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パレスチナ旅行記 #2 「優しすぎて怖い」(全6回)
こんにちは。ただいまスウェーデンの大学に留学中の大学3年生です。記事を開いていただきありがとうございます。
さて、「パレスチナ旅行記」第2回です。第1回記事では、僕がパレスチナに到着してからムハンマドの家を訪ねる決断をするまでについて書きました。
今回は、ムハンマドの家で過ごした最初の一晩について書いています。
みなさんは、誰かの優しさに恐怖を覚えたことはありますか?
僕は、今回の旅で生まれてはじめてそんな経験をしました。
誰かが自分にしてくれたことが、自分の理解と経験の範疇を超えていたとき、それは自分の中に恐怖を呼び起こし得る。
そんなことを僕は彼らに教わりました。
「わからない」という本能的な恐怖。
たとえ誰かがしてくれたことが「優しさ」の表現であったとしても——。
では、お楽しみください。
「優しすぎて怖い」
タクシー、もとい、ムハンマドの自家用車は彼の自宅があると思われる方向に向けて走り出していく。
お願いしてから不安になる。もしムハンマドの提案が全部うそで、知らないところに連れていかれて身ぐるみ剥がされたらどうしよう。家で気を抜いた隙に、パスポートやら財布やら全部盗まれたらどうしよう。熟考したつもりであるとはいえ、しょせんトラベラーズハイの状態の決断である。身が縮こまる。でも車は既に走り出している。なるようになる、と心を落ち着ける。
ムハンマドの家は、小高い丘の上にある住宅地の一角にある。家にたどり着くと、たくさんの子どもたちが出迎えてくれる。少なくとも子どもが9人いるという話は嘘ではなかったんだな、と理解する。
入って入って、と急かされるように家の中に招かれ、近くにあったソファに座らされる。子どもたちや奥さん、おばあさんと思われる人々がわらわらと集まってくる。
ムハンマド以外の家族はあまり英語が得意ではないようだ。大人や年上の子どもに辛うじて通じる簡単な英語とジェスチャーを使ってコミュニケーションを取ろうとしてみる。9人も子どもがいると名前を覚えるのにも一苦労だ。最年少はアナスとナハラの双子の9歳。明後日が10歳の誕生日らしい。ムニーラ、ムダル、ファイサル、ズィーナ、ターミル、お母さんのハウラ、おばあさんはウルファ、全員の名前を訊きおわる頃には最初の子の名前が頭から飛んでいる。あれこの子の名前は何でしたっけ。あ、ムニーラか。ごめんなさいね。
日本の写真を見せてあげようと思って、北海道で食べた豪華な海鮮丼の写真なんかを見せる。「SUSHI!!」子どもたちは喜ぶ。でもその瞬間僕は後悔する。僕は今、子どもたちに叶わない夢を見せてしまったのではないか。考えすぎかもと思いつつ、きゅっと胸が痛くなる。
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お母さんのハウラがご飯を運んできてくれる。とてもじゃないが一人では食べきれない量。家族全員が少し不安そうな、でも好奇心に満ちた目で僕が食べものを口に運ぶところをじっと見つめる。こんなにじろじろ見られながら食事をするのは生まれて初めてでちょっと、いやかなり気まずい。ぱくり。あ、普通に美味しい。「美味しいってなんて言うんですか?」「ジャイエット」「なるほど、ジャイエット!」お母さんの顔が少しほころんだように見える。
みんなが優しい。異常なくらい優しい。優しすぎて、逆に不安になってしまう。コップに注いでくれたコーラにはほとんど口をつけていないのに、別のコップに水を入れて出してくれる。食事の終わりには温かいお茶を淹れてくれる。「もうお腹いっぱいです!」と言っても「まだまだ食べていいんだよ」と言われる。本当にもう食べられないんだと主張してわかってくれた瞬間にみんなでいそいそと食器と簡易テーブルを下げて、代わりにいそいそとベッドが運び込まれてくる。たった一つのベッドにこれでもかと言うくらいブランケットが積み上げられる。「疲れたでしょう。寝て、寝て。」
着替える間も、歯を磨く間も無くほぼ強制的にベッドに寝かせられる。電気が消える。家族の驚異的な連携プレーにより、息をつく間もなく僕は眠りにつくことにされる。
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暗闇の中でかびの匂いがするブランケットにくるまりながら、不安を覚える。最も怖いのは「わからないこと」だと思う。
