5948. ロイ・バスカーへの共感・共鳴

時刻は午後7時半を迎えた。7月の最初の日が充実感と共に終わりに近づいている。今日は1日を通して非常に肌寒く、室内では長袖長ズボンで過ごす時間が多かった。明日は今日もよりも気温が低く、雨が降るらしい。

本日は創作活動に並行して、哲学者のロイ·バスカーの仕事を辿っていた。明日か明後日中にバスカーの書籍の大半を購入しようと思っており、早く彼の思想を学びたい気持ちでいっぱいである。

ロイ·バスカーは元々は、経済学の博士号を取得しようとしていたところから学者としてのキャリアをスタートさせた。経済学に関する博士課程に在籍中のバスカーは、「近代経済学が発展しても、世界から貧困がなくならないのはなぜなのか? 」という非常に的を射た問いを己に投げかけた。

私はこの問いに大変共感をする。というのも私自身が、「発達科学が発展しても、人間やこの人間社会が未熟なままであるのはなぜなのか?」という問いや、「この世界には芸術作品を含めて美しいものがたくさんあるのに、世界はなぜ美しくならないのか?」という問いを持っているからである。

バスカーはそうした問いから探究を出発させ、経済学ではなく哲学の探究に舵を切った。しかもそれは、上述のバスカーの根源的な問いをもとにしたものであるがゆえに、実践哲学と呼べるようなものである。

バスカーにはすでに大きな啓発を受けており、自分自身が実践美学や実践霊性学とでも呼べるべきものに関心の矛先が強く向かっていることに気づく。本来、美学にせよ、霊性学にせよ、美や霊性というものがいかに私たち自身や社会と関わっているのかという問いと切っても切り離せないものであるがゆえに、それらは常に実践的なものであるべきなのだと思う。

この数年間、「成人発達理論」という名称を超えて、それは「成人発達学」とでも呼べるような学問体系を根幹に据えながら、多くの学問分野を横断的に探究している自分がいる。私が探究しているのは、究極的には人間存在とは何であり、人間と社会がより善く·美しく発達していくというのはどういうことであり、それはいかようにして実現されるのかということなのかもしれないと改めて思う。

そうなってくると、人間存在や社会というのは複雑であるがゆえに、必然的に学際的な探究をせざるを得ないということなのだろう。明日からも引き続き、ロイ·バスカーの仕事を辿り、文献購入リストの書籍を早く注文しようと思う。フローニンゲン:2020/7/1(水)19:50

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