内気な少年だったぼくが、3日後にヒップホップのアルバムを出す理由
ヒップホップにふれていると、心が「解放」された気分になる。
これに共感する人がどれくらい存在するのかわからないが、ぼくは中学校3年生のときにヒップホップに出会って以来、何度もその感覚を味わってきた。勇気が湧いてきたり、自分が強くなったように感じたり、不思議な力をもつヒップホップ。そのカルチャーの当事者でありたい、自分の価値観を形にしたい、という思いから、アルバムをつくることになった。
ところで、「解放」の対義語を調べると、「閉鎖」「束縛」「拘束」という言葉が並ぶ。そもそもぼくは、何に縛られているのだろうか。
閉鎖的な環境
ぼくは父と母、そして5つ年上の姉がいる家庭に生まれた。父は個人事業主として電気設備関係の仕事を営んでおり、おそらく集団行動が苦手なタイプだ。よくいえば職人気質、といった感じだろうか。母は、父の仕事を支えつつ、子育てに時間を割いていた気がする。彼女もきっと、集団行動が苦手なタイプだと思うが、父とは理由が異なる。自分の感情よりも、まわりを優先し、結果的に本人が疲れてしまうため、集団よりも個人行動のほうが楽そうな印象だ。姉の性格は、いまだによくわからない。
両親がそんな性格だったからか、親戚づきあいや友人家族との交流は多くなく、あまりオープンな環境で育ってきていないと、ぼくは大人になってから気がついた。
また、物心がついた頃には、すでに両親の仲が悪かった。「仲が悪い」という表現にも、さまざまな種類があると思うので具体的に説明すると、言い合いをしたり、物を投げ合ったりするような感じではなく、「他人」といった空気感だ。離婚はしていないので、書面上、夫婦であるのだが、他人のような関係性のまま、別居もせずに今もいっしょに暮らしているのが、息子であるぼくからみても不思議である。ちなみに、父と母がお互いの目を見ながら話している姿を、ぼくは見た記憶がない。
このような環境のなか、父は仕事が忙しかったこともあり、ぼくは母といっしょにいる時間が多かった。その影響か、ぼくの性格は母に似ていったと思う。だれからも悪く思われないように、要領よく人と付き合っていく八方美人。自分の感情を外に出すのが苦手で、一人でいるのが楽。そんな少年に育った。ややこしいのが、職人気質な父の血も混ざっているため、こだわりが強く、自己中心的な側面もある点だ。
出会いと広がり
中学校3年生の夏、ぼくはヒップホップと出会った。auでデータ通信無制限のプランが出始めた頃、母の携帯電話を借りて、何かの掲示板でたまたまダウンロードしたのが、Eminemの『Lose Yourself』だった。この出来事がなかったら、今のぼくはいない。東京に来ず、地元での生活を続けていただろうから、今の友だちや仲間とも出会えていないし、今の仕事に就くこともなかっただろう。
当時、学生でお金がなかったし、さほどインターネットも普及していなかったので、TSUTAYAやタワーレコードに日々通い、並んでいるCDを試聴機で聴きまくっていた。たぶん2〜3時間は、お店にいたと思う。
高校に入ってから、アルバイトをして貯めたお金で、ターンテーブルとミキサーを買った。これも何かの掲示板で、DJの動画を観たことがきっかけだ。レコードを集めて、ミックスやスクラッチの練習に没頭していたのを覚えている。だれに見せるわけでもなく、ただ自分の部屋で一人、ヒップホップに囲まれているのが楽しくて仕方なかった。ミックスをMDに録音して、高校の同級生に配ってみたこともあったが、「ふーん」といった感じだった気がする(記憶があいまいなので、まちがっていたら申し訳ない)。
それから時がたち、都内の専門学校を卒業。その後、思い切ってヒップホップのアパレルショップで働きたいと思った。アルバイトを募集しているかわからなかったが、電話してみたところ「履歴書をもってきて」と。生真面目だったぼくは、スーツを着て、お店に履歴書を渡しにいった。面接は無事に受かったが、垢抜けない田舎者をよく採用してくれたなと、入社後に何度も思った。
今までは、自宅で音楽を聴いたりDJしたりするだけで、ヒップホップを外から見ている第三者的な立場だったが、このお店に入って初めて、ヒップホップのカルチャーの中にいるような気分になって興奮した。
同時期に、専門学校の友人がクラブでDJすると聞き、遊びに行ったことがあった。そこで「いっしょにDJやろう!」と誘ってくれたこと、そして、アパレルショップの同僚で、すでにラッパーとして活動していたDali Tha Artに誘われたことがきっかけとなり、ぼくはクラブDJとして活動するようになった。2010年とか2011年頃だ。田舎者のぼくにとってはすべてが新鮮で、刺激的で、充実感や解放感に包まれた。
