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こだわりがつよい自分が見つけた日々の生活を豊かに過ごすための5つのマイルール

ASD・ADHDだからと一括りにするには危険ですが、僕は「こだわり」が強いです。


決まった時間の電車に乗って、決まった車両、席は決まって隅っこ。


「別の電車に乗って、車両が1両ぐらいズレてもいいやん」って自分にツッコむんですが同じことするんですね😅


その一方でお仕事や人間関係は柔軟にいきたいなと40歳手前でやっと思えるようになりました。


やっぱり自分のこだわり、こうすべきを無理に通そうとしてギクシャクしてしまったら元も子もないです。


そこで今回は僕のお仕事や人間関係など、日々の生活を整える5つのマイルールをまとめてみます!


1.人からのアドバイスは応援だと思って聞く


僕はプロフィール記事に書いているB型事業所のお仕事のほかに、障害者雇用に近いバイト的なこともひっそりやっていた時期がありました。


そのときのバイト支援員のリーダーに大きな不満を持っていました。


①リーダー的に存在なのに、他の支援員さんに愚痴を言われても言い返さない

②こちら今日の仕事の心づもりをしているのに一方的に違う仕事をするように指示を出してくる

③雨の時に片道30分かかるマンションまで15分だけの清掃のために行くことを決める


本当に不満だらけでした。


そしてある日、「人は自分が思ってるほど自分のことを気にしていない」なんて言い出す始末。


僕は「もっと気にしろよ!あなたがちゃんとまとめないから職場の雰囲気がすごい悪いんだけど」と思いました。


さらに別のバイト支援員さんにも不満を持っていて、紹介してもらった職業訓練施設(これもプロフィールに書いていないところ)に行ったら自習ばかりで「僕なんで、ここに行ってるのかわからないんですけど」と言いました。


するとそのバイト支援員さんは「世の中にはもっとひどい職場もあるよ。そんなことで悩んでても仕方ないじゃん。頑張ってみたら」の一言。


「えっ?この人って僕がひどい職場に行ってもいいって思ってるの?ひどい職場にちょっとでもよくなってもらって障害者が働けるよう呼びかけようとかはないの?」とイライラ。


「雇用してもらってるんだからこの人たちの指示は聞くけど、考え方には絶対染まらない」と決めていました。


でもある日、「僕の職場、本当にひどいんですけど」とある方に相談したところ・・・


ある方は「うんうん。ひどいよね。でもね。この人のこれが悪い、あれが悪いって目線で見ていくと、もう悪者目線でしか見られなくなって、ようへいくんの的を得てること言ってるかもしれないのに全部見落としてしまうよ」とアドバイスをいただきました。


そうか。悪者目線か。


たしかに言ってきた本人を好きになるというのはむずかしいけど・・・


①僕に仕事を頑張ってほしいという気持ちを持っている

②人より自分のことを考えて生きるのは大事

③ひどい職場というのは極端だけど、どこの職場に行くにしてもそれなりの対処力をつけておくのは必要


なのはまちがいないなと感じました。


それ以来、人の好き嫌いは関係なく、人からのアドバイスは応援として聞いて、本人が僕の事情を理解せずに言ってきたことに関してはスルーしようと決めました。


それから5年ぐらい経ちましたが、イライラしたり落ち込んだりすることもリカバリーが早くなりました。


一生をかけて、そういう受け止め方ができるよう練習していきます。

2.キレて怒ったときはすぐに謝る


「ようへいくんってやさしいね」どこに言っても言われることですが、決してやさしい部分ばかりではありません。


家ではタレントや政治家の文句ばかりだし、前の事業所の後輩にはいまでも容赦なくモノを言います。(悪口だけでなく、いい点もちゃんと)


そして、喉元までひどい言葉が出かかることもあります。


それどころかストレス(感じた違和感)をどんどん溜め込んでるときは言ってはいけないことを口に出してしまいます。


この人と建設的に話すのは「無理」と思ったとき、「もういい加減にしろよ!」と帰ったこともあります。


一番キレて怒ったのは前のB型事業所のときに他の利用者さんに自分のやり方を強制する言い方をされたこと。


内職作業を手伝おうとしたら「これ私のやし持っていかんといて!」の一言。


前からその利用者さんは自分のやりたいようにやらせてくれないと、職員さんや他の利用者さんにすぐあたる悪いところがありました。


僕も作業に集中してたこともあり怒りが爆発。


「おまえさあ!ほんまにいい加減にしろよ!自分のやりたいようにやってばっかり。こっちはな10年間ここにいて事業所のルールも変わって我慢してるねん!おまえの歳は知らんけど、こっちの方が先輩やしもっと先輩を敬えよ!それができんのやったら、もうここを辞めろ!」


