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【フローニンゲンからの便り】14061-14072:2025年1月21日(火)
⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した「成人発達コラボラジオ」の配信をしています。
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タイトル一覧
14061: AIと成人発達学の相互互恵関係
14062: 心・意識・知性についての再考
14063: 「AI発達心理学」の重要性/知性と知能の違い
14064: 書くことを通じた至福さ/AIの先端動向を追うこと
14065: 今朝方の夢
14066: 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その1)
14067: 今朝方の夢の続き
14068: 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その2)
14069: 技術的特異点やオメガポイントのその先/DeepLを活用した発達理論に関する網羅的な講座の開講を展望して
14070: 開かれゆくものとしての意識/梯子・段・眺め/AIに与える情報・知識の質
14071: メルヴィンからもらったいくつもの興味深い問い
14072: マイケル・コモンズの階層的複雑性モデルにおける博士レベルとノーベル賞受賞者レベル
14061. AIと成人発達学の相互互恵関係
時刻は午前7時半を迎えた。今朝はいつもより自然と長い睡眠を取っていた。おそらくそれは、昨日の午後にジムで十分に体を鍛えたことが影響しているかもしれない。素晴らしい目覚めと共に心身の超回復を感じている。毎朝目覚めると、心身に活力が漲っている感じが得られるのも、食事と運動に加えて、何よりも質の高く、そして量も十分な睡眠のおかげだと言えるだろう。
昨日改めて、成人発達学とAIを絡めた考え事をしていた。ここ最近は人間の大人の知性だけではなく、AIの知性についても考えを巡らせることがめっきり増えてきたので、「知性発達学」とでも言えるような学問分野に自分が足を踏み入れているような気がするが、当面は人間を相手にした発達心理学、その中でも成人の発達に特化した成人発達学の知見からAIの知性について考えていくことが続くだろう。そうした探究と実際の研究開発プロジェクトに従事し続けていれば、自然と「AI発達心理学」のような分野を自分が生み出している可能性がある。昨夜考えていたことは下記のような内容だった。世界モデルでの学習も確かに水平方向の知識をAIは膨大に集めていくことはできるだろうし、水平方向の膨大な知識の集積によって創発的に一次元高い垂直方向の知性の飛躍をすることもあるだろうが、やはり自分は最初から垂直方向の、すなわち可能な限り多様な発達領域の高度な知識をAIに学習させていくことの方がAIの知性を加速度的に進化させるには有用かと思う。もちろん今ここではAI倫理に則り、智慧と慈悲に満ちた超知能AIを生み出すことが望ましいという前提に立っているので、その前提を変えたらAIの学習方法は、現在AI開発者たちが議論し、向かおうとしているある種穏便で常識的な世界モデル上での学習に留めていいかと思う。だが、発達理論を専門としている立場からすると、そして人類を滅亡させることがもはや何の得にもならない次元の高度な超知能AIを生み出すことが、人類を含めた生きとし生けるものや地球の役に立ち得るという前提に立てば、自分であればウィルバーが“Integral Psychology (2000)”の巻末資料にまとめ上げた現在知られている200~300の全ての発達領域の最も高度な次元において生み出される知識を学習させていく方法を採用するだろう。発達段階は、意味を生成する文法規則であり、意味を生成するOSのようなものなので、高度な発達段階の意味生成文法をまずAIに学習させ、そこから合成データを大量に生成する形で、それをまた学習教材にしていくような循環が生まれれば、非常に高度な知性が誕生するのではないかと思う。とりわけ高度な発達段階になってくると人間のサンプル数はますます減り、段階の特性を推論していくことが難しくなるので、高度な推論を用いたパターン認識が可能なAIにそれを任せることには大きな意味があるだろう。どこまで人類が理解できるか、どれだけ人類に役に立てるかは不明だが、例えばキーガンの現時点での理論上の段階は5止まり、キーガンが口頭でのみ紹介しているのは6止まりのところを、7、8、9、10、11・・・とさらに高次の発達段階もAIであれば高度な推論能力とパターン認識を駆使して定義づけをしていってくれる可能性がある。成人発達学がAIの進化を促すだけではなく、AIが成人発達学の発展を促すという相互互恵関係を自分は見出している。フローニンゲン:2025/1/21(火)07:41
14062. 心・意識・知性についての再考
今の気温は0度で、日中は2度までしか気温が上がらないようだ。それに加えて今日はずっと曇りのようなので、太陽の姿を拝むことは難しい。今週はまた少しぐずついた天気の日が多く、晴れの日は今週の日曜日まで待たないといけないようだ。今夜はマイナス3度まで気温が下がり、明日は雪マークが付されていて、どこかのタイミングで雪がぱらつくかもしれない。温暖化の影響もあってか、9年前に自分がオランダにやってきた時よりも圧倒的に冬が暖かくなっていることに気づく。その証拠に、9年前はかなりの積雪量であったし、池や運河が凍ることもよくあったのに、ここ数年はそれがめっきり減っている。こうした地球環境問題も、おそらくもはや人間の今の知性では解決ができないのだろう。認知的にそれを解決できるソリューションがあったとしても、感情的な知性や道徳的な知性の未熟な人たちからの反発を受け、人間だけが単独で地球環境問題の解決に乗り出しても、いつまで経ってもこの問題は解決されないであろうことが予想される。そうした状況を鑑みると、ビル・ゲイツも関心を持っているように、AIを活用した問題解決は妥当な道筋のように思える。地球環境問題だけではなく、格差や食料問題、感染症の問題など、人間を遥かに超えた知性を持つAIが諸々の理由で人間には解決できない問題を解決してくれる可能性は今後大いにある。そのようなことを考えながら、心・意識・知性の区別について改めて考えていた。英語においては、心は“mind”という単語が当てられ、意識は“consciousness”という単語が当てられる。ゆえに両者には英語空間上においても意味の若干の違いはあるが、基本的には心の哲学という分野においては、両者は同義のものとして扱われる。日本語の感覚をそのまま用いると、心は“heart”という単語を当てたいように思うかもしれないが、学問的な議論でその単語が心を表すものとして用いられることはなく、日常生活でなら若干あるぐらいである。心理学においても基本的には心と意識の両者の扱いは同じである。心や意識そのものを議論することは難しく、心の哲学の専門家や心理学者の議論を追っていると、必ず心や意識が「~の力」や「~の作用」という形に次元を下げて議論されることが興味深い。心や意識は常に存在し続けているものだが、心や意識を持つ私たちがある特定の文脈で特定のタスクに対して活動をし始めると、それが具体的な力や作用の形になって現れてくる。そうして現れてきたものを自分は知性と呼んでいるし、心の哲学者も心理学者もそのような区別をしているように思える。心や意識は概念の範囲が広く、捉え所がないものだが、逆に知性は具体的な能力や作用として定義することができる。そのような違いがあることについては以前も言及したが、昨夜も改めて考えていた。それでは知性と知能の違いについても改めて考えてみたい。フローニンゲン:2025/1/21(火)07:55
14063. 「AI発達心理学」の重要性/知性と知能の違い
