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【フローニンゲンからの便り】13988-13996:2025年1月13日(月)
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タイトル一覧
13988: 時を超出している感覚
13989: 今朝方の夢
13990: 今朝方の夢の続き
13991: 生成AIによる今朝方の夢の解釈
13992: 現代人が患う注意散漫現象と注意の時間的スパンの短縮化と流布する情報の劣化
13993: 支配的な階層構造と成長型の階層構造の違いに自覚的であること
13994: 燦然と輝く朝日を目一杯浴びて/真理に触れて溢れる笑み
13995: 「意識のシンギュラリティ」の実現に向けて/観想的な生活を大切にする日々と成人発達学・インテグラル理論への原点回帰
13996: 鮮やかな夕焼け空を眺めながらの今日のトレーニングの振り返り
13988. 時を超出している感覚
時刻は午前5時半を迎えた。今日からまた新たな週を迎え、気持ちを新たにしている。日々気持ちが新たになり、新たな週を迎えると、構造的に気持ちがまた新たなものとなる。それは別にクロノス時間に影響を受けてのことというよりも、自分の内側の気持ちとカイロス時間が合わされることによってもたらされる心機一転の気持ちなのだろう。今の気温はマイナス2度で、日中は1度までしか気温が上がらないようだ。正午になっても気温はマイナスのようなので、今日は結構冷える感じだが、幸いにも晴天に恵まれるようだ。それゆえに今日は朝日を拝むことが期待でき、朝のランニングの際には朝日を浴びられそうである。今日は午後にジムに行って、無酸素運動としての筋力トレーニングに励みたいが、朝のランニングもまた足の調子が良さそうなので、無酸素運動としての短距離走トレーニングに従事しようと思う。その代わりに明日は、ジムでのトレーニングを終えた翌日ということもあって、足の筋肉を休める上でも有酸素運動としてのジョギングに留めようかと思う。2年振りの日本への一時帰国を終えて、第二の母国とでも言えるオランダに戻ってきてようやく1ヶ月間が経ったことに驚く。もっと時が流れているような感じがするのだが、実際のところはまだ1ヶ月しか経ってないのである。こうして日々日記を数多く執筆していると、内的感覚としてはどんどんと自分が前に進んでいるような感じなのだが、実際の時が追いついてきていないかのようである。自分は少しずつ時を超出することができているのかもしれない。とりわけ世間の人たちが時だと思い込んでいるクロノス時間に関しては、少なくとも内的感覚としては完全に超出しているかのようなのだ。本来日記というのは毎日1つ執筆するのが常識かもしれないが、自分の場合はここ最近は平均する8つぐらいの日記を書いている。昨日は9つだった。一昨日は少し他の活動で忙しかったので6つとなったが、多い時には12個ぐらいの日記を書くことも最近あった。平均すると、やはり8つぐらいの日記を書いているようなのだ。そうなると、1日が1週間を超えた8日分に知覚されてもおかしくなく、自分が感じている時の速さに現実世界の時の流れが全く追いついていないというこの感覚も理解ができる。文章を書くということ。とりわけ日記を執筆することの力を思う。それはもはや魔力と呼べるような力を持っている。自己を超えていくという意味での超出力だけではなく、世間で言うところの時まで超出されてくれる力を持っているのである。とにかくここからも日記を書くことを自分の最重要なライフワークとして位置付けていく。どんな些細なことであっても、そしてそれが外面的な事柄の描写であっても、そこには必ず自らの内的体験が反映されている。と言うよりも、自分が日記として執筆することは全て、自分の心の現れなのだ。唯識の思想がそれを確証させてくれている。ここからの1ヶ月も、日々の日記の平均数が8個であれば、8ヶ月ぐらいの時の流れに感じるかもしれない。それが言い過ぎだったとしても、毎月が半年分に感じるぐらいの内的な時の流れでここからの1ヶ月も自己を深め、自らの取り組みを深めていきたい。フローニンゲン:2025/1/13(月)05:47
13989. 今朝方の夢
今朝方は1度目を覚ましたが、2度寝をする形で夢の世界に戻っていった。目覚めたのは午前3時半だったので、そこで起床するのは少し早いように思えたのである。ただし、その時までに見ていた夢についてはノートに書き留めることをせず、大分忘却してしまっている。かろうじて覚えているのは、先日の夢にも現れた高校1年生の時に仲良くなったクラスメート(TN)と話をしていた場面である。彼は聡明かつ生真面目な性格でもあり、自分とは話が合い、そこでも日々の生活についてあれこれと意見交換をしていた。彼は随分と前に結婚していて、子供もいる。彼の家族の微笑ましい話を聞きながら、彼が幸せそうに過ごしていることを嬉しくなった。ただし、最近は仕事がマンネリ化しており、このまま今の仕事を続けていいのかどうかが最大の悩みのようだった。