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「バッテンガール」を巡る旅ふたたび
2021/12/22
世間では「冬至」と呼ばれ、宇宙的にも重要なこの夜をクモハは村上で過ごした。
昨年3月に「阿賀北ノベルジャム」でグランプリを受賞した「バッテンガール」の舞台である村上を再び訪れることになったのは、一通の手紙から。
「村上桜ヶ丘高校」のロゴが入った原稿用紙に書かれているくっきりとした鉛筆跡、美しい明朝体そのものの文字。それは恩師から一年ぶりに届いた「村上弁校正のお願い」の返事だった。
よくまあ忘れずにいてくれたものだ……。
その手紙にケヤキの木のエピソードが書かれていた。恩師の隣家のケヤキが切り倒されそうになっていたのを、心を尽くしお願いして救ったという内容だった。
「バッテンガール」でもケヤキの木をめぐり、父親と息子が対立するシーンがある。そのことを踏まえての便りに、変わらぬ恩師の行動力に、クモハの胸は熱くなった。
クモハは恩師にお礼の電話をかけ、22日の晩は村上に泊まり書店巡りをすると告げた。すると、するすると事態は動き、恩師と40年ぶりに再会することになった。
冬至の日の40年ぶりの再会❣️
恩師はやはり恩師だった。息子さん、娘さんも教師になったという。
ポツリと大川小学校のことを口にした。そう10年前に逃げられたかもしれない生徒たちが津波で命を失ってしまったあの小学校の話だ。
熱い、この人は変わらず熱い。
さすが「バッテンガール」の「色部先生」だ。
授業でも「バッテンガール」を教材として取り上げてくださったとか!?
本当に彼女が「恩師」でよかった!!!
そして、生きて再会することができたのは奇跡だ!
これからもご縁が続きますようにと祈り、冬の日本海の海と風を感じた。