治安が悪い、お金に汚い、そういうことももちろん怖い。でも、それよりもこの人たちが何でこんなに優しいのかがわからないことが怖い。その優しさは僕が今までに経験したどんな優しさとも違っている。なんか頭のネジが飛んでいるみたいな優しさだ、と思ってしまう(それとも頭のネジが飛んでしまったのは僕や僕の住んでいる社会の方なのだろうか?)。
もしかしたら彼らの行為は打算的な優しさで、あとですべての親切に対してお金で報いるように要求されるのかもしれない、と考える。そうだとしても全く不思議ではない。むしろそういう理由があった方がわかりやすい。
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部屋の中には僕ともう一人、16歳の男の子ファイサルが一緒に眠っている。彼はどうやら滞在中の僕の世話係を任命されたようである。それは純粋な親切心からだろうか?それとも隙を見て僕の貴重品を盗もうとしているのだろうか?申し訳ない気持ちにもなりながらも、疑り深くなる心にストップをかけることはできない。音を立てないようにそっと、僕のバッグをファイサルから引き離す。上着のポケットの中にパスポートと財布と携帯を入れて、着たまま寝ることにする。
深くはないがいつの間にか眠りには落ちる。日本の友達のことを夢に見る。同じ地面の上にいるはずなのに、どんなに手を伸ばしても届かない。
猜疑心に満ちた夜が明け、浅い眠りから覚める。バッグは変わらず自分の隣にあって、自分は問題なく生きていることを確認する。
子どもの一人、アナスに無理やり引っ張り起こされる。アナスは無邪気さにかけては右に出るものがいないこの家の陰の王さまだ。ただただ可愛い。もちろん子どもたちは一人残らず可愛い。イノセントという言葉がぴったりくる。この子どもたちがいつまでもこの笑顔を絶やさずにいてくれたらと思う。
でも、9人の子どもの中でも、年上になるにつれてだんだん物静かになっていく傾向を感じる。生きることの大変さを知っていくからなのか、単に落ち着いた大人へと成長していくからなのか、判断はつかないけれど。
朝ごはんをいただいている間にも、子どもたちは無邪気にアプローチしてくる。パンダのぬいぐるみ。ネイマールのフィギュア(首より下の作りが雑すぎてネイマールに申し訳なくなる)。そしてメッシの生首。うん、持っているものに脈絡がなさすぎる。でもカンフーパンダが大好きだったり、メッシ派かネイマール派かを議論できたり、ナハラがアナ雪のスリッパを履いていたり、こんなに違う世界の子どもたちともおんなじことで盛り上がれるんだな、と思ったりする。
ファイサルが僕に何かを差し出してくる。見ると、それは「PALESTINE」と印字がされたストラップだ。"For me?" とジェスチャーを交えて聞くと、うん、うん、とうなずいてくる。シュクラン(ありがとう)、と覚えたてのアラビア語を使って礼を言って、ストラップを受け取る。
彼はなぜ僕にそれを渡してくれたのだろうか。「パレスチナの惨状を覚えていてほしい」というような、ある種の「被害者意識」は、少年ファイサルの中にすでに芽生えているのだろうか。あるいはただの「もてなし」以上の深い理由はないのだろうか。想像するほかはない。
ムハンマドに促されて車に乗り込む。出発前に値段の交渉をする。ムハンマドは本当はもう少し欲しかったようで、「最後にもう少し上乗せしてくれてもいいんだぜ」とやたらと強調してくる。
なんとか値段の交渉を終え、僕らは家を出発する。
それは、僕にとって忘れられない一日のはじまりだった。(続く)
第3回記事はこちら↓
記事を読んでくださった方へ
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この記事を読んでいただくにあたって留意していただきたいことを、第1回記事の最後にまとめています。まだ読まれていない方は、ぜひ目を通していただけたらと思います。
第3回記事では、パレスチナ(ヨルダン川西岸地区)の中でもっともイスラエルの侵入が激しい地域の一つである「ヘブロン」という町を訪問したときのことについて、おもに書きたいと思います。
今回の連載の中でももっとも痛ましい話をたくさん書き連ねることになると思われますし、だからこそ連載の中でもっとも読んでほしい回の一つです。
次回もお付き合いいただければ幸いです。
ありがとうございました。
第3回記事はこちら↓