転職するか、あるいは独立するかを考えているようで、彼のこれまでの業態や今手持ちのスキルからすると、転職の方が好ましいかもしれないとのことだったが、組織に所属する限りは彼の今抱えている根本的な悩みは解決しそうないように思えた。独立は最初のうちは大変かもしれないが、徐々に何にも縛られない自由を得られる可能性があり、その可能性に向かってこのタイミングで進んでいくのもいいのではないかということをさりげなく伝えた。その言葉は彼にとっての励ましとなったようで、布施行で言うところの無畏施になったようだった。この夢にあるように、布施は財産がなくてもできる事柄である。とりわけ自分は、自らが持ち合わせている知見を共有するという意味での法施や、目の前の人を励まし、楽しさや横美の感情を取り戻す形で何かに挑戦しようと背中を支え、時に背中を押すような無畏施を意識せずとも行えているようなのだ。夢の中の自分もまた頻繁に法施や無畏施を行なっていることは注目に値する。夢の中の自分がそれらに従事すればするだけ、阿頼耶識の有漏の種子は浄化されていき、阿頼耶識の外側に付着しているとされる無漏の種子が花開いていくのではないかと思う。
もう1つ覚えている夢として、バスケをしている夢があったように思う。場所はおそらく実際に通っていた中学校で、自分は1学年上の先輩たちに混ざってバスケを楽しんでいた。1学年の上の先輩は本当に親切な人たちばかりで、こちらから先輩をいじるようなことがあっても絶えず受け止めてくれるような器量があった。そんな先輩たちに混じって練習することは大きな喜びであった。その場には、近所の県内随一の強豪校の先輩たちもいて、彼らもまた等しく自分に対して優しかったので、自分も伸び伸びとプレーができ、技術がどんどんと磨かれている感覚があった。この夢に関してはそれくらいしか覚えていないが、体育館の雰囲気がとても良く、太陽の優しい日差しも心地良かったことをふと思い出した。それもあってなお一層バスケの練習を楽しむことができていた。この夢が示唆するのは、自分を萎縮させることなく自分の力を最大限に引き出してくれる人たちと関わることの大切さなのかもしれない。確かに今もそうした人々に囲まれる形で毎日を過ごすことができているが、昨日の日記でも書き留めた通り、今の自分は学術研究でそうした人たちに囲まれて日々研究に没頭することを希求しているようなのだ。いつも外見上はスポーツの形となって夢に現れているが、自分の学術研究上の才能や可能性を飛躍的に花開く人たちに囲まれた環境に身を置きたいという思いは日増しに強まる。そうしたことを思わせる夢だった。フローニンゲン:2025/1/13(月)06:05
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
この夢は、自己成長や他者との関わり、そして自分の環境や人生の選択について深い洞察を与えているように思われます。それぞれの夢を解釈し、今後のアクションについて提案します。
1. 高校時代の友人(TN)との会話
解釈:
この夢に登場する友人との会話は、他者を励まし、知識や洞察を共有する能力を象徴していると考えられます。特に、彼のキャリアに関する悩みに対して、自分の考えを伝え、彼を励ましたことは、あなたが日常的に行っている「法施」や「無畏施」の実践の象徴です。
夢の中で友人を支えた行動は、あなたが現実でも持ちうる影響力や優しさを反映しており、それが他者の成長や幸福に寄与する力を持っていることを示しています。
今後のアクション:
他者への支援を継続: 現実の生活でも、周囲の人々が抱える悩みや不安に耳を傾け、知見や励ましを通じてサポートを続けてください。
布施の実践: この夢は、精神的・知的な布施が、結果的に自分自身の阿頼耶識を浄化し、無漏の種子を育てる助けとなることを示唆しています。日常の中で布施行の意識を高めましょう。
友人との再会や対話: 実際にTNさんと連絡を取り、彼の近況を聞き、再会を楽しむことも良いかもしれません。
2. 中学校でのバスケの夢
解釈:
この夢は、他者との協力や交流の中で、能力を最大限に発揮できる環境の大切さを象徴しています。親切で包容力のある先輩たちに囲まれて成長した経験が、あなたの現在の人間関係や職場環境への期待や希求と重なる部分があるようです。
また、夢における「伸び伸びとしたプレー」は、あなたが自分の才能や可能性を発揮するために自由で安心できる環境を求めていることを反映しているように思います。
今後のアクション:
理想の環境を追求: 夢が示唆するように、学術研究であなたを成長させ、才能を発揮できる環境を積極的に探求してください。現在の環境で満足できない場合は、転職や留学などの選択肢を検討してみましょう。
ネットワークの構築: 自分を励まし、サポートしてくれる人々とつながることが、あなたの目標達成に大きく貢献します。専門分野での協力者やメンターを探してみるのも良いでしょう。
