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小説 貴堂明里の夢

暑かった。

暑かったような気がしたが、実際には身体に感覚がなかった。頭が知識として暑いと認識しているような、幽体離脱して身体を抜け出た幽霊の自分が暑いと解説してくれているような、そんな感じだった。

パリとかヴェネツィアとか、旅行ガイドで見たような洋風の建築物が、右手と左手に整然と並んで建っている。どれも3~4階建てほどで、非常に密集している。まるで建物と建物の間に区別などないようだ。
そのせいで、右手の建物と左手の建物の間の路は日当たりが悪く、見上げると燦燦と照っている太陽に比べて、煉瓦調のブロック石が敷き詰められたその路は、暗闇に飲み込まれるような、地獄へと誘われているような、そんな不安を掻き立てられた。

そんな路を、今一人で歩いている。
いつどうやってここに来たのだろう。ここまでの道のりはまったく記憶になかった。
行き交う人はいない。植物も植えられていない。ただひたすらに、地獄の底まで続いていそうな暗がりの路を、歩く。暑かった。日陰なのだからもう少し涼しくたっていいのに。そう思ったが、やはり実際には肌に触れても、何も感じなかった。

ふと、何かを掴んでいることに気が付いた。感覚がなかったから、自分が何かを掴んでいるという認識もなかった。
しかし、実際には何かを掴んでいるわけではなかった。腕から影のような黒い物体が伸びていて、地面にまで至っている。
娘を連れ添っているのかと思ったが、それは人間ですらなかった。影のようなものは、少しずつ肘から肩へと伸びていった。身体を侵食しつつあるのだ。
早く振り払わなきゃ。そう思ったが、影は自分と地面を繋ぎ止めて離さない。
そして影は突如、大量の羽虫と化して、身体全体を覆っていった。
恐ろしくて、これまで出したことのないよう大声で、叫び声を上げた。

2024年、7月29日。
貴堂明里の1日は、そんな夢から始まった。


「悪夢じゃん、悪夢。ナイトメアってやつだよ、それ」
藍川陽子は、抹茶フラペチーノの生クリームを器用にストローで掬って舐めながら言った。

「やっぱり疲れてるんじゃないの?最近仕事で帰りも遅いとか言ってたじゃん」
仕事はとても順調だ。会社の人間関係も良好だし、3か月後に大規模案件のプレゼンを控えている影響で、部署全体がにわかに活気づいている。
やりがいは感じているし、給料にも不満を持ったことはない。たしかに残業で帰りが遅くなることもあるが、仕事が楽しかったので、疲れなんて感じていない。そう思っていた。

「最近ちゃんと寝てる?ほら、よく言うじゃん。眠れないのはうつ病のサインですよーとか、自殺を考えている人はまずちゃんと寝てるか聞いてみてー、とか」
抹茶フラペチーノの生クリームは、きれいに舐め取られていた。これから抹茶の部分を飲み干すらしい。そんな飲み方するんだ、とぼんやりストロー部分を眺めていた。

眠れているか。
これまで、眠るということについてほとんど気にしたことがなかった。夜になればベッドに入り、目を瞑れば眠る。そのことに何の疑問も抱いたことがなかった。
でも、夢見が悪いということは、眠りの質はあまり良くないのかもしれない。ただ寝ればいいわけじゃない。寝れば自然に疲れが取れるわけじゃないし、悪夢を見れば目を覚ました後も、不安と恐怖感は身体にインプットされる。
歳を取った。そう認めなければならない節目に来ているのかもしれない。

どうすれば良く眠れるようになるかな?
「うーん、枕と布団を良いやつに変えてみる、とか?」
抹茶フラペチーノはすでに空になっているが、陽子は空のカップをまだ吸い続けている。


家に着いた時には、すでに23時30分を回っていた。
玄関の明かりは消えていたが、みよなの部屋の明かりがまだ付いていることは、外から確認できた。相変わらずスマートフォンでyoutubeを見ているのだろうと思ったが、実際に何をしているのかは外からは伺い知れなかった。

