AI時代と絵を描くということ
モナリザの構図で現代の女性像を描きたいと色々構想を練りようやくイメージを膨らませる段階でPhotoshopでモナリザに落書きを!と思ったら止まらなくなりました。
最初はポニーテールを生やして切り上げようと思っていたのに・・・
30分!と始めたのに3時間続けてしまった
次の作品のためのイメージを決めるために少し描くはずだったのに気づいたら3時間描き続けてしまいました。
しかしここにこそ人間の本質があるのでは?と、ふと思いnoteに書き綴ろうとパソコンをたたいています。
AIと人間の身体性
私はを描くとき、ゾーンに入ってる様な、ノッてくると描く対象に恋する感覚があります。
(今回でいうと、最初からモナリザに恋しているというよりも、あ、こんな感じ!と自分の理想かも、と思えたあたりから。。)
これは客観的に見るとキモイとも言えてしまいますが、この私の持つ生物としての変態性が私は絵画を描くという体験を通してリアルに感じることができる。
これは、生成AIを用いて絵をモノの数秒で生成することでは味わえない身体性をもった体験だと思います。
この様に言及することはある意味で制作過程に感じていることはAIに対してのアンチテーゼになりうる。
生物としての変態性は、人工知能時代においても依然として人間の特権であり、感性や感情を持つアーティスト、製作者、人々の手によって表現されるものです。生成AIの絵が瞬時に作り出す作品には、この深層の変容や表現の奥深さにあるこだわりや癖(へき)のような要素が欠けていると感じます。私の絵画は、そういった人間の特異性を探求し、現代社会における絵画の存在の意味を問い直す試みとも言えるでしょう。
資本主義と趣味と探求/研究
最近AIのせいで絵を描くのを渋ってしまうという人をネット上で見ることがあります。または絵を描くのを辞める人まで。
この様な人々の心情は、自分の知的欲求であったり好奇心、ワクワクなど、個人的な感情をすべて資本主義的な箱の中で考えてしまう人が多いのではないかと思います。(私の考察ですが)
時間が飛んだ
よし、こうなったらダヴィンチのモナリザよりもかわいいのにしちゃおう!
と意気込んだのが1時間を過ぎたあたりのはず・・・
ここで、私は現代アートをしているので
なぜ今回の作品を作ろうとしているのかについて少し語らせてください。
現代のモナリザを描こう
私は日本の文化的価値を世界の中で考えた時に、禅や詫びさび、そしてかわいいがあるのではないかと思います。
【結論】自らの欲と変態性の追求
この髪の毛はこの流れで、目の形はこうで、唇にもハイライト
あぁかわいい、こうしたらもっとかわいくなるかも。(←キモイな)
と、こんな風に絵を描くことができる時間が私にとっては人生の中の幸福を感じる瞬間の一部です。
その瞬間に関しては人それぞれ違うと思うけど、それぞれがそれぞれで楽しいと思う瞬間があると思います。
その瞬間こそあなたの人生は輝いているんじゃないかな。
私の3時間は30分くらいの感覚で飛んでいきました。これくらい集中で切ることが最高の贅沢の一つとも思えます。
製作段階で抱えるキモイとされる可能性、それこそが私の作品、いえ、人の手が作るであろうモノゴトの魅力でもあります。もっと言えば、そこまでこだわりを持てる変態性を、深掘ったりのめり込んだりできる物事に巡り合える事こそがある意味で幸せで、その時間や体験というものはAIを通しても、他人を通しても味わうことができない、個人それぞれが持つ本質的なこと、生きるということ、生物としての本質ではないかと思います。
本当に最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
作品についてはWEBサイトをチェック!