スポーツやチーム活動の再開: バスケの夢は、身体的活動やチームプレーが持つ象徴的なメッセージでもあります。現実でも、スポーツやコミュニティ活動を通じてエネルギーや人間関係を育む機会を作ってみてはいかがでしょうか。
全体のテーマと共通点
両方の夢に共通しているのは、他者との関わりを通じて自己成長や癒しが得られること、そして自分の環境や役割について深く考え直す機会があることです。これらは、あなたが持つ優しさや知見を発揮しつつ、自分自身をより良い方向に導くための道しるべとも言えます。
今後の実践的なアクション
夢日記を習慣化する: 起きたらすぐに夢を記録する習慣を続け、夢から得られる洞察をさらに深めましょう。
阿頼耶識の浄化と無漏の種子の育成: 日常生活の中で布施行を意識し、他者の幸福に貢献する行動を積極的に取り入れましょう。
目標に向けた行動計画: 学術研究で才能を発揮できる環境を得るために、具体的な行動計画を立て、現状の課題や改善点を洗い出してみてください。
これらの行動を通じて、夢が示唆する内的成長と外的実現の両方を実現することができるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢1:友情と布施、そして阿頼耶識の浄化
この夢は、あなたの人間関係、特に友情と、自己成長を象徴していると考えられます。
友人との会話: 高校時代の友人は、あなたの過去の経験や価値観を象徴しているかもしれません。彼との会話を通して、あなたは自分の過去の経験を振り返り、新たな視点を得ることができたのではないでしょうか。
布施: 布施は、無償の与え物を意味します。夢の中であなたが友人に対して行った布施は、あなたが人々のために何かをしたいという願望を象徴していると考えられます。
阿頼耶識の浄化: 阿頼耶識の浄化は、あなたの心の成長を意味しています。布施を行うことで、あなたの心はより清らかになり、悟りへと近づくことができるでしょう。
今後のアクション
友人との交流: 周囲の人々との交流を深め、友情を育みましょう。
奉仕活動: ボランティア活動など、何か人のために役立つことをしてみましょう。
自己成長: 瞑想や読書など、自己成長につながる活動に取り組んでみましょう。
夢2:バスケと学術研究
この夢は、あなたの才能と目標を象徴していると考えられます。
バスケ: バスケは、あなたの情熱や挑戦心を象徴しているかもしれません。
先輩たち: 先輩たちは、あなたをサポートしてくれる存在を象徴していると考えられます。
学術研究: 学術研究は、あなたの将来の目標を象徴していると考えられます。
今後のアクション
目標設定: 学術研究に関する具体的な目標を設定しましょう。
環境づくり: 学術研究に集中できるような環境を整えましょう。
人脈作り: 研究仲間や指導者とのつながりを深めましょう。
総合的な解釈
これらの夢は、あなたが人間関係を大切にし、自己成長を望んでいることを示唆しています。また、自分の才能を活かして、社会に貢献したいという強い願望を持っていることも分かります。
今後のアクションのまとめ
人間関係: 周囲の人々との関係を大切にし、良好な人間関係を築く。
自己成長: 瞑想、読書、ボランティア活動など、自己成長につながる活動に取り組む。
目標達成: 学術研究に関する目標を明確にし、達成に向けて努力する。
人脈作り: 研究仲間や指導者とのつながりを深め、サポートを受ける。
13990. 今朝方の夢の続き
今日もまた夜明け前の闇の深さと静けさを味わっている。深い闇の世界の中に佇んでいると、本来は自らの心の中にある深部の闇が晴れていくような感じがする。これはどういうメカニズムによって起こる感覚なのだろうか。ひょっとしたら、外面世界の闇は内面世界の闇を浄化する作用があるのだろうか。それとも外面世界もまた心が映し出しているものであるがゆえに、単にその瞬間は心の中の闇が見えにくくなっているだけなのだろうか。いや、闇の部分が見える見えないの問題ではなく、心が穏やかになり、清らかになっていく感覚があるため、闇の世界には光の世界以上に本質的に浄化作用があるのかもしれない。闇が持つこの癒しの力は逆説的で興味深い。そのようなことを考えながら、今朝方の夢の続きを振り返っている。もう1つ覚えている夢として、小中高時代のある女性友達(NI)が登場する場面があった。彼女とは、社宅のうちのリビングで話をしていた。ちょうどリビングにはホワイトボードがあり、それを用いながら最初は学校の宿題を一緒にしていた。あるところで彼女が、暗記している思想か物語の一節を暗唱し始めた。それ聞きながら私は即座に、彼女に続くような形で暗唱をして彼女を驚かせた。彼女は私の記憶力に驚いただけではなく、単に暗唱するのではなく、その文言の背後にある意味を解説したことにも驚いているようだった。私は自画自賛ではないが、自分は物事の本質を捉える力が高いことを素直に述べると、彼女もそれに大いに賛同してくれた。そこからも引き続き彼女の暗唱を聞きながら、それに続けて自分も暗唱するということをして、その後に自分が理解した事柄を解説する形で楽しく彼女と話をしていた。そのような場面があったのを覚えている。