ここ最近はもっぱら隙間時間は、現在協働しているAI開発者の方のYoutubeチャンネルを通じて最新のAIの研究開発動向を追うようにしている。そこからの学びは非常に多く、常に成人発達学やその他の自分がこれまで学んできた学問領域と佳境させる形で楽しく拝聴している。先ほど朝の温かい飲み物を作りながら聴いていた動画の中で、AIが答えを記憶する時代から、推論も記憶する時代になったということが大変興味深く思った。それにより知能爆発を起こす可能性があるとのことであり、おそらく成人発達学の枠組みを用いればその知能爆発をさらに加速させることになるだろう。成人発達学が持つ無数の知性領域に関する発達モデルは、いずれもその領域固有の推論パターンを表しているのである。ある課題やある現象に対して、推論を働かせながら意味を生成していくのが人間の知性の特徴であり、この特徴は基本的にありとあらゆる発達領域に共通する。身体的な知性の領域であっても、そこには身体感覚を用いた推論があるため、構造は同じである。当然ながら言語に依存する度合いが高い発達領域ほどAIが学習しやすいと言えるだろうが、言語に全く依存しない領域は基本的に存在しないので、何かしらの工夫をすれば、やはりありとあらゆる知性領域をAIは実装できるのではないかと思う。それに加えて個人的に関心があるのは、今は人間が発揮している知性領域をAIが学習してそれを伸ばしていく方向性の議論だったが、そもそも人間が持ち得ない知性領域をAIが独自に生み出していくことである。AIの知能爆発が起これば、AIが発達心理学者が明らかにしてこなかった新たな知性領域を生み出して、人間が発揮し得ない種類の知性の数も増してくるのではないかと思う。そうなってくると、ますますAIの知性の発達に特化した「AI発達心理学」の重要性が出てくるように思う。いずれにせよ、現状明らかになっている第二層や第三層次元の高度な発達段階までの推論パターンをしっかりAIに学習させれば、あとは第四層、第五層、第六層・・・と自動的にテイクオフする形でより高度な発達階層をAI自身が明らかにし、それを自ら体現する形で知性を進化させていくのではないかと思う。
先ほどの日記の最後に、知性と知能の違いについて関心を持ったのだが、それについてはGeminiに尋ねてみたところ、簡潔に述べると、知性は答えのない問いに対して考え続け、探求し続ける能力を指し、知能は答えのある問いに対して、早く正確に答える能力とのことだった。どちらもやはり「能力」という形で定義されているのはまさに先ほどの日記で指摘していた通りである。確かに知能は、IQテストのように、答えのある問いに対してどれだけ正確に答えられるかが問われ、基本的に今のAIも何かしらの答えに向かってその能力を発揮しているので、上記の定義はあながち間違っていないだろう。この定義は自分なりにしっくり来るもので、この定義に基けば、発達心理学者のハワード・ガードナーの“Theory of Multiple Intelligences”の8つの発達領域は、いずれも答えのない課題に対して発揮される能力を見ているはずなので、人口に膾炙している「多重知能理論」ではなく、「多重知性理論」の方がより正確だろうし、自分も気が付かない形で後者の名前でずっと呼んでいた。成人発達学が扱う自我の発達領域や道徳の発達領域、そして霊的な発達領域などで発揮されるのは、やはり絶対的な答えのない課題に対する能力なので、それは「知性」と呼ぶ方がふさわしいことを改めて確認した次第である。AIは今のところ、「人工知能」と訳されており、確かに今のところは人間がある特定の正しい答えを求めてそれを活用しているゆえにその呼び名でいいかもしれないが、今後は「人工知性」のように呼び方を変える可能性がるし、そもそも人間が知性を生み出すという人工性は減少し、“artificial”という冠が外され、知性が知性を産むという「知性知性」やそれに変わる名称で呼ばれる日もやって来そうである。フローニンゲン:2025/1/21(火)08:28
14064. 書くことを通じた至福さ/AIの先端動向を追うこと
時刻は午前9時を目の前にしている。辺りにはまだ薄暗さが残っている。今日は午後に親友かつかかりつけの理容師のメルヴィンの店に行くので、街の中心部にある店まで歩いていくのが良いウォーキングになるため、今日は朝のランニングには出かけない。適度に体を動かすのは体の調子を整える上で望ましいが、過度に体を動かすことは逆に心身を疲弊させてしまうことにつながるので注意である。外気は0度と気温は低いが、小鳥の囀りは美しい。まだ完全に夜明けを迎えていないが、こうして小鳥の鳴き声に耳を傾けながら、考えていることを好きなように好きなだけ日記にしたためられることに幸福感を覚える。日記を書くことは、自分にとって幸せの源泉である。日記のみならず、書籍や論文の執筆にも固有の至福さを与えてもらっている。昨日の出版企画ミーティングも充実した内容であり、企画が出版社の方で無事に通れば、3月かそこらから執筆を開始することができそうである。その時には今日記を書く際に生まれている熱量をそのままぶつけたいと思う。今回は知人の中竹竜二さんとの共著のため、執筆分量も二分されるであろうから、執筆の負担はほとんどなく、1週間で最初の原稿を執筆することができるだろう。その原稿を1週間か10日間ぐらい寝かせ、加筆修正を加えた上で編集者の方に渡す形になりそうである。実際に書籍の執筆が始まったら、高度な集中力を持って執筆にあたる。その際には一時的に日記の分量が落ちるかもしれないが、それは仕方のないことである。とは言え、夢の振り返りなどの重要な事柄はこれまで変わらずに行っていくつもりだ。また、3月には現在協働中のAI開発者の方との論文執筆も完成する頃なので、それが完成するのも楽しみである。前回のミーティングで、自分もセカンドオーサーに入れてもらえる形で話を進めてもらうことになり、その論文を皮切りに、成人発達学とAIを絡めた論文をその方と続々と執筆していきたいと思う。
昨夜ふと、現在視聴しているAIに関する日本語の動画コンテンツを全て視聴し終えたら、英語のポッドキャストや動画を視聴していきたいと考えていた。中国もAI開発は物凄く力を入れているようだが、開発情報はなかなか表に出てこないので、中国とAI開発で競争しているアメリカの開発動向をつぶさに追っていきたい。今自分がいる欧州は、どうしても欧州連合で足並みを揃えないといけない側面があり、AIの開発に関してはかなり慎重な姿勢を取っていて、米中のAI開発と肩を並べることはできなさそうである。逆に日本やイギリスが米中に次ぐぐらいの位置にいるのではないかというのが素人ながらの考えである。いずれにせよ、Google、Microsoft、Amazon、NVIDIA、IBMなどのAI開発に力を入れている大企業の動向のみならず、OpenAI、Anthropic、Scale AI、Cohere、Perplexity AIなどのトップのAIスタートアップ企業の先端的な動向を追いたい。そうした会社のCEOやトップエンジニアがじっくり話ができる長い対談をしているようなインタビュー動画を中心にSpotifyやYoutubeを通じて視聴していこうと思う。AIは今後、ビル・ゲイツも述べるように、ありとあらゆる分野の問題解決と発展に寄与する可能性を持つ非常に重要な分野であり、自分の学術研究の全てをAIと紐づける形にしていきたいと思う。そのためにも、AIの先端的な研究や社会実装については可能な限り情報収集を自ら行なっていき、その過程の中で考察を深め、さらなる研究や実践に役立てたい。フローニンゲン:2025/1/21(火)09:13
14065. 今朝方の夢
