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小田嶋隆さんのこと
もうすでにたくさんの人が書いていますが、小田嶋隆さんがお亡くなりに。脳梗塞になる等、体調が心配でしたが、あまりにも早い死に驚いております。
圧倒的で。超えられない巨人でした。日経ビジネスの連載、大変に楽しみにしており。ナイスな風刺、これぞコラム、でした。必ずしも主張など賛同しない人もいることでしょう。よく炎上していましたね。ただ、コラムニストの巨人であることは間違いないのではないでしょうか。
初のニアミスは、TBSラジオ「荻上チキSession-22」でした。2013年の10月だったかと。8月に中川淳一郎と一緒に出演し。例の、中川淳一郎泥酔炎上事件があったわけですよ。その際に「中川は断酒して、アルコール依存症を乗り越えた、小田嶋隆さんと対談するべきでは」と提案していたような。私の提案が受け入れられたのかどうかはわかりませんが、2013年10月に二人の共演が実現し。私はコメント出演でした。友人として中川について思うことをTBSラジオのブースで収録し。共演に涙しました。
その後、2014年春に『潮』で対談。その時のことが強烈で。3〜4割、載せられない話をするわけですよ。のちの鈴木涼美さんとの対談もそうでしたが。「攻めてるなあ」どころか圧倒的な凄みを感じ。会社員の新人時代に「君が代」をカラオケで歌い、「皆さん、歌わないのですか」と投げかけたら二度と誘われなかった話や、新人向け研修について人事部に「この研修のタイトル、”新鮮な女性器を押す”とは何事か」と抗議し(詳しくは説明しません)、みんな困惑した話とか、いやあ、攻めすぎでした。あのときの空気感が自分の成長のきっかけになったかな、と。
中川淳一郎や津田大介が出たイベントにご登壇されており。私も飛び入り参加し。その後、夜中まで飲み食いしたような。このとき、彼が杖をついていることに気づいたのです。
最後にお会いしたのは、TOKYO FM「TIMELINE」のスタジオで。最終回だったのですよね。最後のゲストが私でした。
その後、まったくお会いもせず、やりとりもなかったですけど。ひたすら圧倒されたな、と。
『潮』での対談のとき「ぼく、コラムニストになりたいんです」と伝えたところ「じゃあ、名乗ればいい。最近、コラムニストが減っていて寂しんだ」と言われたことをふと思いだしました。
超えられない巨人ですけど、あのときに圧倒された空気感を私も醸し出せるように、頑張りますね。コラムでいつか超えられる日も。
合掌。