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パレスチナ旅行記 #3 「家を守り抜くことだけが俺の夢」(全6回)

こんにちは。ただいまスウェーデンの大学に留学中の大学3年生です。記事を開いていただきありがとうございます。

パレスチナ旅行記、第3回です。今回は、ムハンマドと一緒にヘブロンという街を訪問した際の経験を文章にしました。

ヨルダン川西岸地区の中で最もイスラエルの侵入が激しい地域の一つである街、ヘブロン。

そこで僕が見聞きし、感じ取った現実は、僕の想像をやすやすと超える不条理の連続でした。

便利さと効率性と快適さに慣れてしまった多くの日本人にとって、目を背けたくなるような不都合な現実。僕らがぬくぬくと日々を過ごしているまさにその瞬間に、同じ地球の上には人間の尊厳を奪い取られようとしている人々がいるのです。

街をめぐり、痛ましい現実に全身を晒されたとき、僕の足元がふらっと揺らいだ感覚がありました。人生をかけて築いてきた、強固だったはずの自分の地盤が。

その目まいを読者の方も一緒に感じていただければ嬉しいです。

「俺の夢は、この家を守り抜くことだけだ」

最初に向かったのはヘロディオンという古代の遺跡。

遺跡を観光していると、すれ違った家族から「どこから来たんだい?」と声をかけられる。「日本です!」「お、そこにいるうちの娘、日本語を勉強してるんだぜ。おいスィーリーン、挨拶しなさい。」

その家族は僕が今から訪れる予定のヘブロンという街の出身であった。スィーリーンは日本のアニメが好きで、独学で日本語を勉強しているらしい。アニメは本当にどこまでも国境を越えていくんだな、と改めて感心する。まだ14歳ときいてびっくりする。とても大人びている。

「あの、どうやったら日本語が上手になりますか?」「いちばんは日本人と話すことじゃないかな。連絡先交換しよう。」そして後日、スィーリーンとSNSで交わした会話にまた色々と感じさせられるのだが、その話は最終回で。

「いつか日本に来てください!」そう言って別れる。この言葉がこれほどの重みを持ったことがあっただろうか。

遺跡から、遠くに砂漠を臨む。生まれて初めてこの目で砂漠を見る。天気がもっとよければこの先に死海も見えるらしい。

ヘロディオンを去った後、ムハンマドと僕は今日最大の目的地であるヘブロンへと向かう。

パレスチナの道は登り下りが激しい。45度以上も傾斜があるんじゃないかと思われるジェットコースターみたいな坂道を降りて、また登る。

ヘブロンに向かう道のところどころには銃を持ったイスラエル兵もいる。

「あいつらは何のためらいもなくパレスチナ人を撃つ。一昨日は3人、昨日は5人、俺らの仲間が銃で撃たれて死んだ。」

悲しいですね、と言いながら、あまり心が動いていない自分にも少し驚く。自分の理解できる範囲を超えすぎていて、共感することすらままならない。

目の前に開けた景色の中に赤屋根の住宅地を認めて、ムハンマドは言う。「あれはユダヤ人の入植地だ。」パレスチナの中には至るところに、このようなユダヤ人のコロニーが存在しているのだという。「俺らとエルサレムの間にやつらは壁を作った。でも自分たちのコロニーには壁なんてない。おかしいよな?」

ヘブロンは、今まさにイスラエルの侵入が最も顕著なエリアの一つである。

中でもパレスチナ人への抑圧が最も激しい旧市街に入るには、イスラエル兵が管理する検問を通過しなければならない。

「俺一人では危なくて入れない。観光客のお前さんと一緒だからなんとか通過できるのさ。」

とムハンマドは言った。

検問を抜けると、そこはゴーストタウンだった(訪れたのは金曜日でイスラム教の祝日であるため、普段はもう少し開いている店もあるらしい)。通りの店はすべて扉が閉ざされ、道に散らばるゴミをカラスがついばんでいた。

「祝日だから閉まっている店もある。だが、多くの店はイスラエル兵に商売を禁止されたから店じまいをすることになっちまったんだ」「なんでそんなことを…?」「理由なんざねえよ」…

20日ほど前までは、検問を抜けてすぐの通りで一人の勇敢なパレスチナ人がコーヒーを売っていたらしい。何度イスラエル兵と対立しても、そこをどけと金を積まれても、彼は決してそこを動かなかったそうだ。

「その男の名はアビドと言った。俺はここに来るたびにあの人と話した。あの人はヘブロンのパレスチナ人の心の支えだった。でも、死んじまった。彼がいない今、この通りも安全じゃない。あまり長くはいたくないから動いてもいいか。」

通りの上に張り巡らされたネット。
住宅の窓にはフェンスが設えられている。

ムハンマドは僕と一緒に町を歩きながらいろんなことを教えてくれる。

この通りの上に張ってあるネットは何のためかわかるか?ネットの上の家に住んでいるユダヤ人が道にゴミや大きな石を捨てようとするからだ。この窓はなんでフェンスで囲ってあるかわかるか?これはパレスチナ人の家の窓だ。ユダヤ人が石を投げて窓を壊そうとするんだ。ああ、あの建物を見てくれ。イスラエルの旗が立ってるだろう?あそこは昔地元の子どもたちのための学校だったんだ。今はイスラエルに奪われちまった。なあ、聞いてくれよ。ここの人たちって自分の家のドアに鍵をかけることも許されないんだぜ。イスラエル兵がいつでも乗り込めるように…

