自分は努力できない脳だと認めよう(追記)
ドラゴン桜2を読んでいたら「努力できない脳」と言うキーワードを見つけた。これは科学的根拠に基づいた話しのようだ。
この説には思い当たる節がたくさんある。なんせ、僕は時間のかかる努力をした経験がない。と言うか、面倒ごとからは逃げてきた。テストで80点取るための勉強はできても、100点を取る勉強ができない。100点を取るには理解を深めないと取れないし、時間がかかるからだ。
これは仕事や人間関係もそうで、自分の中の"最低限"が維持できるレベルでしかリソースを投下しない。と言うかできない体質なのだ。
仕事の難しいところは"自分なり"ではなく、会社やクライアントの基準に沿って仕上げるのが当たり前な点だ。自分なり基準で生きてきた僕にとってこれは大きな問題だ。
工場勤務の頃は、よく怒られた。テストなら合格かもしれないが、製品は完璧でなければならないからね。
では当時をどうやって乗り越えたか。
当時は先輩と2人ペアで仕事をしていたのでクロスチェックを効かせられた。おかげで製品として送り出すことは可能だった。加えて組んだ先輩が仏のように優しかったので、その優しさに応えようと自分なりの努力を重ね、その場を乗り切った(怒られた上司とは別の方だ)。
これは人と環境に恵まれたことで問題を解決できた。けれどこの先、個人で解決しなくてはならない。
ドラゴン桜2で解説されていた方法は「努力せずに済む方法を考える」だ。
僕なりに言い換えれば「めんどくさいを簡単に」と言うことになる。
以前、めんどくさいは最強のツールという記事を書いたが、まさに僕のポリシーだ。いかに手間をかけず周囲と同等の成果を出すか。この思考を持って試し続けることが、僕のような「努力できない脳」の人が生き残る手段だと考える。
ちなみに僕個人としても面白い素性が、努力を最小にするための努力なら無限にできる気がするのだ。
例えば、海外のニュースを毎日投稿するためにはそれだけ調査が必要で、編集し、投稿する作業が必要だ。
これを自動化できないか?
そんなことを考えた結果が、RSSリーダーで情報をサーベイし、twitterに投稿するシステムを組むことだった。
このシステムを作るためにPythonを勉強したり、コードを書いては修正した。この作業には結構な時間をかけた気がする。手作業でニュースをサーベイした方が早いんじゃんね?って思うほどにはシステム作りに手間をかけた。
けれど、その工程が実に楽しい。こういう作業を努力や我慢に感じたことがないのだ。
仕事は楽しくない物、なんていう上司ばかりの世界にいたけれど、ラクに済ませる作業は楽しいわけで、楽しくする工夫をすることから逃げているようにも思うわけだ。それで成果が出るならいいじゃないか。
少し話しが逸れたが、「努力できない脳」人間なりに「めんどくさい」を武器にこれからも生きていく。
5/28 12:00追記
努力できる脳、努力できない脳の実験を調べてみると、参加した人数は25人。ちと少なすぎやしないか? と思った。
けれど、自分がこの話に共感できたのは、あまりにも自分に思い当たる節が多かったからだ。
とは言いつつ、サボりぐせの原因は集中力を鍛えてこなかったことが要員でもある。事実、断捨離して部屋から誘惑を取っ払ったら意識がそれることが減ったので、脳タイプは変えられなくとも、努力するスタンス作りはできると思われる。
自分の脳タイプは受け入れる。楽をするための努力を続ける。それだけだ