見出し画像

景色のコトダマ VOL.7 花束をもつ男

定年退職には、格別な思いがありました。父が、腎臓がんで死んだのは59歳。定年退職まで、あと17日足りませんでした。以来、私の中で定年退職を迎えることが、父を超えること、そして恩返しだと思って生きてきました。

ところが、父が発病したよるも2年早く、私も同じ病を患ってしましました。定年退職が、遠のきました。「私も迎えられないかもしれない」そう思うと悔しさがこみあげてくる。謝罪の気持ちも去来しました。

幸い私は回復し、今年4月末日の退職日に向けて順調に時を過ごしていました。手帳を見ると、親しい仲間が集まってくれる。得意先も祝いの宴をひらくと言ってくれました。社長との会食もある。私は、お礼のご挨拶にいく人のリストをつくり、退社の文面を思案していました。

定年の日。17時半の終業時間になると、みんながすっと立ち上がる。誰に命令されるわけでもなく輪ができる。退職者が前にでて、局長があいさつを始めます。退職者は、前で手を組みそれを聴きいている。やがて、こそばゆいような顔をしながら花束を受け取ります。

会社で幾度となく見た風景の主人公になる。それは一体どんな気持ちなのだろう。誇らしいのか、寂しいのか、未練はないのか、サッと割り切れるものなのか。「花束をもらったとき、どんな顔をすればいいんだろう」なんていらぬことまで考える。この先、天国にいったとき「お父さん、あれは結構はずかしいものでね」とその心境を伝えたい・・・

そこに、コロナ禍です。

パーティは消え、挨拶まわりもなくなり、業務はテレワークになりました。「え?退職の手続きはどうする?」とうろたえていたら、会社から分厚い封筒が送られてきました。すべての手続きは、郵送と電話でやることになりました。退職金や保険証の手続きなど、経験したことのないものがたくさんあります。社員証もIDカードも保険証も、すべて郵送。それらをレターパックに詰めるとき、

「私の36年は、こんな封書で終わるのか」

と寂しい気持ちになったものです。ちょっと捨て鉢で、怒りに似た気持ちも湧いてきました。酒量があきらかに増えました。

最後に所属していた局の部長から電話があったのは、やけになった数日後のことでした。

「ひきたさん、先ほどテレワークの部長会がありまして。4月30日の17時30分、あいてますか。局員に向けて、テレワークで退職の挨拶をして頂きたいんです。みんな、やろう、やろうと盛り上がっているので、ぜひ」

長く、職場の円陣の中で花を受け取る景色ばかりを考えていた私は、あっけにとられました。その後、自粛のこんな状況にあっても、若い社員が私の定年退職の日について話し合い、「テレワークあいさつ」を考えてくれたことが嬉しくて、鼻の先がツンンツンしたのです。

退職の前日。仲間たちから、花が届きました。

Thank you for everything. Good Luck on your new journey!

メッセージカードにこう書かれた花々を、カメラの映る場所において、私は5分ほどの短い挨拶をしました。

「お父さん、僕も花束をもつ男になれなかったんですよ。でもね、会社初のテレワークで定年の挨拶をする男になれたんです。みんなから届いた花束を背景にしてね」

36年の会社生活最後のエピソードは、こんな顛末になりました。

空に、蒼く聳えたつ博報堂。いまは色も音もないけれど、早晩、復活し、最高に優秀で、とびきり人のいい後輩たちが、様々な花を咲かせてくれると信じています。

ありがとう。最高の会社人生でした。