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デザインの身体性とメタ認知

私は、デザインの身体性について、以前通っていた大学院で教わったのですが、なぜそうなのか自分の中で腑に落ちていませんでした。また、その大学院の授業でも、詳しい解説がなかったように記憶しています。

デザインの身体性とは
「体を動かせば心が軽くなって頭が働いていいデザインができる…?」
そのような理解に留まっていました。
本当にひどい解釈です。

ですが、先日受講した、劇作家であり、演出家の平田オリザさんの「ワークショップとコミュニケーション教育」という講義を通して、一気に理解できました。

私は、今現在ワークショップデザイナー育成講座というものに通っているのですが、この講座で「デザインの身体性」について理解しました。そのため、ワークショップついて簡単に説明します。

ワークショップを一言でいうと
「ワークショップとは、参加者に気づきをギフトするものである」
ということだそうです。
つまり、気づきというものをデザインするのですが、そのデザインの方法を説明するのは端折りますが、それをするには自分が自身のことを深く知ることが必要で、更にいうと「メタ認知」する必要があると話されていました。

「デザインの身体性」と「メタ認知」一見関係ない話のようのですが実は、これらが結びつきます。

正直私は、「メタ認知」というものをある程度理解しているつもりで、私が運営しているUXデザインのコミュニティで「メタ認知」を一つのテーマに掲げるぐらい現在このキーワードについて学んでいます。
ただそれは、プロスポーツ選手が体験する「ゾーン」のようなもので、それを一般の我々が体験するには、訓練を積んでその極地に行く必要があり、非常に難しいモノと考えていました。

しかし、平田オリザ先生の講義で、自分を演じるという行為を通して、目線を主体から客体へずらすことでき、更にそこから離れて全体を俯瞰することによって「メタ認知」することができるとおっしゃっていました。

つまり、体を使って(動かして)演じる(デザイン)という行為、表現を通して、誰でも簡単にその「メタ認知」を体験でき、そこから気づきが得られるということなのではないでしょうか。そして、私は、身体性とは視点のことなのだなと理解できました。

デザインするためには、デザイン対象物とデザイナーの視点をどの様に置くかが重要です。そこには当然コミュニケーションがうまれるわけです。つまりデザインの身体性とは、デザインする対象物とデザイナーの視点とのコミュニケーションのことをいっているのではないでしょうか。

今後、私が実施するワークショップの中で、この演じるという行為をどの様にギフトするか考えて行きたいと考えております。

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