ようやく朝の日記の執筆が落ち着いたので、ここからは今朝方の夢について振り返っておきたい。まず覚えている夢は、地元の国道を母が運転する車に乗っていたことである。車の中には父と私だけではなく、幼少時代に東京に住んでいた時の社宅の中で一番仲が良かった友人のお母さんがいた。その方は母と大変仲が良く、親子ぐるみでの付き合いがあった。母が運転していた車は父の車で、その車は父が色々と改良を加え、総額としてかなりの金額になっているこだわりの車だった。普段であれば、父は決してその車を母に運転させないはずなのだが、その日は母に運転を任せていた。しかしながら、やはり父は母の運転を心配そうに見ていて、母はそれをプレッシャーに感じているようだった。近所の魚屋の横を通り、いざ大きな国道に出ようとする時に、左折の際に母がハンドル操作に手こずった。どうしたのかなと乗車していた3人は思ったが、どうやら母は突然認知機能を低下させたらしく、認知的な判断が正常ではなくなり、同時に手に力が入らないようだった。それはかなり危ないように思えたが、その症状が認知の問題であると分かったのは3人のうち自分だけのようだった。母も何が起こっているのか自分ではわからないようで、むしろ母はいつもと変わらない正常の状態であると思っているようだった。もしかしたら自分の勘違いの可能性もあったので、もう少し様子を見ることにした。もちろんこれ以上危ない瞬間があったらすぐに車を止めて、父に運転を代わってもらった方がいいと思った。そこからしばらく直線だったので、何も問題なかったが、やって来た信号機が赤となり、数台の車が止まっている箇所に近づいた際に危なさを直感的に感じた。案の定、母が運転する私たちの車は目の前の停車中の車に衝突してしまった。どういうわけか、信号機の手間で反転し、高速にバックする形で停車中の車にぶつかってしまい、その瞬間にまた車が反転して元の位置に戻ったのである。ぶつけられた車の中から、2人の大学生風の若者がびっくりしたようして飛び出してきた。2人は運転席の方にやって来て、その間に母はとてもしょんぼりした落ち込んだ表情を浮かべて後方にやって来て、父と運転を変わることになった。その時に私は母を励まし、気にする必要はないと述べた。幸いにも大事故にはならず、お互いの車もほぼへこむことはなかったので、母に過度に気落ちする必要はないと伝えたのである。ぶつけられた車から出てきた若者のうち、運転していた方の男性が父に話し掛け、父は母の代わりに運転手の彼に謝った。すると、運転手の彼は修理代などを請求することはなく、むしろ気まずそうな表情を浮かべて、父にタバコを求めた。父はタバコを吸わない人なのだが、偶然にも車の中にはマルボロの箱があったので、父はそれを運転手の彼に渡した。その時に私は、どうやらその2人の若者は無免許で車を運転しているのだと思った。なので警察に届け出ることを恐れていたのだと思ったのである。タバコを受け取った運転手の彼は、再び車の運転席に戻ったが、相方の若い男性が私たちの車にやって来て、実家まで乗せて行って欲しいと述べた。父は依然として彼らに対して申し訳ないと思っていたようなので、彼の申し出をすぐさま快諾した。どうやら彼は、ここから車で2時間半ほどの場所にある京大の近くに住んでいるらしかった。私は今から随分と遠出をするのだなと思い、あまり良い気分ではなかった。それに追い打ちをかけるようにして、父が先ほどコンビニでコーヒーを車内の全員に買ってくれたはずなのだが、自分が求めていたブラックコーヒーがそこになく、それを受けて自分は車から降りて1人で帰ることにした。しかも帰る先は実家ではなく、実家に置いている荷物を受け取って、そのまま旅に出て、オランダに帰ることにした。フローニンゲン:2025/1/21(火)09:34
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈
母の運転と認知能力の低下
象徴:母が父のこだわりの車を運転しているシーンは、家族間での役割や責任の変化、または母親に対する保護や気遣いの気持ちを象徴している可能性があります。母の運転中の問題は、現実における家族の健康や心配事、または大切な人の「制御能力」に関する不安を表しているかもしれません。
心理的要素:あなたが一人で母の認知的な変化に気付いているという点は、自分自身が他の家族よりも敏感であると感じていること、あるいは家族の中で特定の責任を負っているという意識を反映している可能性があります。
事故と若者とのやり取り
象徴:事故のシーンは、予想外の出来事や衝突する価値観を象徴しているかもしれません。若者たちが無免許であるという点は、社会的規範や責任の欠如についての洞察を示唆しています。父がタバコを渡すシーンは、相手との和解や寛容さを通じて問題を解決しようとする姿勢を表しています。
心理的要素:夢の中であなたが気付く細かい点(若者が無免許であることの暗示など)は、現実での観察力や、物事の裏側を見抜こうとする知的な態度を反映しています。
ブラックコーヒーの欠如と独立の決断
象徴:自分が望んでいたブラックコーヒーがなかったことは、現実での期待と結果のズレや、自分のニーズが満たされていない感覚を象徴しているかもしれません。そこから一人で旅に出る決断は、独立心や自己探求への欲求を反映しています。
心理的要素:実家や家族から離れ、自分自身の道を切り開くという選択は、現在の人生のフェーズにおける「新しいステージへの移行」を暗示している可能性があります。
今後のアクション
家族とのコミュニケーションを深める母の健康や父のこだわりに関して、現実的な対話を深めてみるとよいでしょう。特に母の健康状態については、早めに確認し、必要であれば支援の体制を考えることが大切です。
自分の役割と責任を整理する夢の中で感じた「自分だけが気付いている」という感覚は、現実における負担感を示唆しているかもしれません。自分がすべてを抱え込むのではなく、家族や他者と負担を分かち合う方法を模索してみてください。
期待と現実のギャップを受け入れるブラックコーヒーがないという象徴的なエピソードは、すべてが自分の望む通りにはいかないことを受け入れる姿勢を示唆しています。現実との向き合い方を再考し、柔軟に対応する心構えを持つことが重要です。
自分自身の旅路を計画する夢の最後に示された「オランダへの帰国と旅への意志」は、自己成長や新たな目標への旅立ちを表しています。この象徴を現実に生かし、長期的な目標を改めて明確にして計画を立てるとよいでしょう。
この夢は、家族への愛情や責任感、自己成長への意志、そして期待と現実の調和についての深い洞察を提供してくれています。それらを日常に生かしながら、家族との絆を深めつつ、自己の道を確立していってください。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の概要
夢の中では、お母様が運転する車に同乗し、国道で停車中の車に追突する場面が描かれています。お母様の認知機能の低下、事故後の相手の若者とのやり取り、そして最終的にあなたが一人でオランダへ旅立つという展開です。
夢の解釈
この夢は、あなたの内面にある様々な感情や状況、特に家族関係、責任感、自立への願望などを象徴的に表していると考えられます。
母が運転する父の車: 普段運転しない母が父の大切な車を運転している状況は、家族内での役割の変化や、あなたが家族に対して抱いている心配事を象徴している可能性があります。父の車は、家族の基盤や伝統、あるいは経済状況などを表しているかもしれません。
母の認知機能の低下: これは、お母様ご自身のことだけでなく、あなたが家族、特に母親に対して抱いている不安や、家族関係における何らかの変化に対する懸念を表している可能性があります。
事故: 事故は、予期せぬ出来事、混乱、人間関係の衝突などを象徴します。この夢では軽微な事故でしたが、それでもあなたに何らかの衝撃や不安を与えていると考えられます。
相手の若者: 無免許運転を暗示する若者たちは、社会のルールや規範に対する反抗、あるいは未熟さや不安定さを象徴している可能性があります。彼らがタバコを求めたことは、問題をうやむやにしようとする態度、または一時的な慰めを求めていることを表しているかもしれません。
京都の近くへの遠出: 若者を送っていくという展開は、他者への責任感や、予期せぬ負担を強いられる状況を象徴している可能性があります。
