Borderland #2 (プログラムを終えて—アカデミック編)
以下では、プログラムを終えての感想というか、書き留めておきたいことを書き連ねていきます。アカデミックなこととそれ以外のプライベートなことに分けるのが最もわかりやすいと思ったので、そのように分類しました。
自分の関心を具体化させることができた
前述のプログラムを通じた目標の1つであった「興味関心を尖らせる」ことはかなり高い水準で達成できたと思います。これに関しては自分のResearch Proposalの要旨的な部分をそのまま引っ張ってくるのがわかりやすいと思うので、ここに引用します。(日本語訳・一部改変)
結構固い言葉、かつ直訳的なのでわかりにくいかと思いますが、砕いて言えば「どういう人たちがイスラエル・パレスチナで平和や和解を推進する組織に参加する傾向にあるのか?」を調べたいということです。
具体的な研究テーマをいったん離れて、僕のさらに大まかな関心を言葉にするのであれば「イスラエル・パレスチナのような、異なるグループに属する人々を憎み合う価値観が支配的な場所にあって、なぜ一部の人々はそれでも互いに歩み寄ろうとすることができるのか?」といったものです。この関心テーマを土台に、文献調査や現地で実際に活動する平和構築組織のリサーチなどを経て、上記の具体的なResearch Proposalの要旨が出来上がった、というところです。
プログラム1日目に他の参加学生に「イスラエル・パレスチナについて興味があって…」という話をしたときに「具体的にそれの何に興味があるの?」と言われて答えられなかったことを考えると、結構な変化だなと思います。
さて、ここでなぜ上記のような関心を持つようになったのか、ここで整理させていただきたいと思います。
「人間」について、長らく興味がありました。具体的に人間の何に興味があったのかと聞かれると難しいですが、人間の割り切れなさとか複雑さと言ったらいいんでしょうか、数学とか科学的方法ではどうも理解しきれなそうな、「はい、これが万人が賛成する客観的な答えです」っていうふうに答えられないたぐいの問いのタネをたくさん抱えていそうな、そういうところに惹かれていました。
そんな問いの一つが「なぜ人は生きるのか」です。大雑把でいかにも根本的な、答えがない問いの代表的なものだと思います。宗教とか哲学といった形で大昔から人間が取り組んできた問いの一つだとも思います。
この問いに特別な興味を持ち、自分なりに自分ごととして答えを見つけようと取り組んだのは、スウェーデンに留学中だった前の冬です。留学前、東京での目まぐるしい生活に忙殺されて行き詰まっていた僕は、スウェーデンで過ごす冬の中に、ついにほとんどあらゆる現実的なストレスから解放される時間を発見し、ゆっくりと長期的な問いに目を向けることができるようになっていました。「自分はどういう人間か」「自分はどう生きたいのか」といった問いに内省的に向き合う中で、いつも最終的にぶつかる問いが「なぜ自分は生きているのか」でした。そして僕はそれに対して答えを見つけることができませんでした。
そんな僕の思考を数ヶ月後になって支持してくれたのが、アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』でした。不条理の哲学の代表的な論客であるカミュは、「生きていることに意味などない」と留保なしに言ってのけ、その厳然たる真実の中に人間が生きる「美しさ」のようなものを逆説的に見出そうとしました。僕はカミュの主張が自分自身の考えの土台を提供してくれているようにも感じましたし、基本的に彼の主張には共感しました。
一方で、「カミュや自分(並列してしまうのが僭越すぎますが)の主張は本当に妥当なのだろうか」と疑問を抱く、批判的な自分もこっそりと出現していました。批判的な自分は、おもに2つの点から反論の糸口を見つけ出そうとしていました。
1つ目は、宗教です。中でもユダヤ教・キリスト教・イスラム教という、西洋世界に大きな影響を及ぼしてきた一神教です。それらの宗教は、例外なく「なぜ人間はこの世に生を受けるのか」という問いに取り組んでおり(むしろ、そのような問いに人間が取り組んだ結果としてそれらの宗教が生まれたという見方もあるかもしれません)、それぞれに人間を教え導く説得力のある答えを見出しているはずです。あるいは、教えがどうであるかによらず、それらの宗教はそれを信仰する人々に時代を超えて何がしかの「生きる意味」を提供してきたのでしょう。それゆえに、宗教というものは「生きることに意味はない」という不条理的な主張に対するかなり有力な対抗馬になりうるのです。もちろんカミュもそのことを承知していて、『シーシュポスの神話』ではことあるごとにキリスト教的思想を取り上げて批判しています。特に「理性的思考」に重きを置くカミュは、理性の領域外にある問いの全てを「神」で説明してしまおうとする宗教の姿勢を、「生きることに意味はない」という不都合な真実から目を逸らそうとする人間の弱さからくるものだと糾弾するのです。