ムハンマドは、町の角を曲がるたびに悲しい話をひとつ、またひとつ僕に聞かせてくる。パレスチナの人々がいかに苦しい現実に直面しているか。積もっていくムハンマドの言葉と感情が濁流となって自分を呑み込んでいく。

僕の頭は何とか思考のバランスを保とうとする。すべてのユダヤ人が悪いわけじゃない、と僕は何度も自分の脳に忠告する。悪いことをしてるユダヤ人だって、自分の育った環境がそれを当たり前にしてしまっているんだ。そもそもパレスチナ人、ユダヤ人、って分けて考えるのがよくないんだ。何よりムハンマドの話は絶対にパレスチナ側の視点に偏っている。ユダヤ人側からしたら全く違うストーリーがあるはずだ。…でもそういう論理を、この小さな街に漂う大きな悲しみはたやすく破壊しようとする。

ここは昔、ヘブロンで最も栄えていたゴールデンマーケットがあった場所らしい。今は跡形もなく廃墟と化している。奥にイスラエル国旗が見える。

現地の住人が家に招待してくれるというので、一緒に入ってみる。ガーズィーという名の青年と、その母と思しき女性が出迎えてくれる。石造りの質素な住宅の階段を登ると、ヘブロン旧市街を一望できる屋上にたどり着く。

「昨日イスラエル兵が来て、この屋上に登ってはならない、と言われたんだとさ」ムハンマドが女性のアラビア語を通訳してくれる。「なんでですか…?」答えはわかり切っていても聞かざるを得ない。「理由なんざねえよ。機嫌が悪かったんだろう。」

女性はすでに息子を3人、失っているという。「子どもを産みたくても病院に行かせてもらえなかった。自宅で産んだあとに救急車を呼んでも、家の前まで来させてくれなかった。」

地階に降りて、ガーズィー青年とお茶を飲む。せっかく現地の人の声を聞ける機会なので、何か質問してみようと思う。相手を傷つけることのないように、慎重に言葉を選ぶ。

「もしイスラエル兵の侵略がなくて、ここにいなくてもよくなったら、何かしたいことはありますか?」

自分なりに精一杯気を遣って質問したつもりだったけれど、ガーズィー青年は心外だとでもいうような顔をして即座にこう答える。

「俺のしたいことは、この家を守り抜くことだけだ。それ以外にしたいことなんてない。」

僕は反省の念に襲われる。どんなに苦しい生活であっても、ここは彼の故郷であり、大切な場所なのだ。そして侵略が始まる前は、ここはもっと活気のある素敵な町だったのだ。

そうやって反省する一方で、僕はこうも思う。それでも僕は、彼に違う夢も見てほしい。家を守りたいというただ一つの目標は尊重したいけれど、それ以外に持てたかもしれない無数の夢を彼から遠ざけてしまったその環境を、僕は正しいと言いたくはない。

ガーズィー青年とお茶を飲んだ場所。置いてある家具は自作という。

話が途切れて少し気まずくなってしまったので、僕はお茶が入っているコップを見る。きれいなデザインだ。「このコップ、素敵ですね。」すると、ガーズィー青年がこう言う。

「あげるよ。持っていきな。」

一瞬言われたことが解釈できず混乱する。「え、くれるんですか…?」物質的な豊かさとはほど遠い生活なのに、大切なコップをそんな簡単に手放してしまっていいんですか…?でもガーズィー青年の所作に迷いはなさそうだった。ムハンマドが言った。

「持って帰ってさ、そのコップを見るたびにお前さんがここで見たことを思い出してくれればいいんだよ。」

ガーズィー青年にもらったコップは、これを書いている今も目の前の棚に置いてある。


「ありがとう。必ずまた訪れます。」

「俺はここから去ることはない。また会おう。」

ハグをしてガーズィー青年に別れを告げる。そして僕とムハンマドはヘブロンにも別れを告げる。(続く)

ヘブロン旧市街の子どもたちは、ムハンマド家の可愛い子どもたちとは違っているように見えた。僕らに向けてゴミを投げつけてきたり、無表情だったり、金をせびってきたりした。パレスチナの中も一様ではない。

第4回記事はこちら↓

記事を読んでくださった方へ

ここまで読んでいただきありがとうございます。
この記事を読んでいただくにあたって留意していただきたいことを、第1回記事の最後にまとめています。まだ読まれていない方は、ぜひ目を通していただけたらと思います。

第4回記事では、ヘブロンからの帰り道で起こったことについて書こうと思います。

僕にとって最も「きつかった」体験のお話になると思います。

ムハンマドたちと築いてきたはずの信頼が、一つボタンをかけ違えただけで瞬く間に不信へと変貌したとき。僕はこの場所において紛れもない「よそ者」であって、誰も頼れる人はいないんだと感じてしまったとき。僕の恐怖や混乱は今まで感じたことがないくらい大きいものとなりました。

読んでいて気持ちの良い話ではないかもしれませんが、それは同時に、異なる人間どうしがわかり合える(と思える)ことの「有り難さ」を僕に教えてくれた、とても大切な経験でした。

また次回もお付き合いいただければ幸いです。

第4回記事はこちら↓

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