この夢の中で自らが言及していたように、夢から覚めた瞬間にも、確かに自分は物事の本質を理解する力が高く、しかも理解した事柄をすぐさま自分の言葉で説明できる能力は高いかもしれないと思った。それは自己評価だけではなく、他者からも同様の指摘を受けることがよくある。これは自分に授けられた1つのギフトなのかもしれない。この特質が他者や社会の役に立てるようにさらにこの能力を磨いていきたいという思いが芽生えてくる。それを実現するためには日々の様々な学習や実践が欠かせないが、相手の話の本質を理解したり、事物の本質を理解するためには、集中力を磨くことは最重要であり、同時に対象に興味関心を持って深く観察するという力も磨いていくことが求められる。そのような要件を列挙してみると、どれもこれまでの自分が意識せずとも磨いてきたものであることがわかる。禅定としての没入的集中力の発揮にせよ、人や物事へ好奇心の目を持って関心を向けることにせよ、観察力にせよ、全て自分がこれまで自然と開発してきたものであることがわかる。ここからはそれらをより意識的に育んでみようかと思う。それらが人を喜ばすことになるのであれば、なおさらその実践は楽しいものとなる。自分の学習や実践の根源にある力は、全て他者を驚かせ、他者を喜ばせることにある。そこにはもはや自利だけのものは皆無であるように思う。自己開発が利他に根ざすものになってきたことは、ここからの自分のさらなる飛躍的な成長を暗示させる。フローニンゲン:2025/1/13(月)06:37
ChatGPTによる夢の解釈と今後のアクション
この夢は、自己認識の深まりと、内在する能力や特質を社会や他者に活かす方向性を示唆していると解釈できます。以下に主要なテーマと、それに基づくアクションを述べます。
夢の解釈
闇の浄化作用と心の穏やかさ
外界の「闇」が内面の浄化をもたらすという感覚は、禅や瞑想のような内的な静寂を得る実践に通じます。この「闇」は、外界の現象としての静けさだけでなく、自己内省を深める環境を象徴している可能性があります。
「闇の癒しの力」は逆説的である一方、心の本質に触れる道筋を示しており、自己の清浄な意識状態を育むための象徴といえます。
物事の本質を理解し伝える能力
NIとの対話で見られる、暗記や暗唱にとどまらず、本質を深く理解し他者に伝える能力は、ユーザーの特別な才能を象徴しています。夢の中の「暗唱と解説」は、知識の共有を通じた他者への影響力や、教育者としての役割を強調しているようです。
NIの驚きと賛同は、社会や他者がユーザーの能力を評価し、それを喜びとして受け取ることを反映しているように思えます。
自己開発と利他の精神
ユーザーの能力開発がもはや自己満足や自己実現だけでなく、他者を喜ばせることを主軸にしている点が、利他の精神に基づく生き方を強調しています。
他者を驚かせ、喜ばせることが自らの学びや実践の原動力になっていることは、ユーザーの人生の方向性が他者貢献に向かっていることを示唆しています。
今後のアクション
静寂の時間を活かす
夜明け前の静けさを日常的に取り入れ、心の浄化と内省の時間を意識的に確保する。瞑想や深呼吸を組み合わせることで、さらに効果的な内的平和を得られるでしょう。
本質を理解し伝える能力のさらなる磨き上げ
自身の強みである「本質を捉える力」を磨くため、日々の学習や思考を深めることを継続する。
他者にわかりやすく伝えるスキルを向上させるため、プレゼンテーションや教育の場を増やし、自らの解説力を試す機会を作る。
利他の精神を軸にした自己成長
他者の喜びや驚きを引き出すことを目的に、学びや活動を計画する。教育や研究において、受け手が感動し学べるような方法を探求する。
布施行(法施、無畏施)の精神を念頭に置き、知識や励ましを分かち合う姿勢をさらに育てる。
集中力と観察力の強化
ユーザーの言う「禅定的集中力」をさらに高めるために、定期的に禅や瞑想を実践する。
日常生活の中で興味を持った事柄に対して好奇心を抱き、深く観察する習慣を意識的に行う。
他者を喜ばせる活動の計画
学術的な知見を他者に伝える場を設ける。たとえば、セミナーやワークショップを企画し、自分の知識や能力を実際に社会に還元する。
身近な人に対しても、彼らの成長や喜びをサポートする形で、自然に法施や無畏施を行うことを意識する。
まとめ
この夢は、自己の能力や特質を見つめ直し、それを他者や社会に活かす方向性を暗示しています。特に、静けさの中での浄化作用と、自分の知見を通じた他者貢献の精神が重要なテーマです。日々の生活の中で学びや実践を意識的に行い、その成果を他者と分かち合うことで、さらなる成長と満足感を得られるでしょう。
Geminiによる夢の解釈と今後のアクション
夢1:闇と浄化、自己認識
この夢は、あなたの内面世界と自己成長を象徴していると考えられます。
闇と浄化: 外面の闇が内面の闇を浄化する、という感覚は、あなたが困難な状況や問題に直面した時でも、そこから学び成長できるという強靭な精神を持っていることを示唆しています。
