係争事案を経験した感想
係争したといっても現在進行中案件で、これから裁判になる予定です。
係争するというのを辞書で引いてみると、「訴訟で、当事者間で争うこと」
となります。文字通りです。
係争するときの流れとしては、いうなれば前夜祭→祭という流れです。
火種があって、内容証明を送りあったり、「こっちの要求を呑まないなら裁判するぞオイ」みたいな感じ(実際は懇切丁寧な文章を送ります)でやりとりするのが前夜祭です。
裁判が本祭。
まだ本祭前なのですが、経験からの感想が非常に多かったので本稿でバーっと書きたいと思います。なお、係争内容に関しては、主旨ではないので、本祭終了後に気が向いたら書きたいと思います。カテゴリーとしては、発生していない費用をひたすら請求され続けられるというやつです。
1. メンタルへの影響面
これが一番大きいのですが、いくら自分に非がないと思っていたとしても、誰かから不快感をかっているという意識は、かなり強いストレスがあります。自分は正しいわけだから堂々としていればいいといえばそうです。しかし、頭で頑張ってそう言い聞かせても人間という生物上そういう構造になっていません。なぜならちょっと昔まで少し気を抜くといきなり刺されたり襲われたりするような戦国時代から人間という生き物のアップデートが追いついていないからだそうです。
内容照明をもらったときとかは、ストレスに反応して一気にコルチゾールが分泌され、それを引き金に心臓に血液がグングン集まってきて戦闘モードになるのがわかります。外敵から狙われているのと同じような感じです。日常でも、係争事案が未解決だと、常に脳のメモリ2%を持っていかれているような感覚があります。生産性にももちろんネガティブな影響があるのは間違いありません。
これを踏まえると、皮肉にも、内容によっては納得感がない中でも早々に相手の要求を呑んでしまう方がよっぽど費用対効果の高い結果に終わるのではないかと思います。しかし、そういう合理的な判断をできないのが人間です笑。これは、不慣れな状況で収束の見通しに確信が持ちにくい中で判断しないといけないので仕方ないと思います。もちろん感情的に押し込まれて終わっていいのか?的な自問自答があるので進行中は非合理と認識しづらいのだと思います。
自分はときどき瞑想したり、また、忙殺されるようなライフスタイルではないので好きなことをしたり生活習慣を守ったり、夜友人に愚痴ったりしてなんとかそれで処理しきれましたが、人によっては鬱になったり、精神的に萎えてしまったりとか全然あるのかなと思いました。裁判というと、弁護士で十分かと思われがちです。自分も顧問がいたので、コトあるたびに相談しました。しかし、弁護士はメンタルケアのプロフェッショナルではないし、してくれません。すぐに顧問弁護士に話しかけれる環境だけでも随分緩和されますが、裁判にはメンタルサポートのプロフェッショナルも必要だなと思いました。また、メンタルケアできる弁護士いたら最強だなと。
また、当事者になったときのおすすめとしては、今後の流れを洗い出して、それぞれ何を起点にその展開になるのかというトリガーの部分と、どのくらいの確率で起こるのかという可能性の部分を把握しておくのが良いかなと思います。
また、小手先のテクニックとしては、ストレスのかかるタイミングで心の中で「イエーイ」と唱えます。これをすると、なんだか脳が楽しいイベントと錯覚しかけるので、前向きに捉えやすくなります。
また、経験者としては、内容照明とか「裁判するぞ!」的なポーズとかで前夜祭を盛り上げるのはやめて、さっさと裁判してしまう方が良いのかなとも思います。そういう判断で、今回はこちらから債務不存在の確認訴訟を起こします笑
2. 弁護士というプロフェッショナルの限界
裁判における必要なトータルサポートを考えたときに、弁護士の果たすことのできる役割というのは、あくまで限定的なのだなと感じました。断っておきますが、これは批判とかそういう話ではないです。弁護士の業務でカバーされていないと感じたのは、2つです。前段のメンタルケアの部分が1つです。もう一つは、交渉の部分です。多分通常は代理人という立ち位置になってもらってもっと高いフィーを払えば交渉部分も依頼できたと思います。今回は、顧問という形でのアドバイスをいただくだけだったので法的な事案についてどのような解釈になるのか、主張になるのかのというところの専門的な見解を教えてくれるにとどまり、基本的に相手に対してどういう主張をどのタイミングでどういうふうに送れば良いか、またどういう立ち振る舞いをした方が相手がこちらの要求を呑む可能性が高いかといった解決に向けた交渉の企画面は、逐一お願いするわけにもいかず、基本的に自分でこうしたらどうか、あーいうのはどうかとか考えて、簡単に意見や失点や懸念点がないか確認して進めるような流れででした。
3. 小額だと、泣き寝入りの世界
書いていて思いましたが、双方の折り合いがつかない場合は、裁判になる社会ですが、裁判をするにしてもそこに払う出費、時間やエネルギー、メンタル負荷には誰も補償してくれません。そういったコストと裁判することで得られる精神的な満足や期待される収入と比較すると裁判することの費用対効果が見出せずに諦めてしまうようなケースというのは山ほどあるのだと思います。逆にそういった状況を逆手にとって裁判してこない可能性の高さを踏まえて悪意のある振る舞いをする温床も放置されていると思います。現在は、本人訴訟による少額訴訟がもっとも簡潔でハードルが低い訴訟提起と思いますが、それでも二の足を踏む人が多そうです。これ以上考えるのはやめますが、もう少しカジュアルに訴訟でき、カジュアルに判決や和解まで進むような状況まで法整備など含めて進めば良いなと思います。
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