死にたい今日

※この文章は、2023年1月25日、ヨルシカのライブを見に行った帰りに衝動的に書き殴った文章です。今、私は元気なので、供養のため投稿します。


 ヨルシカのライブに行った。1月25日。
ずっと楽しみにしていたライブだった。
この日のために、最近、生きていたように思う。
 ここ1ヶ月くらい、なにも気力がわかない日が続いていた。
風呂にもろくに入らずに、掃除もせずに。洗濯物も洗濯して乾燥機までかけたのに、まだ洗濯機に入ったままだ。過食嘔吐の症状もでている。ストレスに身を任せ、食べる。我にかえって、吐く。その繰り返し。使った食器もコップも、台所のシンクに置き去りのまま。
潔癖症の人が見たら卒倒するだろうな。
仕事の時間が終わっても、すぐには帰れない毎日だ。
へとへとになって、帰り道の車で何故か泣けてくる。特に意味はない涙だけど。
家についてもこの調子で、気づけば時間が過ぎて深夜2時くらい。部屋は散らかったまま。
眠くもないけど、寝ないと明日起きれないから、ベッドに入る。死んだように眠る。
無慈悲に朝がくる。
また仕事に行かなくちゃいけない。
何のために生きてるんだろうな。
土日の休みは、一日中寝て終わる。昼頃に目が覚めて、食べて、吐いて、またひと眠り。気づいたら夜中で、身体も頭も重いから、また眠る。朝がくる。それだけ。
今日は半日休みをもらった。ヨルシカのライブだから。
休むか悩んでいたけど、弟に言われた「これを休めなかったら何のために働いているのかわからないよ」って言葉に背中をおされた。
案外すんなり休めるもんだなと思った。
まあ所詮たったひとりの人間に過ぎない。人間であるということしか価値がない。記号に過ぎない。私という人間はいらない。道具には自我はいらない。
昼には帰れると思うと、頑張れた。朝の通勤路は、昨夜雪が降って路面凍結していたけど、まあ死んだらラッキーだなと思っていつも通り運転していたら、生きていた。死ねないもんだね。
仕事は半日のくせにしんどかった。意味わからんやつが意味わからんことをしでかしたらしい。こんなくだらないことをする暇があるなら、私を殺してくれと思った。
待ち遠しい昼のチャイムがなったので、退勤した。ヨルシカが待っている。別にヨルシカは待ってないけど。私がヨルシカを待っていた。
グッズははじめ買うつもりはなかったけど、欲しくなったから、売り切れていないことを願いながら向かった。まだ残っていた。いいことでもするか、と思って、弟とその彼女のためにグッズを買った。
やたらと寒いから、時間をつぶすのが苦痛だった。Twitterで同じくぼっち参戦の人を探して合流してヨルシカのことを少し話した。あまり会話が続かなくて苦労した。私はつまらない人間だってことを忘れてた。
ようやく開場の時間になったので、恭しく会場に入った。アリーナ席50列13番。まあ後ろの方だ。
硬そうな簡易な椅子の前評判を聞いていたから、持ってきたクッションを敷いて座る。1時間過ごす。アナウンスの後、ライブが始まる。
会場の照明が消える。ナブナさんのナレーションが聞こえる。映像が流れる。物語だった。
暗転して聞こえてきたのは「負け犬にアンコールはいらない」だった。
涙が止まらない。私は負け犬だ。人生に負けた。こんな人生を繰り返してはいけない。アンコールはいらないんだよ。
夢があった。壮大な夢だ。夢はやぶれた。儚く散った。無様に生きている。
なんで生きてるんだろう。何のために?誰のために?もうわからなくなって、ただ泣いていた。
ナブナさんの声がまた聞こえる。そうか、ヨルシカのライブに来ていたんだっけ。
耳に入る音全てが、私の胸に刺さった。どうしようもなく苦しくて、胸が詰まった。息の仕方を忘れそうだった。
あの曲も、この曲も、今日で聴き納めかと思うと、泣けてくる。ありがとうヨルシカ。
死ぬことは、怖くないといえば嘘になる。死ぬのは怖いよ。でもそれ以上にこれから生きていける気がしないんだよ。
ヨルシカのライブに行けた今日を、私の命日にしたいと思った。

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