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SUNNSが目指すもの⑥「ブリュワリーホテル」

個人として勝負を始める

「どうしたら勝負ができるか」を考え始めていた。
大手5スターで下積みし、インバウンド集客やプロモーションを学び、トレンドホテルを仕掛け、「オペレーション構築」はもちろんのこと、「企画」「レベニューマネジメント」「意匠調整」「付加価値造成」「出店計画」「ホテル開発」「地域振興」など、宿泊に関するありとあるゆることを学び実践してきた。自身の中では「コロナの後押しにより勝負の時が来た」という認識でいた。

まずは個人事業として登録、改めて「SUNNS」という屋号をつけた。因みに、SUNNSとは勿論ない単語なのだが、僕の名前が「陽」である事、そして、僕は音楽好きなのだが、とある伝説のギターアンプを探している。名前はSUNNだ。いつか名前きっかけでであえるやもしれぬ、という理由もある。

立ち上がるやいなや、案件が1件やってきた。東北地方にある、有名ビール会社が所有していた「ブリュワリー+ホテル」のホテル部分も稼働させたいという相談だった。

当時東京あたりでは「マスクしなくてよくね?」みたいな風潮も出始めていたのだが、東北地方はまだまだ警戒が解かれてなく、現地の方が「車では来ない方が良い」という事だったので新幹線で現地まで行き来していた。
非常に魅力的な施設で、奥さんとも「これ自体を預かって、こっちに引っ越しても良いね」という話にもなっていた。当時みていた「little forest」というamazomプライムでやっていったドラマの舞台が東北地方であったのも結構影響した。

しばらくストップしていたホテルは痛みもひどく、お世話になっていた建築の会社と、デザインの会社の人にも来てもらい、マーケットを調べ上げ、どの価格帯でどの程度を狙っていくかの作戦も立案し、収支もあい、「いける」という判断がこちら側では付いていた。

しかし、そこで出した改修リブランディングの計画がオーナー側には響かなかったのだ。理由は「高すぎる」という理由だった。建築もデザインもかかるコストを徹底して圧縮して、オペレーションもその当時にはあまりなかった「ほぼ無人」施設を想定していたが、「それでも高い」という事で、この計画は白紙になってしまった。

順風満帆の船出と思えたのだったが、いきなりつまずいてしまう。そんな中、遊びで行った八ヶ岳が忘れられず、奥さんと話をした。すると奥さんも八ヶ岳が忘れられなかったようで、「だったら移住しよう」と5分の家族会議で決まってしまった。

僕らは子供がいないし、本当にまさに「縛るものが何もない」状態であったので、「豊かな人生」「豊かな暮らし」を目指し、八ヶ岳に移住することになる。

八ヶ岳で待っていたものは。。

追記
宿泊施設ではない宿泊施設(民泊、農泊、ユニークべニューなど)が増えている。大手でさえ無人経営に乗り出している。宿泊施設の収支を圧迫する2大巨頭「人件費」「コミッション」このうち人件費にアプローチでき始めている。

「人ができる事」は何か。宿泊業の人だから出来ることがあると、僕は思う。

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