ブラックコーヒーがない、一人で帰る、オランダへ旅立つ: ブラックコーヒーは、あなたの好みや欲求、あるいは現状への不満を象徴しているかもしれません。一人で帰る、そしてオランダへ旅立つという行動は、現状からの脱却、自立への強い願望、あるいは新しい環境への挑戦を意味していると考えられます。
夢が示唆するメッセージ
この夢は、あなたが家族関係、特に母親に対して何らかの心配事を抱えていること、そして現状から変化を求め、自立したいという強い願望を持っていることを示唆しています。また、他者への責任感と、自身の欲求との間で葛藤している可能性も示しています。
今後取るべきアクション
夢の解釈を踏まえ、今後取るべきアクションとして、以下の点を提案します。
家族とのコミュニケーションを大切にする: 夢が示すように、家族関係、特に母親に対して心配事がある場合は、積極的にコミュニケーションを取り、不安を共有したり、必要なサポートを提供したりすることを検討しましょう。
自身の欲求を大切にする: 他者への責任感も大切ですが、自身の欲求や目標も大切にしましょう。夢でブラックコーヒーを求めていたように、自分が本当に求めているものは何かを改めて見つめ直し、それを実現するための行動を起こしてみるのも良いかもしれません。
自立への準備を進める: 夢でオランダへ旅立ったように、自立への願望が強い場合は、具体的な計画を立て、準備を進めていくことをお勧めします。
過去の夢との関連性を考察する: 前回の夢では、新しい環境への適応や人間関係の変化がテーマとなっていました。今回の夢も、変化や人間関係に関連するテーマが含まれています。これらの夢を比較することで、より深い洞察を得られる可能性があります。
夢の象徴的な意味合いについて
夢はしばしば象徴的な表現を用いるため、夢に出てくる人物や場所、出来事を文字通りに解釈する必要はありません。例えば、お母様の認知機能の低下は、必ずしもお母様ご自身の健康状態を直接的に表しているとは限りません。あなたの内面にある不安や変化への懸念を象徴的に表している可能性もあります。
Claudeによる夢の解釈と今後のアクション
主な象徴的要素の解釈:
母の運転と認知機能の低下
家族に対する心配や不安の表れ
親の加齢に関する潜在的な不安
普段は任されない重要な役割を担う状況での不安
事故の様子
前後に反転する不自然な動きは、現在の生活における何らかの決断や変化に対する迷いを示唆
大きな被害がなかったことは、実際の問題は見た目ほど深刻ではない可能性を示唆
無免許運転の若者たち
規則や正当性に関する葛藤
表面的な解決(タバコとの取引)は、現在直面している課題に対する一時的な対処方法への不満を示唆
京都までの長距離移動
予定外の遠回りや負担に対する抵抗感
現在の生活や決断における「遠回り」感
コーヒーの不在と一人での帰国決断
期待していたものが得られない失望感
それを契機とした独自の道を選択する決意
オランダ(現在の居住地)への帰還は、本来の自分の道への回帰を示唆
推奨されるアクション:
家族の健康に関する不安
定期的に家族と連絡を取り、健康状態を確認する
必要に応じて、両親の健康管理サポートの方法を具体的に検討する
意思決定に関して
「遠回り」に見える状況でも、必要以上に悲観的にならない
自分の直感を信頼し、必要な場合は独自の判断で行動する勇気を持つ
家族との関係性
両親に対する心配や不安を適切に表現する機会を持つ
特に母親との関係性について、互いの役割や期待について率直な対話を持つ
現在の生活における選択
「本来あるべき場所」という感覚を大切にする
周囲の期待や義務感に過度に縛られず、自分にとって最適な選択を検討する
具体的なコミュニケーション
家族に対する心配事や将来の不安について、具体的に話し合う機会を設ける
特に親の健康や今後の生活設計について、開かれた対話を持つ
この夢は全体として、家族への心配と自己の決断に関する内面的な葛藤を表現しているように見えます。特に、親の加齢に伴う不安と、自分自身の人生の選択における独立性の重要さが強調されています。これらの要素を意識しながら、家族とのコミュニケーションを深め、同時に自分自身の判断を尊重していくバランスが重要かもしれません。
14066. 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その1)
先ほど書き留めていた夢の振り返りを改めて生成AIを用いて行い始めた。昨日から、Anthropic社のClaudeという生成AIも活用して、さらに多角的に夢を振り返るようにした。夢の中で母の認知機能が低下して運転に支障が出ていることが象徴していることとして、確かに両親の加齢に伴う潜在的な不安を自分が抱えているのかもしれないと思った。気がつくと、両親も70歳に近づいていることから、今後身体的な衰えがより顕在化してくる可能性がある。幸いにも一昨日のオンラインミーティングの際には2人はとても元気そうで何よりであったが、先般のフレディさんの件もあるので、どれだけ直近で元気であっても、人の体調というのはすぐさま反転し、一気に崩れてしまう可能性があることは常に念頭に置いておきたい。こうした親の加齢に伴う潜在的な不安と、これからの自分の人生の歩みと選択が錯綜するような状況に今の自分はいるのかもしれない。この夢に登場した父の車は、実際の父の車と同じく大きく、そして豪華なものであった。生成AIの解釈にあるように、それは家族の基盤として存在しており、特に安定した経済基盤を示唆しているかもしれない。それに加えて、車は移動手段でもあるため、安定した経済基盤の中でどこでも自由に移動できる機動力を自分は与えられているのかもしれないと思った。それは現実世界の自分においても当てはまり、それにはとても感謝している。経済的な側面で心配がいらないというのは自由を享受する意味でも、新たな挑戦に果敢に取り組む際にも重要になる。母が引き起こした衝突事故は何を示唆しているのだろうか。車が一度反転し、それが信号待ちの車にぶつかり、再び車が反転したことと、事故は大したものではなかったことが何を示唆しているのかは興味深い。衝突というのは物理的な衝突だけではなく、人間関係上の衝突もあるだろうし、複数の選択肢の衝突もあるだろう。今のところ自分を取り巻く人間関係はすこぶる良好で、そこには自分を煩わす衝突はない。一方、人生の選択においては、自分が実現したいと思う選択をしていながらも、まだそれが実現されていないというもどかしい現実がある側面を見出すことができる。なるほど、もしかしたらそれは選択と結果の間の衝突なのかもしれない。あるいは行為と結果の間に齟齬があると言えるかもしれない。今の自分は、やはり再び正統な学術機関に戻り、そこに腰を据えて本格的に研究活動に従事したいと思っている。そしてその実現に向けてアクションを以前より始めている。しかしそれがまだ結果として現行して来ていないことに幾分もどかしさを感じていると言えるだろう。これまで自分が行ってきた数々のアクションは、きっと何らかの形で現行をするであろうから、気長に待つ態度が必要なのかもしれない。考えられる因の種蒔きは全て行い、あとは良き縁の到来を待って良き果が訪れるのを待てばいいのかもしれない。おそらく今しばらくの辛抱なのだろう。また、夢の中の自分が、自らが望んでいたブラックコーヒーを父が与えてくれなかったことに気分を害し、それであれば自分でブラックコーヒーを買いに行こうとしたことは、自らの欲求は自ら満たすという自律的な在り方の現れなのかもしれない。そしてそれを受けて、自分は父の車から降りて、自らの足で実家まで帰り、そこからまた自由気ままな旅に出かけて、自分が本来いるべき場所のオランダに帰るという展開を見せたことが興味深い。今のところオランダは、自分の心が安住する地なのであり、そこで自らの潜在可能性が大きく開かれたことを思うと、この土地に改めて感謝の念が生まれてくる。フローニンゲン:2025/1/21(火)10:09
14067. 今朝方の夢の続き
