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謝罪採点社会

悲しい事件が多数ありました。亡くなった方、傷ついた方のことを想いつつ書きますね。

様々な事件・事案に関して、どのような声明を出したか、謝罪をするか否か、その謝罪が誠実なもので納得感があったかなどなどをメディア、PRクラスタ以外も含めて皆が評価しており。それはそれで皆が関心がある事件・事案なんだなと確認しつつも、まるでスケートの技術点・芸術点のようになっており。被害者(傷ついただけでなく、亡くなった方もいます)、関係者のことなどを実はスルーしたものになっていないかと思う今日このごろです。

もちろん「本当の気持ち」「会うといい人」「◯◯さんは心から反省している」なんていう類のものは、一般には伝わらない、伝わりにくいものであって。結局、記者会見なり声明、さらにはその後の対策で評価せざるを得ないというのも現実です。

また、元広報担当者、そして著者視点でいうと、実際にしてしまった過ち以上に、攻撃される、ダメージを受けるということもあるわけで。ちょうど20年前、広報担当者をしていた頃は、上司の配慮もあり、その手の講座に会社のお金でよくいかせてもらったのですが、過去のリスク対応の事例をみると、同じくらいの重い過失でも対応によって今でいう炎上度合いは違うわけですねえ。

ふと気づきました。著者になって17年で、数々の炎上騒動を起こしてきたわけですが。ときには勤務先にご迷惑をおかけしたこともあるのですが。

・・・ネット炎上で謝罪したこと、ほぼ、ありません。よっぽどの事実誤認以外は。

「謝る」ということを目的化してはいけないのです。はい。

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