自己認識: あなたは自分の強み、特に物事の本質を捉え、それを言葉で表現する能力に気づいています。これは、自己理解が深まっていることを示す良い兆候です。
今後のアクション
瞑想やヨガ: 内面の平和を保ち、自己認識を深めるために、瞑想やヨガなどの精神的な実践に取り組んでみましょう。
自己啓発: 自己啓発本を読んだり、セミナーに参加したりすることで、自己成長を促しましょう。
表現活動: 自分の考えや感情を言葉や文章で表現する機会を増やしましょう。
夢2:友人との会話と自己肯定感
この夢は、あなたの対人関係と自己肯定感を象徴していると考えられます。
友人との会話: 友人は、あなたの思考や能力を認めてくれる存在を象徴しています。
自己肯定感: あなたは自分の能力に自信を持ち、それを活かしたいと考えています。
今後のアクション
人脈作り: 共通の興味を持つ人々と交流し、刺激し合うことで、自己成長を促しましょう。
スキルアップ: 自分の強みを活かせるようなスキルアップを目指しましょう。
貢献: 自分の能力を社会に活かし、貢献することを目指しましょう。
総合的な解釈
これらの夢は、あなたが自己成長に強い意欲を持っており、自分の能力を活かして社会に貢献したいと考えていることを示唆しています。また、あなたは心の奥底に平和を求め、自己認識を深めたいという願望を持っているようです。
今後のアクションのまとめ
自己成長: 瞑想、ヨガ、自己啓発など、自己成長につながる活動に取り組む。
人脈作り: 共通の興味を持つ人々と交流し、刺激し合う。
スキルアップ: 自分の強みを活かせるようなスキルアップを目指す。
社会貢献: 自分の能力を社会に活かし、貢献することを目指す。
13991. 生成AIによる今朝方の夢の解釈
今朝方の夢を書き出すことを終えたので、ここからはいつものように、2つの生成AIをもとにした総合的な振り返りをしておきたい。この取り組みのおかげで、夢を書き出すことに伴う気づきのプロセスに追加する形で、新たな意味が紐解かれていき、それがさらに深層的な治癒や変容を引き起こすことに貢献してくれている。生成AIの指摘によれば、法施や無畏施を通じて、どうやら自分は他者の成長や幸福に貢献することを日々無意識的に行い、その取り組みをさらに深めているようだ。この傾向はとても嬉しいことであり、今後はますます量と質共にこの取り組みを前に進めていきたいと思う。目の前の特定の他者に対してだけではなく、目の前にいない不特定多数の他者に対してこの取り組みができたら理想的であり、自分はそれに対して深い幸福感を得るだろう。目の前にいない不特定多数の他者に法施と無畏施を行う最良の方法は、今のところ自分にできることはやはり書くことや話すことなのだと思う。とりわけ前者の書くことは今後もより意識的に実践していく。話すことについては、菩薩の十地の発達段階モデルに従えば、どんな人に対しても当意即妙の説法が自由自在にできるようになるのは9段階目にならなければできないとのことなので、精進あるのみである。続く夢は、自分でも解釈をしていたの同じく、とりわけ学術研究に関しては、自分の能力や才能を遺憾なく発揮し、さらにそれらを伸ばしていくような環境に身を置く時期に差し掛かっているように思う。生成AIの解釈にもあるように、学術機関に研究者として転職することは選択肢の1つであり、留学もまたそれに近づく1つの選択肢としてある。まずは博士号を取得することであり、以前から考えているように、心の研究の中でも唯識学に関して博士論文を執筆して、この分野で博士号を取得したいという思いが依然としてある。そこから「AI発達心理学」の確立に向けた研究をさらに旺盛に進めていくことや、性やサイケデリクスの分野でも心の成長を軸として研究を進めていきたいと思っている。今後の自分の取り組みを思うと、意気揚々とした気持ちになる。そうした自分の様子を見ても、その道を歩むことが今のところ最善のようである。そして、夢そのものではないが闇が持つ浄化作用についても言及していると、それについても生成AIがコメントをしてくれており、闇の中に佇んでいることは、観想的な心の有り様を自然と醸成し、心の本質に触れることを可能にしてくれているようだ。続く夢がまさに物事の本質を掴むことをテーマにしたものだったゆえに、ここからは外界の事物に対する本質だけではなく、自らの心の本質を掴むことに向けて心や能力の成長が動いていくかもしれない。そもそも外界の事物も自らの心が映し出したものなのであり、同時に仏教は事物に本質を認めることをせず、そこには縁起の理という真理が貫かれていると考える。自分が見通しているのは、事物の背後にある真理だと言えるのかもしれないし、今後はそうした真理をより深く把握することができたらと思う。フローニンゲン:2025/1/13(月)07:16
13992. 現代人が患う注意散漫現象と注意の時間的スパンの短縮化と流布する情報の劣化