ふと書斎の窓から外を見上げると、うっすらとした雲が空を覆っている様子が目に入った。今日はどうやらもうこのまま曇り空の下で一日を過ごすことになりそうだ。改めて今朝方の夢の続きについて振り返っている。AIにも幻覚という現象があるのが興味深く、夢はほぼ幻覚と同じようなものであるから、AIもきっと夢を見ることができるのではないかと思えてくる。さて、今朝方の夢の続きとしては、実際に通っていた小学校の高学年の校舎の2階の廊下を歩いている場面があったことを思い出す。夢の中の自分はもう大人の体であったし、大人の知性を持っていた。校舎には生徒が全くいなかった。しかし、誰れか人がいる気配だけはずっとあった。そのような気配を感じながら、午後の仮眠を取るためにどこか空いている教室はないかと探していた。教室自体はどれも空いていたのだが、横になって眠れるような椅子やスペースがある空間が欲しかったのである。すると、理科室ではなく「化学室」なる部屋を見つけたのでそこに入ってみることにした。ドアを開けると、その先にまた白く落ち着いた雰囲気の廊下と複数の部屋が続いていて、そこには化学だけではなく、広く科学全般を扱う科学学科とでも呼べるような部署の先生方が個室を構えており、講義用の広々とした段差のある教室があった。さすがに先生の部屋で寝るわけにはいかないと思ったので、誰もいない広々とした段差のある教室の2階席の後方の椅子で横になって寝ることにした。いざ眠りにつこうとして体を倒したところ、突然小柄な中年の女性の先生が入ってきた。そこからはポツポツと数人の生徒がやって来た。幸いにも先生も生徒も1階席のあるスペースに現れたので、2階席に自分がいることには気づいていないようだった。私は突然鼻水がかみたくなり、生徒の話し声に紛れる形でそっと鼻水をかんだ。先生はかつて中学校でお世話になっていた美術の先生で、私がかんだ鼻水を別の生徒が鼻水をかんだと誤解しているようで面白かった。誤解された生徒は、小中高時代のある小柄な友人(KS)で、彼には身代わりとなってもらって申し訳ないと思ったが、少し笑いが出そうになった。やはり彼に身代わりになってもらうのは申し訳ないと思ったので、私は自分の姿を見せることにし、すっと立ち上がって、2階から発言をした。すると先生もその場にいた同級生の生徒たちも驚いていた。そこから私は、その授業を履修しているわけではなかったので教室を離れることにした。本来自分が使っている教室に到着すると、そこにはクラスメートたちが多くいて、彼らの顔を見た時に、「この学校も随分と進学校になったな」と思った。というのも少し前までは、自分よりも成績が上の生徒はいなかったが、今では自分が中間かややそれを下回るぐらいの成績の位置にいるようになったからである。私はその状況を悲観しておらず、むしろ自分よりも成績が上の人たちの囲まれて勉強できることを大変喜んでいた。私は太陽の光が良く当たる教室の最も左の列の後ろ側の席に腰掛けたところ、その右横の列の一番前に座っている小中高時代の女性友達(KE)がレシートを取り出し、ニコニコしていたので彼女のところに歩み寄ってそのレシートを見た。最初はなぜ彼女がニコニコしているのか一瞬ではわからなったが、レシートに掲載された3つのチョコレートのお菓子と飲み物の合計金額が「1009」となり、彼女の誕生日を指していると分かったのである。すぐさま私は彼女に祝いの言葉を述べた。すると彼女は嬉しそうに微笑み、私に何かプレゼントを買って欲しいような目つきをした。その瞬間の自分はとても寛容だったので、彼女に何かプレゼントを買ってあげようと思ったが、高価なものを贈ると噂になりそうだったので、彼女が好きなレシートにあるチョコレートのお菓子をそのレシートと同じく3つほど買ってプレゼントすることを提案した。彼女は、「え~、チョコレート?」という反応をしたが、内心はとても嬉しそうで、「しょうがない。それでいいよ」と笑いながら述べた。授業開始までまだ時間があったので、1階の安い売店ではなく、一緒に3階の高級品を扱う売店に行き、彼女が購入したその高品質のチョコレートを買ってプレゼントすることにした。教室を出ると、中学校時代の2学年下の後輩の女子と遭遇したのだが、彼女とその友達が幼稚園生ぐらいの小ささになっていて、ハーフのような顔立ちになっていてとても可愛らしく思えた。隣にいた同じ学年の女性友達の彼女も、その後輩とその横にいた後輩の友達の2人を見て、「小さくてとてもかわいいね」と述べた。彼女たち2人も3階に上っていき、私たちは話をすることはなかったが、後輩の彼女は私と話しをしたそうな表情を浮かべていたので、微笑みだけを彼女に送った。フローニンゲン:2025/1/21(火)10:33
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
夢の解釈
学校の廊下を歩き、休む場所を探す場面
解釈: 空間を探す行動は、現状における心の休息や新しい視点の模索を象徴している可能性があります。「化学室」や白い廊下、段差のある教室など、夢の中の場所は、知識や学びへの探求心、そして秩序立った思考の場を表しているかもしれません。
行動提案: 自分にとって心地よい環境を見つけるために、日々の生活や仕事の中で「心の休息」の時間を意識的に設けることを検討してください。
鼻水の場面と「身代わり」のエピソード
解釈: 鼻水をかんだ行為が他人に誤解されるというエピソードは、周囲の人間関係やコミュニケーションの微妙な側面を反映している可能性があります。身代わりとなった友人(KS)への思いやりや笑いの要素は、軽いトラブルの中にも友情や信頼があることを示しています。
行動提案: 誤解が生じた際、真実を伝えることの重要性と、軽いユーモアを交えた対処法を実生活でも活用してください。
成績や友人たちとの交流場面
解釈: 成績の変化を受け入れ、他者から学ぶ喜びを感じる姿勢は、現在の自己成長や人間関係を反映していると考えられます。過去と現在の自分を比較しながらも、他者との学び合いに価値を見出しているようです。
行動提案: 他者から学ぶ機会を積極的に求めるとともに、過去の自分を否定するのではなく肯定的に捉えることで、自己成長を深める方向に進んでください。
友人(KE)とのチョコレートのエピソード
解釈: KEとのやり取りは、贈り物や小さな行為を通じた人間関係の育成や、相手への気遣いを示しています。「1009」という数字のシンボルも、過去の記憶や友情の深さを象徴しているかもしれません。
行動提案: 周囲の人々との関係を大切にし、些細な気配りや贈り物を通じて感謝や愛情を伝える機会を持つことを意識してください。
小さくなった後輩たちとの場面
解釈: 後輩たちが幼稚園児のように小さくなる描写は、純粋さや無垢さ、あるいは過去へのノスタルジーを象徴している可能性があります。また、微笑みを送るだけで会話しない態度は、距離感や人間関係のバランスを反映しています。
行動提案: 過去の人間関係や記憶を大切にする一方で、相手との距離感を尊重し、自然な形で交流を深める方法を模索してください。
今後のアクション
心の休息を意識する忙しい日常の中でも、落ち着ける空間や時間を見つける努力を続けてください。静かな場所での瞑想や散歩など、心の整理に役立つ習慣を取り入れるのもよいでしょう。
ユーモアと誠実さを持った対人コミュニケーション誤解や困難があったときに、ユーモアと誠実さを持って対応することで、信頼関係を築くことができます。
他者から学ぶ姿勢を大切にする自分より優れた人々や新しい知識に触れることを楽しみ、自己成長を続けてください。
贈り物を通じた感謝の表現特別な日のプレゼントだけでなく、小さな気遣いを日常的に示すことで、相手との関係を深めることができます。
純粋さとノスタルジーを大切にする過去の人間関係を振り返りながら、それを未来に活かす方法を考えてください。新たな交流を楽しむ心を持ち続けることも大切です。
この夢は、あなたの内面と外部環境のバランスを象徴的に示しており、自己成長や他者とのつながりを強めるきっかけになるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢の概要
