5年ぶりの新作『50代上等!理不尽なことは「週刊少年ジャンプ」から学んだ』を発表しました 業界関係者向けのあとがき 脱・ソフト老害 アラフィフ著者の生き残り方
5年ぶりの単著『50代上等!理不尽なことは「週刊少年ジャンプ」
から学んだ』(平凡社新書)をリリースしました。https://www.amazon.co.jp/dp/4582860702/yoheycom-22
毎年、『月刊中央公論』の「新書大賞」や、『週刊東洋経済』の今年のビジネス書の選者を担当したり、北海道新聞の読書欄で連載コラムを担当したり、時事通信社で書評を書いたり。人の本については勝手なことを書いてきたわけですが、単著は実に5年ぶりでございます。
この間、主夫業、新型コロナウイルスショック、所属先の大学で大学改革の仕事に没頭したこと、心身の健康問題、環境の変化などにより、アウトプットが(いや、インプットも)大変に少なくなりました。他にもお待たせしている原稿などもあり。待って頂いた方に申し訳ないです。
そして、実に5年ぶりに本を書くとなると、「物書き」「著者」をめぐる環境も変わっており。いま、書籍のPR・プロモーションに取り組んでいるのですが(言うまでもなく、PRとプロモーションは違います)、環境の変化を感じます。
本にも、大変にエモい後書きを書きましたが、今回は主に他の著者や、編集者、広くメディア関係者向けに、アラフィフの著者として感じた環境の変化、そんな中で、書き手として延命する方法などについて書き綴りたいと思います。愚痴に聞こえるかもしれませんが、これから著者デビューしたいと思っている方、同じようにどう生き残るかについて悩んでいる方、メディア関係の仕事をしている中で他のメディアの事情を知りたい方に、少しでもお役に立てたらなと思っています。
もし、この記事が役立ったという方がいたら、是非シェアして頂き。さらに、投げ銭代わりに新作を買って頂けると嬉しいです(切実)。
脱・ソフト老害の仕事術を実践してみた
「ソフト老害」論、というか鈴木おさむ論に向き合う
今回の本は50代論です。50代の処世術について、多くのページを割いています。気持ちよく生きるにはどうすればいいかを考えました。
もちろん、話題の「ソフト老害」問題についても触れています。この本を書く過程においても、私自身が意識したのは、脱・ソフト老害です。つまり、ソフト老害にならずに、編集者と気持ちよく仕事をするということですね。
「ソフト老害」という言葉は、もともと鈴木おさむさんが提唱したのは、若い人たちとの感覚のずれ、自分の感覚の古さなどでした。ただ、言葉が独り歩きし、意味の広がりを見せ、むしろソフト老害を探し、その仕草をいじるのがメインの議論になってしまいました。まあ、流行語というのはそういうものです。「負け犬」も「草食系男子」も、私の「意識高い系」もそうでした。
実は鈴木おさむさんの、元々の主張である、若い世代との感覚のずれということが気になっており。もっというと、年齢に関わらず、今どきの世の中と自分のずれを感じたりするわけです。ましてや、5年も本を書いていないとそうなるわけです。
もともと「若き老害」を自称していましたが、評論家として時代を追い、オピニオンを発信し続けているものの、自分ってズレてないかと自問自答したわけです。はい。
若い編集者のもと、年下上司の部下プレイを実践
2023年春に、平凡社の、私よりだいぶ若い編集者からオファーをもらった時、私は、断る気満々で打ち合わせに臨みました。断る気満々というのは、単にお待たせしている本が多数あったからです。ただ、打ち合わせに臨み、この人に、この企画にかけて見よう、それにより自分の再生を実現しようと思ったのです。なかなか書けずにいた、お待たせしている企画をいったんストップして、こちらを書き上げた方が、結果、前に進むし、どの出版社に対しても、よいアウトプットができると考えたのです。
脱・ソフト老害のために、若い人、信じられる人に任せてみよう、と。既に私の同級生たちは、年下の上司のもとで働いています。年下の上司のもとで働く感覚でいこうと。教えて頂こう、謙虚にいこう、と。
商業出版は「高級ブログ」ではない
というわけで、彼女の才能、センスにかけてみました。方針や、書いた原稿のOK、NGのジャッジも任せてみようと。
実際、彼女との仕事は、発見の連続でした。現在の出版シーン、想定読者の興味関心、彼ら彼女たちがお金を払ってでも知りたいと思っていることは何かを的確に分析していました。
