セネガル最大の行事「タバスキ」に参加してみた。
アフリカ最西端にあるセネガルに暮らして2年近く。
妻の仕事の都合に加え、暮らし心地や子育てのしやすさという観点から、当初の予定を延長して、少なくとももう2年はセネガルにいることになった。
そのセネガルでの年間最大行事と言えば、「Tabaski(タバスキ)」だ。
セネガルは人口の9割以上をイスラム教徒が占める国で、タバスキはそのイスラム教徒にとって最大のお祭り。日本語訳で「犠牲祭」とされる行事が、昨日あった。
タバスキの主役は、羊だ。
タバスキは、アラーの神に羊を捧げて一家の健康と安全を願う行事で、当日は家族で集まって羊を丸々一頭捌いて食べるのが慣習。
タバスキ前は羊の需要が一気に高まることから、街は羊であふれかえる。
買われた羊が車で運ばれていたり、いたるところから「メ〜ェメ〜ェ」と羊の鳴き声が聞こえてきたりするのは、もやは風物詩でもある。
当日を迎えると、街はセネガルにいることが信じられないくらい静まり返る。タバスキは家庭行事だから、当日は夕方になるまでほとんどの人が外に出ないらしい。
当日、幸運にも家族で知り合いのセネガル人の家にお邪魔させてもらうことになった。
羊を食べる以外は、家族が集まっておしゃべりしたり、歌ったり踊ったりして過ごす。子どもから大人まで、みんなこの日のために色とりどりの服を新調してお洒落を楽しむ日でもある。
日本だと他人の家族行事に参加するのは、よほどの関係性がないと心地悪そうだけど、セネガルでは違和感がまるでない。
というか、セネガルの家族観はなかなか素敵だ。
もともと大家族な上に、友達とか近所の人も家族同然の付き合いをしていることが多く、彼女彼らにとって「本当の家族かどうか」とか「血が繫がっているか」とかは関係ない。
セネガル人の友人は「自分たちが家族と思えば、それがもう家族なんだよ」と言っていたし、家族という概念が日本よりもずっと広い。
そんな家族観もいいなとぼんやり思っている間にも、せっせとお昼ご飯の準備が進められ、その日の朝に捌かれた羊が炭火で焼かれていく。
そして、お昼ご飯としていただいたのがこれ。
捌かれたばかりの肉は別格だ。
羊特有の臭みもなく、ちゃんと火通ってる?と思うほどにやわらかい(ちゃんと火が通ってない可能性もなくはない)。
肉嫌いの5歳の息子は食べなかったけど、3歳の娘は止まらないくらい爆食していた。間違いなく、今年食べた中で最も美味しいお肉だった。
お邪魔した家族は今年羊を2頭買ったらしく、羊の肉はいつも大きく3つに分けられるという。
肉の一部はその日に自分たちで食べて、もう一部は1週間かけていろんな人を呼びながら少しずつ食べる。
さらに一部は、お金がないなどの理由で羊を手に入れられない人に分けるのが慣例だそう。タバスキはすべてのイスラム教徒が安らかに過ごす日だから、どの家庭でもそうしているという。
イスラム教の教えに基づいているみたいだけど、そうした助け合いが当然のごとくあるのも「セネガルらしくていいな」と思う。
最近よく言われる「誰ひとり取り残さない(leave no one behind)」を体現しているし、困難を抱える人に手を差し伸べるのが「誰かの善意」に頼らない仕組みになっているのもいい。
セネガルで暮らしていて思うのは、セネガル社会に根付くこうした助け合いは個々人の「やさしさ」に依拠するものではない。あくまで社会として「そういうもの」になっている、ということだ。
それが子育てのしやすさにもつながっていて、ちょうど1年前にこんなnoteを書いたけど、「子育てのしやすさ」はいまもなお加速している。
そんなセネガルの暮らし心地にも触れつつ、タバスキ体験の詳細を、今週末「ちきゅうラジオ」というNHKのラジオ番組でお話しさせていただくことになった。
個人的にもタバスキはとても楽しい経験だったから、少しでもその魅力が伝わればなと思う。