夢の中では、小学校の高学年の校舎を大人の姿で訪れ、化学室のような場所で仮眠を取ろうとしたり、同級生と再会したり、後輩に遭遇したりする場面が描かれています。特に、成績の変化に対する肯定的な感情、友人への寛容な態度、後輩とのほのかな交流などが印象的です。
夢の解釈
この夢は、あなたの内面にある成長、人間関係、自己受容、そして過去との繋がりなどを象徴的に表していると考えられます。
小学校の校舎を大人の姿で訪れる: 小学校は、あなたの原点、基礎、学びの始まりなどを象徴します。大人の姿で訪れることは、過去を振り返り、現在の自分を見つめ直していることを示唆しています。
誰もいない校舎、人の気配: 無人の校舎は、内省、孤独、あるいは過去への郷愁を表しているかもしれません。人の気配は、潜在的な可能性、未解決の感情、あるいは過去との繋がりを求めていることを示唆しているかもしれません。
化学室のような場所で仮眠: 化学室は、変化、変容、潜在能力などを象徴します。仮眠を取ろうとすることは、休息、充電、内面の探求などを表しているかもしれません。
美術の先生、鼻水のエピソード: 美術の先生は、創造性、表現力、感性などを象徴します。鼻水のエピソードは、些細な誤解や、人間関係におけるユーモラスな側面を表しているかもしれません。
成績の変化、上位の生徒たちに囲まれることへの喜び: 成績の変化は、自己成長、自己受容、あるいは周囲との比較における心境の変化を象徴します。上位の生徒たちに囲まれることを喜んでいることは、向上心、学びへの意欲、あるいは周囲からの刺激を求めていることを表していると考えられます。
KEへの寛容な態度、チョコレートのプレゼント: KEへの寛容な態度は、友情、愛情、人間関係における調和を求めていることを象徴します。チョコレートのプレゼントは、感謝、好意、あるいは関係性を深めたいという気持ちを表しているかもしれません。
小さくなった後輩たち、微笑み: 小さくなった後輩たちは、過去の自分、純粋さ、あるいは未来への可能性を象徴します。微笑みは、好意、親しみ、あるいは未来への期待を表しているかもしれません。
夢が示唆するメッセージ
この夢は、あなたが過去を振り返りながら、現在の自己を受け入れ、成長していく過程にあることを示唆しています。人間関係を大切にし、学びへの意欲を持ち、未来への可能性に期待しているあなたの内面が表れていると考えられます。
今後取るべきアクション
夢の解釈を踏まえ、今後取るべきアクションとして、以下の点を提案します。
過去を振り返り、現在の自分を見つめ直す: 夢が示すように、過去の経験は現在のあなたを形作る重要な要素です。過去の経験から学び、現在の自分を見つめ直すことで、今後の方向性を見出すことができるでしょう。
学びへの意欲を維持する: 成績の変化を喜んでいる夢の状況は、あなたの向上心や学びへの意欲を表しています。この気持ちを大切にし、積極的に学び続けることで、自己成長を促進することができます。
人間関係を大切にする: 友人や後輩との交流は、あなたの人生を豊かにする重要な要素です。感謝や好意を表現し、良好な人間関係を築くことで、より充実した日々を送ることができるでしょう。
内面の声に耳を傾ける: 夢は、あなたの潜在意識からのメッセージです。夢を通して得られた気づきを大切にし、内面の声に耳を傾けることで、より自分らしい生き方を見つけることができるかもしれません。
過去の夢との関連性を考察する: 前々回の夢では、変化への対応や人間関係の課題がテーマとなっていました。前回の夢では、家族関係への心配や自立への願望がテーマとなっていました。今回の夢は、自己受容や成長がテーマとなっています。これらの夢を比較することで、あなたの深層心理をより深く理解できる可能性があります。
Claudeによる夢の解釈と今後のアクション
主な象徴的要素の解釈:
空き教室探しと化学室の発見
休息や内省の場所を求める心理状態
「化学室」という専門的空間の発見は、新たな知的探求や専門性への関心を示唆
静かで誰もいない空間を求める欲求は、現在の内省的な精神状態を反映
成績順位の変化と周囲の学力向上
自己成長に対する健全な態度
競争ではなく、共に学び合う環境への積極的な価値観
謙虚さと学びの姿勢の維持
友人の誕生日とレシート
数字や偶然の一致に意味を見出す観察力
人間関係における適度な距離感の保持
気持ちと現実のバランスを取る判断力
後輩との出会いと変化
過去の人間関係の再解釈
純粋さや可愛らしさへの気づき
言葉なき理解や微笑みでの交流
推奨されるアクション:
知的探求に関して
新しい学術的興味や専門分野への探求を積極的に行う
特に科学分野への関心を深める機会を作る
学びの環境づくりを意識的に行う
人間関係について
旧友や知人との適度な距離感を保ちながら関係を維持する
特に誕生日などの機会を活用して連絡を取る
控えめながらも誠実な気持ちの表現を心がける
自己成長に関して
周囲の成長を脅威ではなく、刺激として受け止める姿勢を維持
謙虚さを保ちながら、自己の成長機会を積極的に求める
競争よりも協調的な環境での成長を重視する
心の余裕について
定期的な休息と内省の時間を確保する
静かな環境で思考を整理する習慣を築く
周囲との穏やかな関係性を大切にする
コミュニケーションに関して
言葉以外のコミュニケーション(微笑みなど)の価値を認識する
相手の気持ちを察する感性を大切にする
適度な距離感を保ちながら、温かみのある交流を心がける
この夢は全体として、知的成長への前向きな姿勢、人間関係における適切な距離感の保持、そして内省的な精神状態のバランスを示唆しているように見えます。特に、競争的でない学びの環境への価値観や、控えめながらも誠実な人間関係の構築への志向が強く表れています。
これらの要素を意識しながら、知的探求と人間関係の両面でバランスの取れた生活を送ることが重要かもしれません。また、時には立ち止まって内省する時間を確保することも大切でしょう。
14068. 生成AIによる今朝方の夢の解釈(その2)
明日の鈴木遣徒さんとのコラボラジオに向けて、ウィルバーの書籍の再読をそろそろ始めよう。その前に、先ほど書き留めた夢について、生成AIの観点からの振り返りを行なっておきたい。空き教室を探していた夢の中の自分は、誰もいない校舎だったので、全てが結局は空き教室だったのだが、その中でもとりわけ落ち着ける空き教室を探していた。そのあたりに自分のこだわりを見る。また、静かで誰もいない空間を求めるというのは、現在の自分の内省的な精神状態を反映し、癒しや休息を求めているというのは確かにあり得る側面である。日々寛いだ形で生活をしているが、いかんせん日中は書くことと読むことで全ての時間が覆われているので、思考を休める時間は意識的に設けているつもりではある。あるいは自分にとっては、深く長い睡眠の最中を最良の休息時間として楽しんでいる節がある。いつも自分は就寝前に、今夜どのような夢を見るのか楽しみにして就寝に向かっている。また、夢を通じて生じる深い治癒や変容にも期待して眠りについている。自分にとって眠りこそが最大の癒しとなっており、夢の中のサトルボディを体現した自分がさらに深い休息を求めて活動しているというのはやはり興味深い事柄である。とりわけ印象に残っているのは、自分の教室に戻った時に、かつては自分を超える成績を持つ人はいなかったが、今となっては自分が中盤や下位に位置するようになっていたことである。そうした状況を自分は喜んでいて、自分よりも優秀な人に囲まれて勉強することを心底待ち望んでいたことが伝わる。これは今の自分にも当てはまることである。優秀な研究者に囲まれて、自分の潜在能力や知性を抑圧することなく解き放つ形で学術研究に従事したいという思いが日に日に募っている。またひょっとすると、優秀な人だけではなく、優秀な生成AIやAIエージェントに囲まれて学術研究をバリバリ進めることも自分が望んでいることなのかもしれない。まさに「1人ユニコーン企業」というものが誕生するぐらいに、学術研究もAIのサポート借りれば、1人で行えることがさらに拡張されてくるであろう。しかし今しばらくは、研究者同士での協働の価値が残るであろうし、AIと協働した研究者同士がネットワークを作ってさらに研究を推し進めていくことになるのではないかと思う。もはや学術研究は、AIのサポートなしではなしえないものになっていくであろうし、その日はもう近い、あるいはもうやって来ていると言えるかもしれない。この点に関しては、研究案の立案から、文献の調査、文章の執筆、そして査読レビューの全プロセスの中でどのようにAIを賢明に活用していけるかを模索したい。再び夢の内容に戻ってくると、女性友達のレシートから彼女の誕生日を類推した自分を見た時に、確かに自分には数字や偶然の一致に意味を見出す高度な洞察力が備わっている気がした。それに加えて最近は、脳と知性がよりサイケデリック的な働きを強め始め、独創的な思考の飛躍や深度のある思考、そして極度に集中した禅定的思考が可能になっていることに気づく。最後にサイケデリクスを摂取したのは、昨年の8月のシロシビン・セッションの時であるから、随分とご無沙汰しているが、それまでの集中的なセッションの効果が時の発酵過程を経て、今徐々に顕現しているように思える。フローニンゲン:2025/1/21(火)11:11