パワハラにとられてしまっても仕方ない言い方ですが、このぐらい言わないとこの人は言うこと聞かないだろうと誤解していました。


当然怒って帰ったのは言うまでもありません。


ただ帰って「ああ。またやってしまった😰」と大後悔。


その後、その利用者さんには「きつい言い方をしてすいませんでした」と謝り、その利用者さんも「私もわがままなことばかり言ってすいません」と謝ってくれました。


いまの事業所でもニュースレターの枚数確認で職員さんや利用者の方とコミュニケーションがうまくとれないことがありました。


そのときは本人に文句は言わなくなっていましたが、「わあーーーー」となり、あとでお2人に謝りました。


キレて怒ることはだいぶなくなりましたが、そのリスクはASD・ADHDである以上はやっぱりつきまといます。


ストレスを溜め込まないように一緒にお仕事する人とはまめにコミュニケーションをとって、もしものことがあったら謝ろうとマイルールを決めています。

3.前日に準備しておけるものは準備する


2013年、母校の龍谷大学に東急エージェンシーとavexでマーケターをつとめて、作家としても活躍している先生が客員教授として赴任されると知りました。


早速、講義の聴講をお願いし、先生が大学から京都駅に戻られるときもご一緒してました。


ところがある日、大学の最寄りの駅から先生と電車に乗ろうとしていたとき、ICカードがポーチから出てこない😥


そしたら「高見くん悪いけどスケジュールがあるし先に帰るわ!」と先生。


毎週、先生には会えるのですが「ああ。せっかくの時間やったのに」と後悔。


当時は僕がどん臭いからかなと考えましたが、数年経って自分のスケジュールや希望をかなえるための小さな準備が足りなかったからだと気づきました。


それからは前日に準備できることは準備しておこうと決めました。


ICカードや財布はポーチのすぐ出せる位置に入っているか、メモを持っているか、ペンのインクは出るか、すぐ返信や録音や文章の完成ができるようスマホの各アプリの仕様は覚えているかを前日に必ず確認します。


そうするうちに当日の朝は時間に余裕もでき、noteやMarbleスクールの課題の執筆ができるようになりました。


当日に「あれをしなきゃ、これもしなきゃ」ってやってると心の余裕がなくなり、普段の自分さえ客観的にも見られなくなるなというのも発見でした。

40歳手前でほんの少しですが余裕のある時間をようやく手に入れました。

4.自分のペースと時間の制約に折り合いをつける


僕は1つのことを1日でやってしまいたくなるタイプです。


事業所でのCanvaのポスター作りは2時間あればやるし、マンガのストーリーも1話2時間、広報誌の編集後記など100字〜250字の短文だと30分です。


一応、ライターだし当たり前か😅
むしろ遅いぐらい🤔


・・・といっても、1日にいくつもの作業が出てくると、その日に終わらないこともあります。


そうなると「ああ。明日まで待つの嫌だな。今日やってしまいたいよ。事業所の時間延長してくれないかな」という気持ちになります。


その理由として・・・明日来れないかもしれないし、死ぬかもしれないって気持ちが働くことです。


要するに強迫観念です。


厚生労働省の「令和4年簡易生命表」によると、40歳男性の死亡率は0.097%、1年間に死亡する人は1,000人あたり0.96人でほぼ死なないし、不安の96%は的中しないっていうし。


明日に作業の続きができる可能性はほぼ100%なんですけどね。


そこで最近は自分のペースと時間の制約の折り合いをつけられるように考えています。


逆に言えばこの記事を書くきっかけになっている、Marbleコミュニティのnoteチャレンジは1週間という期限があります。


「僕がいなくなって、このnoteが埋もれたらどうしよう」と考えますが、いくらなんでも全部を1日で書き切るのが無理なことの方が多いわけです。


なので「明日に続きを書いていて、そして締め切りまでに完成させている自分」を想像しながら、時間が来たら不満足でも終わろうと心で声かけしています。


気のせいかもしれませんが、それを少し続けたことで、「今日中にやらなきゃ」という強迫観念がとれてきたような気もしています。


あと1項目「感謝を忘れない」を書きたいのですが、お仕事へ向かう時間が近づいてきたので、このあと続きを書いている自分を想像して一旦終わるとします。

5.感謝を忘れない


これも初めて書くのですが、大学時代のゼミの恩師が僕の卒業後すぐに急に亡くなりました。


当時は本当にショックで「あんな元気でいい先生がなんで亡くなるんだろう」という気持ちでいっぱいでした。


ASD・ADHDの関係で大学のカウンセリング室に2年ぐらい行っていましたが、最後の面談がゼミの先生の思い出話になるとは想像できなかったです。


その中で生前、ゼミの先生が「高見くんにはもっと感謝の気持ちを持ってほしいな」とおっしゃってたことを初めて聞きました。


おもえば、カウンセラーの先生にカウンセリングが受けられたのもそうだし、他の先生や教務課のスタッフの方、大学院生サポーターさんに本当に感謝を忘れてはいけないと思うようになりました。


もちろん嫌な人、嫌なことは何年経っても忘れないし、今でも「なに?あの人😡」って思うことはあります。


でもその人が影でこちらが嫌な言い方や態度をとったにも関わらず、無心に僕のことをしてくれてるかもしれない。


日々、感謝すべきポイントを見つめながら生活しています。


まさか40歳手前で、しかもB型事業所で広報の仕事ができるとは夢にも思ってなかったし、Marbleスクールやパーソナル編集者さんと交流できているのも感謝すべきことだなと思っています。

最後にASD・ADHD当事者として感じてきたこと


僕は何度、「自分がASD・ADHDじゃなかったら」って考えたかわかりません。


ちょっとやそっとのことでブチ切れないし、機嫌、時間の切り替えもすぐにできて、楽しい20代・30代をおくれただろうなと想像します。


一方で世の中のニュースやマイノリティのことには無関心で、人の気持ちを深く考えなかったかもしれないと思うと、ASD・ADHDでよかったなと思います。


もちろん自分の「こだわり」や「マイルール」に縛られてしまうことはあります。


そのいいとこ取り、TPO取りがもっとできるようになって、ますます幸せになっていきたいです。

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