自分としては力作だと思っていた原稿をバッサリ落とされるということもよくありました。こんなことをされると憤慨する著者もいることでしょう。いや、そもそも落とされるような原稿を書くな、プロなんだから、という話もあるかもしれません。
ただ、これぞ、商業出版で書籍を発表することとの意味だなと。編集者と一緒に本をつくるのだと。私自身、もう何が面白くて、何が面白くないのか、判断がつかない人なので。彼女に任せよう、と。メンバーチェンジ、活動休止などがあったバンドが、新しいプロデューサーに再生をかけるような感じです。
誤解なきように書きますが、彼女との仕事は、大変に気持ちよかったです。どうすれば著者として復活できるか、届く原稿になるか、一緒に考えました。今年の春以降は、隔週くらいのペースで締め切りを設け、原稿提出の当日、翌日くらいにお茶をしながら打ち合わせをするということを習慣化しました。正直、締め切りに合わせて書き殴ったことや、期待される質、量をクリアできていないこともありましたが、この繰り返しで前に進むことができました。
「デモテープ」から判断してもらう
実際、なかなかの大胆な提案もありました。あとがきにも書きましたが、悲観論をばっさりと落としたのは、大きな決断でした。ただ、悲観論を書いた本は他にも多数あること、触れている悲観論が言わずもがなの内容だったので、落として良かったと今では納得しています。実際、徹頭徹尾、元気のでる本、共感できる本になったかと。このような、プロデュースは編集者の仕事かな、と。
本の目指す方向性についても、彼女のディレクションはいちいち、頷けるものでした。都心の書店で売れる本ではなく、広く郊外の書店でアラフィフが手に取る本にしよう、と。ついつい、マニアックな話を書こうとしたり、丁寧な説明をしようとして、冗長な話になってしまったりしがちで。そうではなく、ごく普通の人が、読んで満足するもの、買ってでも読みたくなるものを目指しました。
一方、今回の本で大事にしたのは、実は「衝動」です。ロック・バンドの初音源のような、初々しさ、エモさ、熱さを目指しました。とにかく、書きまくり、デモテープのようなものをつくり、それのどれを採用し、どれをブラッシュアップし、どれを捨てるか判断してもらう。その繰り返しでした。結果、のべ17万字くらい書き、5万字捨てて、ブラッシュアップして、仕上げました。彼女の判断軸が明確だったので、熱があって、でも、筋が通っているものになりました。
ヘヴィメタルの名盤、ジューダスプリーストの『ペインキラー』みたいな本だなと思いましたよ。彼らがアメリカナイズされた、大陸的な、歌ってノレる音楽に走り賛否両論を呼んだあとに出た傑作で。徹頭徹尾攻撃的な音楽に回帰したアルバムなのですよね。実際、私は高1の時から聴き続けており。まるでこのアルバムのような、本になりました。
というわけで、とてもロックな本になったと思います。ロック・バンドのアルバムづくりだと思ってやりきりました。
めぐりめぐって、本、最高
仕事がメディアごと消えていく件
自分のオワコン化をなんとかする。新作の裏テーマはこれでした。まあ、なんせ、自分が大事なのですけど。シーンの変化についても、向き合うことにしました。自分の周りで起こった変化について書きますね。
単著をずっとお待たせしている5年間でしたし、なんせ新型コロナウイルスショックもあったわけですが。この5年間、確定申告のたびに、売上を確認して感じたことがあります。前提として大学関連の仕事のウェートが増え。その分、忙しくなり。大学以外の仕事では、講演、コンサルティング、メディア出演、政府などの委員の仕事が件数ベースでも売上ベースでも増える一方で、執筆関連の存在感が減っていったのです。
より具体的に言うと、連載が減り、寄稿ものが増えたという感じでしょうか。そう、連載に関してはメディアごと消えるということが何度かありました。SankeiBiz、BLOGOSなどがそうでした(ちなみに、BLOGOSはブログの転載のみだったので、私のインタビューや寄稿もの以外は原稿料ゼロでした)。
まあ、私自身、気づけば古参の書き手となり。新鮮味が薄れたというのもあるでしょう。
というわけで、「書く」という仕事がどんどん減っていきました。まあ、書き手の実力、人気などをいったんおいておいて、メディアが減るということは、活躍する場が減るということですから。この影響を感じていました。
ウェブで書く意味とは?