それはもちろん一つの有力な議論です。しかし、カミュは「理性の外にあるものごとは(定義上)考えようがない」と言っただけで、別に「神が存在しない」ことを証明したわけではありません。また、仮に「神」に相当する何かが存在しなかったとしても、「生の意味」に関する問いの回答が、そのかけらだけでも理性の埒外に転がっている可能性は排除できません。(少なくとも普通の)人間にはその可能性を明確に証明することもできないというだけで。
宗教というのは、カミュが言うように本当に理性の限界に直面した人間の逃げ道に過ぎないのか?あるいはそれ以上の何かがあって、それが「生の意味」についても何かの示唆を与えてくれるのか?というのが僕の批判的思考の第1です。
2つ目はもっと個人的なことです。僕は、日本の中流〜上流の比較的安定した環境で生まれ育ってきた、恵まれた人間です。生きる意味について、腰を据えて思考を巡らすことができる、というのがまさにその証左で、自分自身が生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたり、明日の食い扶持を確保できるかで悩んだりしたことは全くありません。また、生きるか死ぬかの日々を生きているような人々と深く関わり合いになったこともありませんでした。
だからこそ、「生きる意味」に関する問いに対する自分の思考に対しても懐疑的にならざるを得ませんでした。そんな恵まれた人間が考える「生きることの意味」にいったいどれほどの普遍性があるだろう?自分は非常に狭い視野の中でしか物事を考えられていないのではないか?…といった疑いがあったのです。そのような事情があって、自分が生まれ育ったものとは全く異なる現実を生きる人々と関わり、彼らが見ている世界に少しでも近づきたい、と僕は思っていました。
さて、おそらく想像いただける通り、イスラエル・パレスチナという場所へ訪れたことは、そういった二つの批判的問い(こうやって綺麗に構成し直したのは後になってからですが)に対して数多くの示唆を提供してくれました。一つにはその地域が歴史的にユダヤ教・キリスト教・イスラム教の重要な焦点になっており、そこで暮らす人々も他の地域に比較してとりわけ信心深い人が多かったことがあり、もう一つには、特にパレスチナにおいてですが、僕が今まで目にすることもなかったような厳しい現実に身を置くことを余儀なくされてなお尊厳を持って生を送る人々と関わる機会を得たことがありました。
ですから、結果的にではありますが、それらの地域への訪問が自分に与えた影響は、それ以前の自分が考えていたことと接続して考えることが重要だと自分では認識しています。ぼけーっと全く違うことを考えていた折からパレスチナに行って青天の霹靂、ありとあらゆる考えが180度ひっくり返ってしまった…というわけでもないのです。
とはいえ、それ以前の思考とは独立して受けた衝撃や気づきといったものもその旅の中ではもちろんあって、それらもまた前述の具体的な学問的関心を持つようになる中では重要な役割を果たしています。
例えば、パレスチナで僕が最もお世話になった人々が「パレスチナ人である私たち」と「イスラエル人(あるいはユダヤ人)である彼ら」について語るその語り方は非常に印象的かつ衝撃的でした。「私たち」は非常に貧しく、今日を生きるのに精一杯で、常にイスラエルの兵士に脅されて生きてる、そんな「可哀想な存在」。対してイスラエル人は——あるいはユダヤ人は——私たちのことを躊躇なく辱め、私たちの土地を奪っていく、例外なく極悪非道な存在だ——。そうやって、これ以上ないほど明確に「Us」と「Them」の区別を明確にして語ること、自分たちのことをことあるごとに卑下して語ろうとすること、少数のイスラエル兵が顔も見たことがないすべてのイスラエル人(やユダヤ人)を代表していると考えていること。そして何より、そのような健全には程遠い語り方、考え方を持たなければ自分たちのアイデンティティや「生き続ける理由」を持ち続けられないこと。それらを感じ取ったときのやるせない感情は自分の中に残り続けています。
別の観点から言えば、僕はまた、パレスチナの彼らがこの終わりの見えない脅威の中で生き続けていることに驚きと敬服の念を覚えないわけにはいきませんでした。僕は人生を送るにあたって明確な「生きがい」のようなものを必要としていて、日々生活を送る中で得られる刺激や変化や「誰かの役に立っている」という感覚が僕に「生きがい」を提供してくれている。あるいはうがった見方をすれば、それらの刺激や他者貢献感が定期的にやってくることによって、僕は「生きることに意味はない」という裸の真実から逐一目を逸らすことができる。けれども、パレスチナを生きる彼らにとっての毎日は、継続的な脅威に対して精神をすり減らすことと、なんとか食い扶持を確保して生活を維持しようとすることの無限の繰り返しであるはずです。そんな中で、刺激的な変化を求めることも創造的な価値を生み出すことも僕に比べれば圧倒的に難しいであろう彼らは、どうやってその厳しい、あまりにも厳しすぎる現実に向き合っているのでしょうか。そして、そんな彼らがときに僕が知らないとても大事なことを知っていそうに見えたのはなぜなのでしょうか。そんな疑問や興味も、僕があのとき以来持ち続けているものです。