みよな。
2年前、離婚を切り出した時には涙も流さなかった。父親と離れ離れに暮らすと話した時にも、ずっと会えないわけじゃないから大丈夫と言っていた。
それ以前から夫婦仲は冷え込んでいたし、着丈にふるまっていたのか、諦めの境地に達していたのか分からなかったが、正直ほっとしたのを覚えている。そこで泣き出したり暴れたりされていたら、決心が揺らぎそうだった。

今年の1学期が始まってから、急に学校に行かなくなった。
初めはおなかが痛いとか、熱があるような気がするとか、適当に病気を取り繕っていたが、そのうち正直に学校にはもう行きたくないと言って、それからほとんど外出することもなくなった。
真夜中まで部屋に閉じこもっていたかと思えば、深夜になってこっそり家を出て行くこともあった。捜索願を出そうと思ったこともあったが、夜が明けるといつの間にか家に戻っているので、どこで何をしているのかを問い正す機会も、うやむやになってしまっていた。

学校でいじめに遭っていたのかもしれない。父親が恋しくなって、外で仲睦まじく接している家族の姿を見るのが苦痛になってしまったのかもしれない。様々な憶測が頭を飛び交ったが、本人や学校の先生に何かを聞く気にもなれなかった。
きっと、今みよなは不幸で、その不幸の原因が私にあると思い知るのが怖いのだと思う。

眠れているか。
眠っているつもりでいた。仕事は順調だし、友達からは今が一番幸せそうだとよく言われる。旦那と別れたことで憑き物が落ちたんだよ、その通りかもしれないと思っていた。

眠れているか。
ただ不幸の種は私の知らないところで育ち、いつか芽を出すのではないかと、心のどこかで戦々恐々としている。みよなはこれからどうなってしまうのだろう。

眠れていない。のかもしれない。
身体を横にして、意識を失っているだけで。


今日の分のインスタグラムの更新が終わった。

投稿している内容と言えば、スタバの新作が出ただの、新しくできたカフェに行っただのといった他愛のないものだったが、やはりSNS上の繋がりが日常となった現在にあっては、何も更新しないのは不安だった。更新が滞ると自分が忘れ去られてしまうような気がしたし、誰かの更新が止まるとやはり何かあったのかと勘ぐってしまう。
嫌な時代になったとも思うが、楽しい投稿をし合っていると幸せのお裾分けをしているようで、充実感もあった。

インスタグラムの検索欄は自分で目的の内容を検索するだけでなく、これまでの検索や閲覧履歴に基づいたおすすめの投稿が表示されるようになっている。
今の検索欄はカフェやレストラン、レジャー施設のレビューをしているいわゆるインフルエンサーの投稿で埋まっていたが、そこに1点、目につく投稿を発見した。

眠りのためのヒーリング。

おそらく、陽子に言われて布団や枕の情報を検索していた影響なのだろう。たしかによく眠れるサプリメントやストレッチ法の投稿も検索欄には散見されていたが、ヒーリングとは。
投稿の文章に目を通すと、ヒーリングというよりは瞑想で質の高い眠りに導くものらしい。つらい時や絶望を感じた時にも瞑想が効く、とも書いてある。

よくよく考えればそうだった。陽子は眠りとうつ病や自殺を結び付けて話してくれていたのだった。枕と布団の話が印象に残っていたので、そればかり検索していたが、本来は眠れないという症状は、心の病やカウンセリングなどと結び付けて考えるべきだったのだ。
ただ、カウンセリングを受ける気にはなれなかった。そこまで症状は深刻ではないし、精神科は予約を取ろうと思っても2~3か月先まで予約が埋まってしまっているという話もよく聞いた。

瞑想と言えばヨガをやっている人が行っている印象だ。目を瞑ってじっと座っている、それくらいの知識しかない。そんなもので良く眠れるようになるのだろうか。
ふと、みよなの顔が思い浮かんだ。自分がちゃんと元気になって、みよなの心に何かの変化が生まれるとするなら、どんなことでも試してみたかった。オンライン開催というのも決定打になった。この時間なら、きっとみよなもyoutubeに夢中になっているだろう。