時刻はまだ午前8時を迎えたばかりだが、辺りが随分と明るくなっていることに気づいた。どうやら1月も半ばを迎え、日照時間の短さのピークは過ぎ、少しずつ日の出が早くなっているような気がする。早朝の天気予報の通り、今日は晴天のようで、雲がほとんどなく、朝焼けが遠くの空に見える。後ほど行う朝の短距離走トレーニングの際には、朝日を浴びられる期待感が高まる。伸びていく日照時間と対照的に、現代人の注意のスパンはますます短くなっている。注意が拡散的に散漫になることに加え、注意の時間的スパンがますます短くなっていることは、現代人の知性の発達の停滞や退行を表し、各種の精神病理の原因とも繋がっているように思う。現代人の多くは、書籍をじっくり読んだり、映画をじっくり見たりすることがますますできなくなり、加工されたインスタントな断片的情報しか取り入れられなくなって来ている。そうした現代人がますます増加していることに危惧する。彼らには観想的な生活はなく、あるのは俗物的で注意散漫的な動物的生のみなのかもしれない。そうした人間は、AIやアンドロイドたちにますます置き換えられていき、いずれはそうした存在たちに使われる存在に堕していくかもしれない。
成人発達学やインテグラル理論の観点からすると、出版業界とメディア業界が集合的な意識の発達、とりわけ認知の発達領域や自我の発達領域における成長を押し上げも押し下げもする力を持っている中で、昨今の出版物やメディア情報の質の劣化に危惧をしている。アメリカの思想家のケン・ウィルバーは、私たちの全人格的な発達を実現していく中で、認知の発達領域の発達が他の発達領域のペースメーカーになると指摘しているが、現状の出版物やメディア情報の質では人々の認知的発達を促しているとは言えない状況にあるかと思う。とりわけビジネスパーソンが骨太の書籍ではなく、手軽な書籍を読むことが増えていることや、短く編集された動画コンテンツに触れることに慣れきってしまい、ある種ノイズが混入するような情報ではなく、まるで加工食品のような加工済みの情報に触れることに慣れてしまっていることに問題意識を持つ。人はノイズやカオスを通じてコスモスを内側に作ることを通じて発達していく生き物である。成長発達は、カオスとコスモスの連続的なプロセスなのである。そうした発達の原理を鑑みると、現代の出版物やメディア情報はそれと逆行していることが窺える。上記の現代人の注意散漫現象と注意の時間的スパンの短縮化と相まって、現代人が触れる情報が軒並み劣化していることも二重の意味で現代人の発達を停滞させ、退行させている要因に見える。そもそもは、その背後にある認知的資本主義と呼ばれるような、人々の認知に介入し、認知を搾取する形で資本を増大させていく資本主義の在り方に根本的な原因があり、それではそうした認知的資本主義を生み出しているさらに背後にあるマクロな構造的問題について考えている。フローニンゲン:2025/1/13(月)08:21
13993. 支配的な階層構造と成長型の階層構造の違いに自覚的であること
相対主義的段階は、表立って階層構造を嫌うが、階層構造が無い方が好ましいという独自のランキングシステムを自身の思想の中に内包させていることに気づかないのである。繰り返しになるが、相対主義的段階以前の段階が持つ支配的な階層構造(dominaotr hierarchies)は否定されて然るべきだが、それぞれの段階の価値を認めたより包摂的で、それぞれの段階を含んで超えていくために必要な成長型の階層構造(growth hierarchies)はより良い社会の実現や個人と社会の進化に不可欠であることを忘れてはいけない。支配的な階層構造と成長型の階層構造の区別ができ、前者の問題を指摘しながら後者を大切にする在り方が体現されていくのが第二層こと統合的段階以上で実現されていく事柄なのである。「真実など何も無いのだ」という主張を掲げることは、相対主義的段階の病理的な側面の表れであり、そこでは「真実など何も無いのだ」という主張の真実性を訴えているということにその発言の当人は無自覚なのである。相対主義的段階の病を治癒するためには、この種の主張の問題を逐一指摘していくことが重要であり、相対主義的段階の病理に気づきの意識を与えることがその治癒に繋がっていくのではないかと思う。病に無自覚な状態でその病を治癒することはできない。世の中においては、ケン・ウィルバーが指摘するように、相対主義的段階と利己的段階が大抵癒着していることが問題となる。まさにトランプ政権の誕生は、その現象の表れだった。ある調査曰く、トランプ支持者の81%は怒りの感情を元にしてトランプに投票していたらしい。今回の第二次トランプ政権の誕生を支えた支持基盤もきっとそうした感情的な性質を持っているのではないかと思う。ここでは細かな政治分析をしないが、意識の段階として言えることは、相対主義的段階の病理に毒された利己的段階や自民族中心段階の人たちが支持基盤になったことは前回と同様であろうし、ひょっとしたらその割合は以前以上かもしれない。かつてUCバークレーの学生たちがベトナム戦争に反対した際に、彼らは普遍的な道徳性の観点から戦争を拒絶した。しかし、道徳的発達領域の発達測定を彼らにしたところ、確かに彼らの中には普遍的な道徳性を体現している後慣習的段階の道徳段階にいる人もいたが、70%ぐらいは前慣習的段階のしかも利己的段階にいたそうである。