アフリカ・セネガルでの年末年始の過ごし方
アフリカのセネガルで暮らし始めて4度目の年末。
セネガルに住む外国人は出身地に帰国して過ごすことが多いけど、うちは毎年末セネガルで過ごしている。
セネガルでの暮らしは相変わらず心地いい。
だけど3年半過ごしてのセネガル生活最大のデメリットをあげるとすれば、人との別れが多いことだ。セネガルで暮らす外国人の多くは期間限定の駐在で、2〜4年単位で人が入れ替わっていく。
僕らが来た当初から家族ぐるみで仲良くしていた日本人の多くも、セネガルを去った。そうして少しずつ仲良い家族が減ったり、変わったりしている。
人の入れ替わりをポジティブに捉えると、いろんなバッググラウンドを持つ人と出会えることがある。ここで出会う人たちは、海外生活をしない限り出会わなかったはずの人たちばかりだ。
だけど、やっぱりせっかく家族ぐるみで仲良くなった人たちとの別れはしんどい。子どもたち以上に、大人のほうがそのつらさを感じている。
これまでの年末も、その時々に仲の良い4家族くらいで一緒に過ごしていて、誰かの家で年越しをしたり、新年会をしたり、去年は旅行をしていた。
それが、今年は仲良しの家族のいくつかがセネガルを去ったり、たまたまセネガルにいなかったりもして、うちはとくにこれという予定もないまま、どうしようかなという感じだった。
だけど、そんな心配も杞憂だった。
住んでいるアパートの隣の家に、期間限定でニジェール人親子が引っ越してきて、9歳の双子姉妹とうちの子どもたちが一瞬にして仲良くなった。
クリスマス休暇のバカンスに入って学校が休みになってからは、その双子とうち子どもたちとで4人で朝から晩までずーっと遊んでいる。
お互いの家を勝手に行き来して、いつのまにかお昼ご飯を食べていたり、夜も泊まらせてもらったりしている。7歳と5歳のうちの子どもたちは2人でいると毎時喧嘩を繰り返しているけど、年上のお姉ちゃんたちと一緒だと喧嘩が勃発する間もなく、遊ぶことに忙しいらしい。
向こうの親もうちも、大して気を遣い合うこともなく、子どもたちがやりたいようにやらせている。子どもたちがどこで遊ぶかも、どちらの家でご飯食べるかも、どちらの家で寝るのかも、子どもたちがほとんど勝手に決めている。
セネガルでの子育てが心地いいのは、いろんなつながりがあることもだし、そのつながりのなかでも、人付き合いがざっくばらんなことも大きい。
日本だと、迷惑をかけないようにとか、何かと気を遣ってしまうことが多い。セネガルだと、悪く言えば適当、良く言えばいろんな関係性がざっくばらんで、それがうちの家族には合っている。
そして、大人も年末年始休暇に入ってからは、買い物に一緒に出かけたり、夜ご飯を一緒に外食したり、一緒に映画を見に行ったり、一緒に寿司パーティーをしたり、一緒に釣りに出かけたり、自分が子どもだったらめちゃくちゃ楽しいだろうなという日々を過ごしている。
年が明けたら、セネガル生活ではじめて家族だけでちょっとした国内旅行にも行く予定だったのけど、子どもたち同士で遊んでいたいらしく、どうしようかなという感じだ。
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そんな、ずっと友達と遊び呆けている子どもたちを見ながら、少しずつ遠くに行ってしまっているようにも感じている。
4歳の娘は少し前までお泊まりなんてできるはずもなかったのに毎晩のようにお姉ちゃんたちの家にお泊まりし、7歳の息子もフランス語でいろんなことを自己主張するようになった。
慌ただしい日常では忘れがちだけど、子育ては本当にあっという間だ。この時期に、1年前や2年前、3年前の写真や動画を見返すと、ちょっとした寂しさを覚えるくらいに子どもたちは成長している。
今年、第三子が誕生して、子育ての大変さを改めて噛み締めている一方、それ以上の小さな感動を日常にもたらしてくれている。7歳と5歳の子どもたちも、0歳児がかわいくて仕方ないらしい。
いつか、この「今」の何気ない日々がたまらなく懐かしくなるときがくる。「今」という日常は、少しずつ思い出になっていっているんだろうな・・・、なんて思いながら、セネガルでのもしかしたら最後かもしれない年末を過ごしている。