8月17日21時。眠りのためのヒーリングの時間が始まった。


瞑想、と言ってもただ座っていればいいわけではなかった。その瞑想は「シックス・ヒーリング・サウンズ」と言って、瞑想の作法というか手順のようなものがあった。
説明では、心臓や肝臓、肺や腎臓など、人間が持つそれぞれの臓器には司っている感情があって、臓器に意識を向けることでその中のネガティブな感情をポジティブな感情に変容できるということだった。

正直ちょっと面食らった。臓器に感情があるという話自体が眉唾物だったし(そう言えば昔、スヌーピーの手足が本人の意思を無視して勝手に歩き出すというマンガを見たような気がする)、あまつさえ臓器に微笑みかけたりするらしい。本人と心臓が会話をするなんて、ディズニーやピクサーの映画のようだと思った。
それでも、ネガティブな感情がポジティブな感情に変わるという感覚をイメージするのは悪い気がしなかった。なのでよく分からないなりに、怒り、怒り、怒り・・・と、それぞれの感情にフォーカスを当てることに集中することにした。

変化は4日目に訪れた。
これまで通り、ネガティブな感情に意識を集中する。そして腎臓が司るネガティブな感情である不安を意識した時、ふと母の顔が思い浮かんだのだ。
母の顔にフォーカスしながら、呼吸を続ける。やがて、母の顔はあるイメージに拡がっていった。

小学校5年生の夏休み。
午前中は学校のプールがあって、午後からは何の予定もなかった。
当時実家には和室にしかエアコンがなく、私、弟、母の3人が和室に集まって、川の字に寝転んでいる。
エアコンの風は涼しい。母と弟はすでに眠ってしまっているらしい。
私は何もしない、この時間が大好きだった。こんな時間がずっと続けばいいのにな。そう思いながら、やがて眠りに落ちていく。

感情に意識を向けることは、記憶を想起させる。
ずっと忘れていた。私には子供の頃から身体に染み込んだ、大好きな時間があった。何もせず、穏やかで、家族みんなが平和にくつろいでいる、そんな時間。
今はどうだろう。仕事が充実していることを幸福だと思い込み、本当に大好きだった時間を過ごすことを、いつしか忘れてしまっていたのかもしれない。
みよなと二人で、何もせず寝転んで穏やかな時間を過ごすなんてことをしたことがあっただろうか。離婚する以前に記憶を遡っても、みよなと寝転んでいる姿を思い出すことはできなかった。

腎臓のネガティブな感情、不安は、腎臓のポジティブな感情、平和、優しさに変容できる。
本当に大好きだったものを大切にしよう。もっとみよなを、もっと自分の周りの平和を大切にしよう。
そう思った時、呼吸と共に、一筋の涙が零れ落ちていった。呼吸と涙が、ネガティブな感情を世界に解き放ってくれた、そんな気分だった。


朝食はクロワッサンとハムエッグ、それにトマトとレタスのサラダだ。
今日の朝食の当番は母だ。母はすでに家族分の朝食を取り揃え、洗濯物を干す仕事に取り掛かっている。

みよなはまだ朝食に手を付けていない。ちいかわのぬいぐるみをカバンの中に入れようと悪戦苦闘している。そんなの手に持っていけばいいじゃない、そう言うが、どうしてもちいかわをおんぶして学校に行きたいのだと言って聞かない。
じゃあそれは後にして、とりあえずご飯を食べたら?そう言って、みよなをテーブルに座らせる。

このパンおいしいね、どこで買ったの?みよなは聞く。
それは先週開店したばかりのベーカリーでゲットしてきたんだよ。当然、ゲットしてきたのは私だ。
私これ好き、毎日これでいい。みよなははしゃいでる。毎日同じもの食べてたら、どんなにおいしくても飽きちゃうわよ。母は笑っている。

春の陽気だ。暖かで、穏やかな朝。今日は仕事が終わったら、新しいテーブルクロスを買いに行こう。そんなことを考える。

2024年、8月23日。
貴堂明里の1日は、そんな夢から始まった。


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