さて、以上で述べたような「生きる意味」の探索についての興味がどのようにして「なぜ一部のイスラエル・パレスチナ人たちは歩み寄ろうとすることができるのか?」という問いにつながるのかですが…残念ながら、この肝心の部分に強いロジックは今のところ見つかっていません。一つあるとすれば、前述のような「他者を貶めることによって自らのアイデンティティを維持する」という現象が見られるということは、同時に、他者の人間性を認め歩み寄ることが自らの実存に対する危機になりうることを示しています。そのような危機に直面するリスクを負いながら、あるいは実際に直面しながら、なお生き続けることのできる彼らに備わっているであろう力強さやレジリエンスの源泉を知ろうとすることは「生きる意味」の探索にとっても直接的に有意義なことだと言えるでしょう。そのほかにも色々と接続は考えられそうですが、正直この部分は直感によるものが大きいというしかなさそうです。「憎み合うこと、歩み寄ること、許すこと、愛すること、といった他者との濃密な関わり合いの相の中に、『生きる意味』に関する重要な示唆が含まれていそうだ」というような。でもそれがある程度強い直感で、自分はそこまで間違ったところを掘ろうとしているわけではない、という感覚を持っているので、納得できている、という感じだと思います。
だいぶ本筋からずれて自分の関心領域に対するモチベーションについてわりと深く掘り下げてみました。
実は今はプログラムを終えてのアカデミックな感想を書いている途中でした。ここから本筋に戻って次の感想に移っていきます。
自分が実行したいと思えるResearch Proposalを書くことができた
つい今しがた書いたことと直接繋がりますが、自分の書いたResearch Proposalは単なる一プログラムの成績評価のための課題であるにとどまらず、今後の自分に生きてくるものになったと思っています。内容について考える過程で自分の興味関心を尖らせることができた、という意義については先ほど書きましたが、結果的に出来上がったものに対しても個人的にはそれなりに満足しており、「この研究テーマだったら自分で実行してみたい」と思えるものになっています。
これについては、Research Proposalを書く際に、現在の自分の能力や所属にとらわれず、自分が様々なリソースやスキルを持った一人前の研究者だと仮定して自由に計画するようにアドバイスを受けたことが大きかったです。当初は「学部生や修士でそのまま実行できそうな現実的なProposalを書いて直接役に立てられれば…」などと考えていましたが、結果的にかなりのムーンショットだけれど現実に実行可能ではある「夢のProposal」を書く機会を得たことで、「できるかどうか」よりも「したいかどうか」に重点を置いて考え、執筆することができました。テーマの重さ的に適切な言葉ではないかもしれませんが、夢をもてたし、ワクワクできるようになったと思います。
もちろん今後学びや実践を深めていく中で自分の興味関心が移り変わることはあると思いますが、現時点での自分が最もやりたいことというのを100%のエネルギーでアウトプットできたというのは非常に意義のあることだと思います。今後どこかのタイミングで自分がモチベーションを見失って迷うようなことがあったときに自分を導いてくれる北極星のようなものになってくれたら、と願っています。
先生方や同世代の友人と良い関係を築くことができた
目標の最後に挙げていた「ネットワーキング」に関しても、そこそこ達成できたと思っています。人間関係に関しては次のセクションでもう少し詳しく書きたいと思いますが、アカデミックな関心や指向性の似た人々とそれなりに深い関係を築けたのはとても有意義なことだったと思っています。例えば他の参加学生と「Research Proposalどんなこと書くの?」という会話をするたびに自分の関心について口にし(英語で、というのも個人的ポイント)、相手から感想をもらうなどしたことで、その関心についての確信度を自分で測ることができたり、より自分の関心を的確に言い表す言葉を見つけることができたりしました。
教授・コーチ陣とも良い関係を築けたと思っています。カジュアルな1on1(といっても僕からすると緊張感はありましたが)で自分の研究テーマを簡潔にプレゼンする能力が付いたのもよかったですし、Research Proposalについていただいたフィードバックも役に立つものが多かったです。また、Proposal関連以外で交わしたアカデミックな会話——その教授自身の研究テーマやそれにかける思いなど——も非常に意義深いものでした。特に、僕がプログラムの主催者の教授の一人に対してその教授の推進するアカデミックな取り組みに共感している旨を伝えたときに、その先生が非常に熱心に自分の志について話してくださっただけでなく、僕自身がその取り組みの推進に協力できるような具体的なアイデアを共有してくださったことはとても印象に残っています。これからどのように関わっていくかはまだ未知数なところもありますが、いずれにせよ今後長く続く可能性のある関係を構築できたことは良い成果だったと言って良いと思います。
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