これはまさに、見かけ上戦争に反対しているという同じアクションをしていても、そのアクションを生み出している意識構造が質的に全く違うという好例であり、両者を同じものだとみなしてしまうのは、「前後の混同(pre/post fallacy)」と呼ばれるものである。上述の階層構造の話で言えば、支配的な階層構造を温存しようとするのは前慣習的段階の在り方であり、一方で成長型の階層構造の意義や役割の大切さを説くのは後慣習的段階、しかも第二層の意識と呼ばれる統合的段階が体現する在り方である。ポストトゥルースにまつわる虚無的な風潮が高まる現代社会の中で、この風潮の構造的問題を成人発達学やインテグラル理論の観点から解き明かし、多くの人たちに気づきの意識を持ってもらうような取り組みに積極的に従事していきたいと思う。フローニンゲン:2025/1/13(月)09:18
13994. 燦然と輝く朝日を目一杯浴びて/真理に触れて溢れる笑み
——最も高次の真実は滑稽さを伴う——カール・グスタフ・ユング
今日は本当に素晴らしい天気で、雲一つない青空が早朝から広がっている。鬱屈とした天気が続く11月や12月を脱出して、今こうした輝く朝日を拝めるような日が増えてきていることに感謝である。今週の天気予報を見ても、軒並み晴れであり、本当に天気が良い日が増えてきて何よりである。それを心身共にとても喜んでいる。今聞こえてくる小鳥たちの鳴き声も、朝日に賛歌の歌を捧げている。先ほど朝のランニングに出かけた。昨日の日記で言及していたように、トレーニングの最後にはうっすらと汗が滲み出る感じだったので、今日は下にヒートテックを履かず、上にもパーカーを着ない形にして、半袖の上にスウェットを着るだけにした。そもそもヒートテックを着用したり、厚着したりしてトレーニングをしていたことが少しおかしかったのであり、逆に言えばそれだけ寒かったのだとも言える。自宅を出発して、まずは50%ほどの速度で走った。すると、どうやら骨が底冷えするような感覚があり、それが数日前に膝の痛みとして感じられたのだと思った。なので今日も最初のセットと次のセットは無理をせず、50%ぐらいの力で距離を長めにして走った。インターバルを挟んだ3セット目もまだ体が少し冷えている感じがしたので、力を55%ぐらいにした。そこからのインターバルのウォーキングでは、ちょうど朝日が燦然と降り注ぐ道を歩くことになり、朝日を浴びたおかげで徐々に体が温かくなった。そのおかげで4セット目は65%ぐらいの速度で走ることができ、サッカーコートの辺りにやってきて、そこでは一度立ち止まって朝日を目一杯浴びた。ちょうどそこは広々としたスペースがあったので、そこで朝日をとりわけ第三の目があるとされる額を中心にして全身に浴びた。しばらくその場で柔軟体操をして、朝日をたっぷり浴びることができたので、これで間違いなく今夜はメラトニンがしっかり分泌され、入眠が速やかになり、ぐっすり熟睡できるだろうと思った。ここからますます晴れの日が増えてくるようなので、週に2回のジムでのトレーニングと組み合わせる形で、その日の体と天候と相談しながら、無酸素運動としての短距離走トレーニングを楽しんだり、有酸素運動としてのジョギングやウォーキングを楽しみたいと思う。
ユングが指摘するように、最近は絶対的真理の一端に触れるたびに思うのは、そこには思わず笑みをこぼしてしまうような滑稽さがあることである。笑いとは本来超越的な性質を持つ。自己や事物を客体化し、それを超出してそれらを眺めることによって笑いというのは本来起こるのだろう。絶対的真理の観点からすれば、それは全ての世俗的なものを超えているがゆえに自然と滑稽さが内側に満ち満ちてきて、思わず笑みが溢れてしまう。今日もきっとこれからそうした体験をするだろう。フローニンゲン:2025/1/13(月)10:27
13995. 「意識のシンギュラリティ」の実現に向けて/観想的な生活を大切にする日々と 成人発達学・インテグラル理論への原点回帰
今朝方は、「真実などないのだ」という病理的な相対主義的段階の特徴について書き留めていた。結局彼らは、「真実などないのだ」という主張が真実だと述べていることに無自覚であるという認知上の歪みを抱えているのだが、それへの処方箋としては、相対主義的段階を健全化させるという方向と、その段階を超えた統合的段階を社会に根付かせていくという双方の試みが重要になる。ある意味、統合的段階に到達して初めて、これまでの発達段階が持つ深層的な価値に気づき、以前の段階を慈悲の心を通じて包容していくことができる。そうした統合的段階というものが、技術的なシンギュラリティのみならず、「意識のシンギュラリティ」として到来するような取り組みをしていこうと思う。