それから、クラブのイベントを通じて、BellくんやSHIMPEIくんと知り合うことになる。亮くん(Ryo Takahashi)は、アパレルショップのお客さんとして出会った。2016年には、Bellくんに誘われてBishop Arcade(ビショップ・アーケード)に加入。志峰やAki、ショウタくん(Shota Miyoshi)とも出会い、今にいたる。
クラブDJとして盛んに活動していた当時、一番思い出深いのは、2017年のTuxedo(タキシード)来日イベントだ。友人の協力もあり、渋谷VISIONのメインステージでプレイできた。
気がつけば、クラブDJを始めてからもう10年以上がたつ。最近は年に1〜2回程度の出演しかないが、今のぼくを形成する一つの要素であるといえる。クラブでは、先輩との付き合い方、後輩への接し方、大人としての立ちふるまいなど、多くのことを学んだ。
閉鎖的な環境で育った少年の世界は、ヒップホップとの出会いによって、どんどん広がっていったのだ。
新たな窮屈さ
ところが、過去とは異なる窮屈さを、あるときから感じるようになった。クラブには独特な文化があり、「こうあるべき」という凝り固まった思想が蔓延していたのだ。本来、だれもがありのままの姿でいいし、自由に楽しめる場所なはずなのに、偏った価値観を押しつけてくる人があまりにも多い。DJ活動の幅を広げていた当時、ぼくはまわりのDJに負けないように、この環境に馴染むのに必死だった。苦手なお酒も無理して飲んだり、内向的な性格ながらも人脈づくりに力を注いだりしていた。
ぼくの心を解放してくれるはずのヒップホップの存在が、いつしか息苦しさを感じる原因へと変わってしまった。
「同調圧力」という目に見えない暴力
コロナ禍によりクラブイベントが一旦なくなり、ぼくとクラブに距離が生まれたこと。また、病気により約半年間、休職して療養したこと。これがきっかけとなり、ぼくは吹っ切れた。好きなことは自分の好きなようにやりたいし、自分を大事にしてくれない人に対して無理に取り繕う必要もない。もっと自分の感情を大切にして、自分のために時間を使いたいと思ったのだ。
今までの人生をふり返り、学生時代から感じていた窮屈さや息苦しさの原因は「同調圧力」だったと知る。少数派に対して「こうあるべき」という思想を押しつける、目に見えない暴力。複雑な性格で、独自の視点をもっていた少年時代のぼくは、学校という環境が苦手だった。特に高校は、卒業後に就職する人が多い学校だったため、教師たちは「企業が“使いやすい”社会人を育てること」に力を注ぎ、ぼくたちの個性をつぶしにきていたと思う。
同調圧力に負けて、本来の自分を見失った人ほど、自分の人生を肯定したいがために、気持ちの悪い価値観を押しつけてくる。自分では「俺はやりたいことしか、やらねえ」みたいなことを歌っているくせに、他人の自由は認めない。そんな人がクラブには多い。いくらラップが格好良くても、いくらDJが上手くても、同調圧力に負けて、本質に向き合うことから逃げている人は、ぼくは認めたくない。ぼくを救ってくれたヒップホップの本来の姿が、そこにはないから。
ぼくとヒップホップ
内気な少年だったぼくを勇気づけ、視野を広げて、成長させてくれたヒップホップ。1973年にアメリカで生まれたその文化は、ある種、宗教に近いものだと思っている。日本において宗教という言葉は、いい印象を持たれないことのほうが多いと感じるが、人間だれもが自身の思考・行動パターンにおける影響元があるはずだ。ビジネス用語でいうと「マインドセット」だろうか。その影響元が、日本では両親ほか家族や先輩などの場合が多いのかもしれないが、僕の場合はヒップホップだった、というわけだ。
このように、ぼくの原動力となっているヒップホップの当事者でありたいという思い、そして、多くの生きづらさを生む「同調圧力」という嫌な空気が蔓延る社会への反抗心をもって形にしたのが、ぼくの1stミニアルバムだ。全曲プロデューサー兼ビートメイカーとして曲をつくり、7名のアーティストに参加いただいた。ぼくだけのテーマパークをつくるような感覚で、窮屈な心を解放させる多様な6曲に仕上げた。
ぼくは会社員として働き、霜降り明星や令和ロマンのラジオを好み、休日には散歩したり、美術館に行ったりするのが好きだ。この前、興味本位で行った「さくらももこ展」には、とても感銘を受けた。また、3年前くらいから植物にハマり、部屋には花瓶がたくさんある。服も好きだ。でも、高いものには興味はない。形と質が重要。特に靴や小物は、長く使えるものを選ぶ。今はお酒を辞めた。カフェインも摂らない。小麦も食べすぎないように注意している。たんぱく質は積極的に摂る。夜遊びは年に数回。よく寝る。
こんなぼくと、ヒップホップ。
この組み合わせに違和感を覚える人もいるかもしれないが、これがぼくの性格だし、ぼくの価値観だ。さあ、「同調圧力(ピア・プレッシャー)」を無視しよう。
Yohei Torii 『ピア・プレッシャー』
2024年11月20日リリース
Apple Music、Spotifyほか配信先一覧 https://linkco.re/QDnY5rdu