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仮初の情熱でもいいじゃない。

2021年11月。上京して3年が経とうとしていたころ、
フリーランスとしての道を一旦やめて、正社員になった。

 就活せずに大学院修了して東京に出てきた僕は、それまで1度も正社員になったことがなかった。僕がフリーランスを志したのは、2019年の暮れだった。その頃は、ちょうどyoutubeバブルが起こっていて、その時の彼女(今の奥さん)が自分の事業でyoutubeをやろうとしていた。

「編集できる?」と聞かれて、やったことはなかったけれど調べたらできる気がしたので、彼女のパソコンを借りて生まれて初めて動画編集をやった。その動画は今でも割と見られている。当時、僕は惰性で銀座のクラブで黒服のバイトをしていて、12月にお店の都合で辞めることになっていた時期だったので、「動画編集ができるようになったらフリーランスで仕事して彼女と一緒にいられる時間が増えるかもしれない!」と思って、バイトでもいいから映像制作会社にエントリーした。その頃、VOOKというクリエイター向けのサイトで求人募集のページがあって、その中の1社に拾ってもらった。それから、アルバイトをしながら映像制作を身につける期間が始まった。ちょうどその頃コロナ騒動が起こり、うちの会社もピンチを迎えた。みんなで会社を盛り上げて色々なことに挑戦するということに意識が向いていた。なのでフリーランスであるという自覚はますます薄れた。その会社にいる時は、「半分フリーランス、半分アルバイトです!」と言っていたけど、フリーランス要素は3%くらいしかなく、今振り返ればほとんどただのアルバイトだった(雇用形態がアルバイトなだけで、業務内容は営業から撮影、編集なんでもやっていたが)。その会社は1人社長でやっていて、その環境で出世をする可能性は全くなかった。コロナも落ち着いてきた頃には、フリーランスとして独立するわけでもなく、別の分野で起業するわけでもない、中途半端な状態が出来上がっていた。何より、当時の自分には、仕事をとってきてそれをスケールさせるという自信も発想もなかった。

 結局、周りの諸先輩方の意見を聞いて、正社員になることを決めた。生まれて初めてハローワークに登録したし、転職サイトでたくさん申し込んで、たくさん落ちた。就活らしい就活は初めてだった。最終的には知り合に紹介してもらったPR会社に入社できた。

大学生の頃の僕は、今思い返すと意識高い系大学生だった。

でも自信がなくて、やることなすこと中途半端だった。それでも、東京に出てきて、「フリーランスになって自由にお金を稼いでやるぞ!」と挑戦するも、なんちゃってフリーランスの域をでずに、結局普通の正社員に落ち着いた。もう2度とフリーランスとかいうの、少なくとも数年はやめようと思った。将来のことを聞かれると、「今は夢とか目標とか決めないようにしているんで」と言って、何も展望がなかった。結局その会社に2年勤めた。辞める年の夏に、今のメンターと出会ってライフコンサルを受けたことや、奥さんの会社が事業拡大を考えていたタイミングだったので、退職することにした。それから1年、奥さんと僕は二人三脚で、時に喧嘩しながらも一緒にやってきた。その一方で、自分という人間に対する理解を深めるためにメンターに色々なことを教わったり対話したりしてきた。

その結果、僕には並々ならぬ「自分のことを知らなければならない」という欲求があることが判明した。   

 それは、同世代と比べても明らかに突出しており、メンターからは「それは強みだよ」と言われた。同時に、「今までのような内観するようなやり方では限界がある。外に向かって活動するという領域で自分を知るということを早急にやらなければいけない」と言われた。細かいやりとりを省くと、まず僕がやることは、海外に行くことと、行きながらお金をどうにかすること、そしてワーホリや南極につながっていく。

 そうした活動をするにあたって、今月から奥さんと僕はそれぞれ自分で稼ぐということになった。自分でも信じられないくらい、発信をしている。自分が「やりたい!」と思いついたお金稼ぎのアイデアを形にするべく、毎日noteを書き、SNSを更新し、Podcastを始めて、YouTubeチャンネルを開設した。発信をする上で初めましての人に自分を端的に紹介する必要があるので、

30歳無職、海外ノマド起業からワーホリ→南極へ

と、キャッチーだと思う要素を並べて表現している。
これだけ聞くと、「すごいね!」となるかもしれない。(逆に30にもなって何をしているんだと思われるかもしれないが。)だけど、自分の中ではSNSやビジネスはお金を稼いで南極に行くためだし、海外に行くことやワーホリ、南極に行くことも、当然やらなければいけないことだからやっているという感覚だ。だからいわゆる情熱みたいなものではない。1つ1つのやることはパズルのピースのようなもので、それがなければ完成しないから仕方なくやっているのだ。

 実は一つ一つの物事にたいそうな情熱があるわけではない。もちろん内側から湧いてきたアイデアを形にしているので日々楽しいけれど、情熱があるというよりも、「当然やらなければならない」という脅迫観念に近い物事だ。無我夢中でアクションを起こしているとだんだんと本当に熱を帯び、周りから情熱に見える形になっていくように思う。それは「仮初の情熱」かもしれないが、その熱は周りに伝わっていく。多分、情熱があるかどうかはあまり関係がないんじゃないか。仮初でもいいじゃないか。長い人生の中で、自分が今このプロセスにいることを味わい尽くそうと思う。

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