各種ブログのプラットフォームはまだありますし、noteなども存在しています。私もこうやって書いています。また、ウェブメディアも一部は休止したりしていますが、存在しています。ただ、そこで書く労力とリターンについて考えてしまったことも事実です。
あくまで体感値ですが(いや、中の人からはデータを見せてもらったりもしますが)、ウェブで記事を書いたところで、それがSNSでバズったり、ヤフトピに掲載されたところで、以前ほど読まれなくなったなと感じます。はい。
ウェブメディアの黎明期から書き続けているわけなのですが、新しいメディアに関わっていたつもりが、いつの間にか地盤沈下していたんだなあと感じたり。あれ、何をやっているんだろうと立ち止まったりしました。
まあ、今に始まった話ではないですが、タイトルしか読んでもらえないこともありますし。それで炎上するわけで。一方、それが嫌ならウェブで書くなという話ですし。
そもそも、「このサイトで書きたい!」と思えるようなサイトが以前ほどないなという印象です。はい。申し訳ないですけど。
もう一度、書籍にかけてみる
そんな中で、もう一度、書籍にかけてみよう、書籍で勝負してみようという想いがメラメラと湧いてきたのでした。
いや、書店は減っていますし。初版の部数も以前よりもだいぶ減ったなという感じです。
ただ、ここ数年、ベストセラー、話題作も多く。読者としていつも、楽しんでいるわけで。読書離れが叫ばれる一方で、書くべき人が書き、読む人は熱心に読んでいるわけです。自分の伝えたいことをまとめて伝えられるというものもあり。
一方、朝日新聞コメントプラス、ヤフーエキスパートなど、コメンテーターとして短文を書く機会が多く。長い文章、まとまった文章を書くことから離れてしまっており。一冊、書き上げることは大きなチャレンジでした。でも、やりきりました。
なんせ、5年ぶりの新作なので。再デビューと言っていいです。新鮮な気分です。
書店に並んでいる様子をみて、感動しました。一方、デビュー作の時と同様に、他に売れている本がいっぱいあり。いろんな意味で、あのときの喜怒哀楽を思い出しました。
でも、アーティストのアルバムが、リリースされてからライブで演奏され、ファンに聴かれ歌われることで完成していくように。この本も、これから読まれ、賛否両論呼び、私がこの本について語ることによって、完成するのだと思います。はい。
そういえば、文化人を目指すことをサボっていた
ちょうど、この本を仕上げる頃に、「情熱大陸」に北方謙三先生が登場していて。しかも、担当が私の大学の後輩だったのですね。彼のSNS投稿を見落としていて。録画した番組をみていて、声で気づきました。これは偶然のような、必然じゃないかなと思ったわけです。
北方謙三先生の番組は、自分の中で忘れていた何かに火をつけました。あぁ、なんて私はスケールの小さいことを考えていたのだろうと。飄々と自由に生きているようで他者の視点を気にしていたのだろうと。
海の見える別邸で執筆に没頭し、自由奔放に話し、猛烈に書きまくる様子をみて、あぁ、私はこうなりたかったんじゃないかと思ったりし。「青春は何かを成し遂げる時代ではない」という、25年くらい前に読んだ言葉も登場し。感激したわけです。
文化人になること、目指すことをサボっていたと猛反省しました。いや、ああいう姿に憧れること自体、ズレている、終わっているかもしれません。ただ、幼少期から私は、文化人になりたかったわけで。時代と向き合い、自由奔放に何かを発信する。美味しいもの食べて、美しい光景をみて、何かを語る。
そして、常見陽平の新章が始まります。
ここまで読んで頂き感謝です!