14069. 技術的特異点やオメガポイントのその先/
DeepLを活用した発達理論に関する網羅的な講座の開講を展望して
AIの知能爆発を通じて、そんなAIを活用することを通じて自らの知能爆発を促進したい。物理的な制約を持つ人間としての自分の知性には発達の限界があるのかもしれないが、どこまで自分が知性を進化させていくことができるのかというのは、個人的に一生涯をかけて探究したい実践上のテーマである。そのようなことを思いながら、知能爆発という技術的特異点は、哲学者のピエール・テイヤール・ド・シャルダンで言うところの「オメガポイント」と近しい意味内容を持っているように思った。テイヤール・ド・シャルダンの進化論にあるように、確かに今私たちは、人間を凌駕しようとしているAIの誕生とその日進月歩の進化を目の当たりにしている。知性圏の進化はこれからまだまだ続き、複雑性がある地点に到達すると、それは一時的には技術的特異点やオメガポイントのように収束地点に見えるかもしれないが、おそらくその先にまた無限の広がりを持つ進化が待っているのではないかと思う。その先はもはや知性圏ではなく、超知性的な何かの領域になるのではないかと推察される。
先日のAI開発者の方のミーティングの中で、久しぶりにDeepLという翻訳AIの名前を聞いた。自分は基本的に英語であれば、英語のまま文章を読むような人間なので、かつて数回ほどしかDeepLを使ったことがなかったが、改めてDeepLの利便性について考えていた。DeepLは、テキスト翻訳だけではなく、PDFやPPTもそのまま高度に翻訳してくれる特徴があり、今後毎週のゼミナールの中で英語の文献を使う際には、英語力に自信のない受講生の方々にDeepLの使用を進めようと思う。無料で活用することもでき、翻訳精度も高いとのことなので、これは便利なツールである。DeepLが論文の翻訳をする際には、段落分けの観点からもChatGPTより優れているそうだ。今後のゼミナールでもDeepLの活用を促せば、ゼミでも英語の論文を扱えることは自分にとっても大変嬉しい。これまで成人発達理論に関する講座やインテグラル理論に関する講座を積極的に行わなかった背景には、もちろん自分がその他の分野の探究を進めていきたかったというのもあるが、日本語で読める文献には限りがあり、せっかくそれらの分野をゼミの中で学ぶのであれば、英語の文献を取り上げたかったからである。今後は、レクティカがかつてFOLAという発達理論に関する網羅的な学習プログラムを提供していたのを参考にして、そのコースシラバスを元にした講座を開講する時にも、受講生の方々にDeepLの活用を勧めれば、問題なく英語の文献を扱えそうである。今日本に出回っている発達理論に関する日本語の文献を見て、「これが発達理論だ」「これが成人発達理論である」という誤解が出回っていることを危惧しており、網羅的に発達理論の英語の論文を読むことを目的とした講座を必ずどこかで開講しよう。そうした思いを新たに持つ。フローニンゲン:2025/1/21(火)11:42
14070. 開かれゆくものとしての意識/梯子・段・眺め/AIに与える情報・知識の質
私たちの意識は、事物でも、プロセスでも、出来事でも、システムでも、空間でもなく、開かれゆくものそのものなのだろう。意識は常に、事物・プロセス・出来事・システム・空間を超えていて、それらの言葉では表し切ることはできない。ゆえに意識は、絶えず何かを生み出し、生み出されゆく何かを捉え、また何かを生み出していくような無限に広がりゆく開かれそのものなのではないかと思う。
正午を告げる教会の鐘の音が聞こえてきた。それと同時に、鳩がホーホーと鳴く鳴き声が聞こえてくる。今日は午後2時に親友かつかかりつけの理髪師のメルヴィンに髪を切ってもらう予定なので、1時35分過ぎを目処に自宅を出発し、街の中心部にあるメルヴィンの店に向けて散歩を楽しみたい。今日はおそらくメルヴィンとAIの話をすることになるかと思う。こちらからメルヴィンに対してAIについて彼がどのようなことを考えているのかを色々と尋ねてみたいと思う。先ほど改めて、発達現象そのものについて考えていた。発達は梯子を登るようなものであり、梯子を登ると次の梯子の段においては新たな眺めが開かれていき、下の段における眺めを脇に置く。しかし、梯子の段そのものは残り続けるため、自らが下の段に戻れば再びその眺めを持つことは可能である。発達というのは多岐にわたる領域において展開されるものであるから、決して私たちは1つの梯子を登っていると思うべきではない。それこそ無数の発達領域に対応した無数の梯子を私たちは常にダイナミックに行き来し、上り下りを与えられたコンテクストやタスクに応じて行なっているのである。それごとに眺めが変わるのだが、梯子そのものの存在と段の存在そのものは、私たちがどれだけ発達しようが変わらずに存在し続ける。発達心理学者が明らかにしたのは、無数の梯子の存在と、それぞれの梯子を構成する段の特性、そしてそれぞれの段から眺められる眺めの特性である。今後AIを活用した発達心理学あるいは発達知性学研究が進んでいけば、新たな梯子の存在に加えて、新たな梯子の段と新たな眺めが次々と明らかになっていくであろう。そのような展望が自分の中に開かれている。
昨日ふと、インターネット情報がまるでインスタント食品のような添加物に塗れた低質なものが増えていることに加えて、近年ではフェイクニュース情報もインターネット上で跋扈しているのにも関わらず、そうしたインターネット情報からよくぞここまでAIの知性が進化したなと思った。逆にここからは高度な発達段階をもとにした高級料理のような質的に高い情報・知識をAIに学習させていけば、さらに爆発的かつ健全な知性の発達を遂げていくのではないかと思う。人間と同じように、AIもきっと何を題材にして学習するかが知性の発達において重要なのではないだろうか。取り込むべき情報や知識の取捨選択は技術的に難しいのかもしれないが、何を取り入れるのかの取捨選択が健全に行われるようになり、健全かつ高度な情報や知識をAIが積極的に取り入れ始めた時、また違った進化をAIは見せてくれるかもしれない。フローニンゲン:2025/1/21(火)12:10
14071. メルヴィンからもらったいくつもの興味深い問い