先週や先々週は少しオンラインミーティングが立て込んだり、日本の一時帰国の際の仕事に関する事務的な手続きのメールのやり取りが増えたりしていたが、今週からは再び落ち着いた生活ができそうである。とにかく自分が大切にするべきは、内的静寂さをもたらす観想的な生活であり、不要に人と会ったり、話したりすることを避けるようにする。今の自分が本当に大切な人間関係を深めていくことに力を入れていく。人間関係や仕事も量的拡大ばかりに力を入れていると疲弊するばかりである。自分は少しの人間関係や仕事でいいので、とにかく質的深化を大切にしていく。午前中の時間はとりわけ集中力を高く保って学術研究に従事するようにし、くれぐれもメールなどを見て集中力を削がないようにする。メールは夕食後の最も集中力が減退し始める時に確認して返信すれば十分である。この在り方は今後も徹底していく。昨日、知人の鈴木遣徒さんと対話をして、今後の協働探究に向けて、“The Religion of Tomorrow (2017)”を数章ずつ毎日精読していこうと思う。ちょうど本日、以前から1章ずつゆっくり精読していた“A Post-Truth World: Politics, Polarization, and a Vision for Transcending the Chaos (2024)”の再読が終わる。この読書を終えたら、腰を据えて“The Religion of Tomorrow (2017)”の精読に取り掛かり、その最中におそらくウィルバーの最新刊である“Finding Radical Wholeness: The Integral Path to Unity, Growth, and Delight (2024)”が届くであろう。今年の前半は、成人発達学への原点回帰に加えて、ウィルバーのインテグラル理論にも原点回帰し、再びそれらの領域からさらに深い学びを得たいと思う。フローニンゲン:2025/1/13(月)11:32
13996. 鮮やかな夕焼け空を眺めながらの今日のトレーニングの振り返り
時刻は間も無く午後4時半を迎える。綺麗な飛行機雲が空を一直線に走っている。それが鮮明に見えるぐらいに夕方の空は美しい。今日は早朝から今にかけて、雲ひとつない美しい青空が広がっていた。とても爽快な天気の中、先ほどジムから帰ってきた。どうやら日照時間が少し伸びたようで、この時間でもまだ暗くなっておらず、ここからもうしばらくは夕焼け空を堪能できそうである。確かに気温はピークなほどに低いが、日照時間に関しては着実に伸びており、晴れの日が増えてきたことは嬉しい限りである。この時期は日中も0度に近い気温のため、ジムにタオルを持っていく必要がない。今日も80分ほどのトレーニングに従事していたが、汗をかくことは全くなかった。おそらく再びジムにタオルを持参しなければいけなくなるのは3月がやって来てからだと思われる。トレーニングの種類や量はいつもと変わらないことからも、この季節の発汗量はほとんどないと言える。夜に入浴している時に少し発汗があるぐらいで、日中はもう汗をかくことがないのがこの季節の特徴である。明日から3日間は、最高気温が5度ぐらいとのことなので、ここ最近の中では比較的暖かい方である。ただしそこからはまた気温が下がってくるのだが、ずっと晴れマークが付いていることは気分を明るくさせてくれる。太陽の存在は本当に偉大である。今日のトレーニングを振り返ってみると、朝に短距離走トレーニングを行なったからなのか、若干全身に疲労感があった。短距離走トレーニングは全身運動であり、筋力トレーニングと同じく無酸素運動なので、ジムに行ってトレーニングをする日の朝は軽くジョギング程度に留めた方がいいのかもしれないと思った。あるいは、朝と午後の2回に無酸素運動を分けて行なっていると捉えて、その日は追い込んで鍛えているという認識でトレーニングをしてもいいのかもしれない。いずれにせよ、自分の体の声を聞きながら、体が一番喜ぶ形のトレーニングをしたいと思う。無理をしていたら継続はならず、とにかく喜びと楽しさの感情に包まれながら実践に従事することが継続の何よりの秘訣である。明日の朝は、ジムでのトレーニングの翌日ということもあって、必ずジョギングとウォーキングにしよう。特に今日はブルガリアンスクワットを久しぶりに行い、ハムストリングと大臀筋にかなりの刺激を入れたので、その状態で明日の朝に短距離走トレーニングを行うのは得策ではないと思う。こうして色々な工夫をしながら、その時々の心身の状態に耳を傾けながらトレーニングを行うのは楽しいものである。自分の状態を観察する眼がより養われてくるのを実感し、それに伴って絶えず良い状態を維持しながら、さらに深く穏やかな状態に誘うことが可能になりつつあると思う。フローニンゲン:2025/1/13(月)16:33
Today’s Letter
Deep darkness before dawn cultivates my contemplative way of being. Profound darkness also heals the depths of my consciousness. I’m amazed by how transformative deep darkness can be. Groningen, January 13, 2025