3647. 「ティール組織」のブームの背後にある発達論的消費行動(その1)
時刻は午後の二時を迎えた。つい先ほど仮眠を取り終え、これから午後の活動に入っていく。
今日は昼食時に、とんでもなく旨いものを口にした。それは、ある協働者の方が仕事上の書類一式に加えて同封してくれた「万能和風だし」である。
この和風だしは、ティーバッグのようなものに入っており、それをお湯に浸すだけで出汁(だし)が取れる便利なものだ。毎朝ティーバッグでお茶を作っている感覚で、それをスープを飲むための器に入れ、お湯をかけてみたところ、極めて旨いスープが出来上がった。
本来の使い方は、その出汁を使って味噌汁を作ったり、うどんを作ったりすることにあるようだが、私は出汁をスープ代わりに飲むことにした。その味が極めて懐かしく、極めて旨く感じた。
和風だしというのはそもそも、いろいろな具材からこし出されるものであり、その旨味は様々な要素の複雑な組み合わせが生むものだと思う。日本にはこのように、多様な要素が複雑に絡み合う中で具現化されるものを見出す力が本来あるのだと実感させられた。
「妙味」というのは、このように様々な要素が複雑に絡み合い、その結果として生み出された一つの事物なのだと改めて思わされた。
昼食時に使った出汁を取るためのティーバッグはもう一度使えると思ったので捨てずに取っておき、今日の夜もそれをスープ代わりにして飲もうと思う。協働者の方から本当にいい贈り物をいただけたと改めて嬉しく思う。
今日は午前中に、他の協働者の方たちとの勉強会に向けて、課題論文を読んでいた。昼食前にその予習が無事に済んだ。
その勉強会で取り上げているのは、発達心理学者のスザンヌ・クック=グロイターが執筆した “Nine Levels Of Increasing Embrace In Ego Development: A Full-Spectrum Theory Of Vertical Growth And Meaning Making (2013)”という論文である。これは査読付き論文ではないのだが、そうであったとしても、勉強会で取り上げる価値のあるものだと思って昨年の後半からそれを取り扱うことにした。
クック=グロイターの理論モデル、さらにはビル・トーバートの理論モデルでいうところの「達成者型の段階」、ケン・ウィルバーのモデルでいうところの「合理性段階」、さらにキーガンのモデルでいうところの「自己主導段階(発達段階4)」までの個人の思考・判断・行動は、社会的にプログラミングされているものなのだということについて改めて考えていた。
こうした段階においては、例えば成人発達理論やインテグラル理論を含め、それらを既存の自分の世界観ないしは物語の中で消費する行動を取る。「取ることが多い」という表現にしようと考えたが、十中八九、ほぼ間違いなく彼らは、それらの理論以外にも、マインドフルネス瞑想にせよ、システム思考にせよ、リフレクションにせよ、いかなる実践に関しても、それらを自らの既存の物語の中で消費しようとする。
そして、ここで述べている自らの既存の物語というのはまさに、社会的にプログラミングされているものであり、それに無自覚であるということが彼らの大きな特徴である。ある知人の方の話によると、最近は「ティール組織」という言葉が聞かれることは滅法少なくなり、それもまた一時的なブームだったのだろう。
そして、そうしたブームの背景にあったのは、世間を支配している上述の発達段階の人々が、単に「ティール組織」の枠組みを一時的に消費しようとした行動があったのだろうと推察される。そして彼らは、その消費行動を終えたところで、今度はまた別の消費対象を探しているにちがいない。
その対象が成人発達理論やインテグラル理論になるのか、はたまた他の理論や実践になるのかは誰にもわからないが、彼らの消費行動には継続して注意を向けて行こうと思う。さらに言えば、彼らが相も変わらず、既存の物語の中で消費行動を続けることに対して建設的な批判を投げかけていくような態度を私たち自身が持っておく必要があると思う。
そのためには、私たち自身が各種の社会的なプログラミングから脱却する必要がある。それでは、そうした各種の社会的なプログラミングから脱却していくためには何が必要かということを考えてみると、数ある方法の中でも、一つはそうしたプログラミングの存在と特質について言及している論文や書籍を読むことは非常に有益だろう。
もしそうした文献が具体的にどのようなものかわからないのであれば、それはまさに、私たちの目が社会的なプログラミングによって曇らさられていることを示しているように思う。そのようなことを仮眠後にぼんやりと考えていた。フローニンゲン:2019/1/7(月)14:40
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