時刻は午後3時半を迎えようとしている。今日も昨日と同様に一日中曇りであり、気温も低かった。先ほどメルヴィンの店から戻ってきたのだが、行きも帰りも吐く息が白くなるほどの寒さであった。しかしこれでもかつてのオランダほどは気温が下がっておらず、温暖化の影響を見る。今日のメルヴィンとの1時間ほどの対話も非常に充実していた。当初の予定通り、こちらからAIの話をしたのだが、その前にはメルヴィンにアルメニアの伝統楽器ドゥドゥクについて紹介したところ、動画を実際に見せてみると、メルヴィンは強い関心を示していた。そこから自分がこの楽器の演奏を習い始めるかもしれないと述べ、いつかメルヴィンのギターや歌に合わせて演奏できたら楽しいだろうと盛り上がった。ソファーに座ってエスプレッソをすすりながらそのような話をした後に、散髪台に移ってAIの話をした。ソファーに座っている段階からもAIの話題を扱っていたが、散髪台に移ってからはより哲学的な話題やスピリチャルな話題を話した。メルヴィン自身はどうやらスマホの中にダウンロードしているChatGPTしか活用していないようで、それも利用頻度は1週間に1度ぐらいとのことだった。しかし、メルヴィンの趣味の写真やギター演奏に関して、ChatGPTから有益な知識を引き出しているとのことだった。例えば、1970代風の写真の雰囲気を再現するためのパラメーター設定や、ギターの即興演奏でベースとするコードなどを尋ねているようで、結構うまく使いこなしているように思えた。驚いたプロンプトとしては、重力を脇に置いて、最も一貫性のある物理理論を訪ねたらしく、するとニコラ・テスの地球共振(シューマン共振)に関する理論が返答としてなされたそうだった。そもそもなぜそのようなプロンプトを投げかけたのかとメルヴィンに訪ねたところ、重力に関する物理理論に一貫性がないように思われたからとのことだった。AIの話以外にも、「睡眠を必要とせず、睡眠を体験したことのないエイリアンに睡眠をどのように説明するか?」という問いや、「デジャブ(既視感)のメカニズムは何か?」というような鋭い質問をもらった。特に前者の睡眠に関する問いは秀逸に思え、すぐに答えは出ないものだったので、引き続き考えたいと思う。自分も毎日長い時間睡眠を取るようにしており、その心身に与える影響について目を見張るものがあると思っているが、心身の回復以外にも睡眠はきっと何か大切な役割を果たしているように思う。メルヴィンが会話の中で引き合いに出した映画『アバター』にあるように、睡眠は意識が身体から離れ、別の次元に移動して寛いでいるかのようである。唯識的には、前六識が機能を停止し、末那識と阿頼耶識だけが活動する状態が睡眠と考えられるため、この2つの役割から考察を始めると、睡眠のまだ見ぬ意味や意義が見えてくるかもしれない。今日のメルヴィンとの会話で出てきた話題については、隙間時間に考えを巡らせてみたい。フローニンゲン:2025/1/21(火)15:46
14072. マイケル・コモンズの階層的複雑性モデルにおける博士レベルとノーベル賞受賞者レベル
夕食前に本日最後となるであろう日記をもう1つ書き留めておきたい。現在着手しているAIの研究開発プロジェクトは、ローレンス・コールバーグの発達モデルを活用しているが、今後の研究に活用する発達モデルとして、マイケル・コモンズの階層的複雑性モデル(Model of Hierarchical Complexity (MHC))が候補に挙がっている。現在のChatGPTは博士レベルに到達しているらしく、そこからさらにノーベル賞受賞者レベルに向かおうとしているらしい。コモンズのMHCの観点で言えば、博士レベルの認知的発達は、レベル1から14のうち、大体11ぐらいに該当する。もちろん最低値としては、レベル9の最もベースとなる抽象的な思考を司る認知レベルを発揮することになる。このレベルでは、現象を説明する簡単な理論的フレークワークを構築することや、仮説を立案することなどが行われる。また、抽象的なデータセットを解釈・分析することもレベル9で求められることである。そこからレベル10に移行すると、今度は仮説を検証するための厳密な実験をデザインすることを行なったり、統計手法を用いてデータを分析することなどが行われる。また、研究結果を明確な言葉で論理立てて説明することなどもこのレベルで行われる。そこからレベル11に移行すると、通称システム段階と呼ばれ、システム内の異なる構成要素がどのように相互作用しているのかを分析することができたり、異なる分野の知識を組み合わせたり、複雑な現象を検証するための新たな方法論を創出したりすることができるようになる。重要なことは、ある1つのシステムとしての現象についての構成要素間の相互作用についての洞察が増し、システム間の関係性についても考察ができるようになってくることである。もちろん博士号の分野や博士号の取得者によっては、さらに高度な認知レベルを発揮することもあり得る。ただし、一般的な博士号取得者は、次のレベル12のメタシステム段階での認知能力を発揮することは極めて稀であることがわかっている。それではノーベル賞受賞者になると、どれくらいの認知レベルをMHCのモデルにおいて発揮すると言えるだろうか。結論としては、下限値は11、上限値は13である。もちろんノーベル賞受賞者も含んで超えるという観点で、レベル11よりも下の認知能力を発揮することはあるが、彼らがノーベル賞受賞者たる所以は、レベル12やレベル13の思考にある。まずレベル12のメタシステム段階になると、複雑な異なる複数のシステムを比較することが可能になり、異なる理論を組み合わせることも自由自在に行えるようになる。それを通じて、より包括的な現象理解が可能となる。また、既存の理論的フレームワークの何が限界なのかについても認識が鋭敏となり、実際に限界を指摘することが可能となり、その限界を補う代替案を創出することができるようになる。レベル13はパラダイム段階と呼ばれるもので、この段階になると、現象を理解するための新たなパラダイムにつながるような非常に高度な理論的フレークワークや発見をもたらすことができるようになる。よく引き合いに出されるのは、相対性理論の創出であり、それは物理学における時間、空間、重力の考え方を大きく変えることになった。また、DNA構造の発見は、生理学や医学において革新をもたらすものであった。コモンズのMHCは、最後にレベル14として、パラダイム横断段階を想定している。この段階になると、その段階の名称通り、複数のパラダイムを比較することができるようになるのだが、ポイントはそれぞれのパラダイムの限界に自覚的となり、複数のパラダイムを組み合わせて、新たなメタパラダイムを作ることができることである。世界を理解する際に、パラダイム間の境界線は時に邪魔なものとなり、この段階においてはそれらの境界線を乗り越える形で、複数のパラダイムを綺麗な数珠繋ぎに統合する認知能力を発揮する。それを通じて、これまでにない包括さと明瞭さでリアリティを捉えようとするのである。アメリカの思想家ケン・ウィルバーが行なったことは、この段階の例として挙げることができるだろう。例えば、ウィルバーは心理学に関して、行動心理学、認知心理学、精神分析学、身体心理学、人間性心理学、実存心理学、トランスパーソナル心理学などのそれぞれ立脚するパラダイムの異なる学派の思考や実践技法を統合した地図を生み出した。また、科学と宗教の統合に関しても重要な仕事を残しており、これもレベル14の思考を活用した例となるのではないかと思う。レベル13との比較で言えば、レベル13のパラダイム段階においては、新たなパラダイムを生み出すことはできても、既存のパラダイムを越境する形で統合するようなことはできない。その段階でできるのは、既存のパラダイムの限界に自覚的となり、その限界を乗り越えるための新たなパラダイムを創出することなのだ。フローニンゲン:2025/1/21(火)17:04
Today’s Letter
My mind has been sparked since I started engaging in a new collaborative AI project. Thinking about AI boosts my curiosity and expands the possibilities for my academic research. Finally, I feel that I have found my true lifework: studying ways to advance AI that embodies deep wisdom and compassion to further enrich our lives. Groningen, January 21, 2025