです」
おもしろいって言ってくれたんだよね。
最後に手を差し出し、握手を求めた。触るか触らないかの握手だった。肉体派ではない人と久々にコンタクトしたんだなあ。(日頃、周りはがっつり触る系が多い)
ここで冒頭の日に戻る。「御免羅臼」第一部へのアドバイスはこの日で終了と決める。その後、公募先を探したがうまくハマらず。再び書き直しの糸口が閃き、大々的に改稿。こうなると、どうしても第三部まで読んで欲しくなる。
〈2016.5.25〉
二十五年前にやってきた物語「御免羅臼」が、再び終わりまで届いた。
渡米から戻り、行く宛も仕事もなかったクモハは、千葉県四街道で産廃業者のプレハブに泊まり、借金取りの対応をするという正気なら考えられないバイトに手を出した。
結局、何も起こらず(クモハの死体がゴミの山に紛れることもなく)数日を過ごした。
ある夜、ビジョンがやってきた。
少年は夢の中で、自分の物語を書いてくれと告げた。
〈2016.6.17〉手紙
H書房 編集部 S様
前略
この間はお忙しいところ、お電話にて失礼しました。
私の二十五年間を受け止めてくださり、ありがとうございます。
書き上げた直後にFBに投稿した文章
「ラストに近づくにつれ、わかってきた。
今でなければならなかったのだと。
3.11以前、この社会に潜む見えない犠牲を訴えたくて、この物語を書いた。
心の中と心の外、両方の。
けれど、今大勢の人が気づき、動こうとしている、と私は信じる。
ラストは大幅に変わった。
以前は暗く、救いがわずかにきらめくだけだった。
だが、現実の困難が見え、リアルがきしみ始めている今
ラストはもう「希望」しかない。
これは「オメラスを歩み去らない」人たちの物語。
お忙しいとは思いますが、よろしくお願いします。
草々
〈2016.6.17〉
きのう、2016年六月十六日のPM4:30に、「御免羅臼」発送いたしました。
原稿用紙枚数にして2000枚超。厚さ十五センチくらい。執筆期間二十五年。
もう、もう、すべてが桁外れ。送り先がある、というだけでも嬉しいが、さらに、その先を目指すよ~。
至福の瞬間は長くは続かない。杞憂は「読んでもらえるのはいつになるのだろう」という形をとり増殖。ひと月後に電話でと決めたものの、なかなか繋がらず、それが焦りに拍車をかける。前回は二年待った。今回はあと五年待つのか。長すぎる、とはずっと言われていた。読んでもらい、仮におもしろいと思ってもらっても出版は夢。その間、ただ待ち続けるのか?
〈2016.7.17〉
Sさん、ようやくつかまえました。
で、まだ(読むのは)無理というのをもう少し推し進めて……結果、断らせちゃいました。
送り返してきます。
ひと月待った。
私のこだわりに付き合って、
断ってくれて
ありがとう!
〈2016.8.11〉
今日、原稿が戻ってくる。六月十六日から約二ヶ月。
これでよかったのか、と迷うこともある。
や、いいのだ、とそのたびに思う。
そして今がある。あの時待っていればどうだったのか。五年くらい経ってから返事が来たのか。出版されたのか、されなかったのか、そんなことはわからない。
Kindleで出版した後も、イラストレーターさんと組んだり、Zineを作ったり、朗読会をしたり、思いつく限りのことは企画した。読者もぼちぼち増えた。PODが始まった時、最初に思ったのは「これでようやく本にできる」ということだった。
もし、あなたが「御免羅臼」を読んで/買って下さったなら、感謝しかありません。