玉木幸則さんの講演会から1週間で考えたこと
NHK「バリバラ」にも出演している
玉木幸則さんがこないだ
地元に講演に来てくださった。
玉木さんとの出会いは
20代の頃に就職活動に困り、
番組で密着していただき、
スタジオでお会いしたのが最初だ。
あまりに遠慮がちに
トークするものだから
「ようへいくんは自分が
思ったことをもっと
堂々としゃべったほうがいいよ」
と収録後に言っていただき、
それがいまでも
僕の生きる勇気になっている。
玉木さんが講演会で一環して
お話されているのが
「フルインクルージョン」だ。
障害があるかないかじゃなくて、
だれもが自分らしく手を
とりあいながら
「協働」する社会である。
ちなみに「共生」も似た言葉では
あるが、どちらかが優位に立ち、
どちらかが下になってしまったり、
損になったりしてしまうので、
あくまでも「協働」
「フルインクルージョン」だ。
昔も今も「作業所」では、
メンバーと職員が切磋琢磨して
働いているが、
障害者自立支援法で
「作業所」は「就労継続支援施設」
というややこしい名前に変わった。
作業所時代は「行く場所がなく
困っている障害者を含む方が
共に生活する場」だったのだ。
それに対し、就労継続支援事業所は
「お仕事を訓練サービスとして
あたえる場」つまり
「社会のルールにのっとって
お仕事できるようになるように、
上司である職員さんについて
もらって頑張ってくださいね」
って場所だ。
いま思えば大変失礼な話になるが、
作業所時代の最初の方は
「えっ?障害者だけの集まりに
行くの?絶対行きたくないわ」って
思ってたし、
就労継続支援事業所時代は
メンバーの文句ばかり言う職員に
「だってここはそういう場所でしょ?
その子がちゃんと仕事できてたら
ここに来てないし」と思っていた。
これに関しては通っている人、
支援してくださってる人の気持ちが
考えられていなかった
僕の想像力不足がすべてだ。
・・・と同時に
「フルインクルージョン」という
玉木さんのワードを
思い出してみると、
どちらも「障害者だけの枠」で
物事を考えていたことになって、
「障害者」ではなく、
「一人ひとりの個人」として、
人を見られてなかったんだなと
大反省しているし、
いまもその見方が
身についてしまっている。
「あの子は発達で
自分のペースでばかり動く」
「あの人は視覚障害と不安症で
人にばかり頼る」
「あの子はコンプレックスがあって
上から目線で接してくる」
そういう見方をいっぱいするし、
なくすのが僕のこれからの修行だ。
そして玉木さんは
「フルインクルージョン」の
観点から学校も会社もいろんな人が
障害かどうか関係なく、
一緒に過ごす必要性もお話されている。
この考えには
「無理矢理。ハンディのある人の
お世話するの。絶対やだー」っていう
意見が必ずヤフコメに書き込まれる。
でも、それもよくよく考えてみると、
それは「障害者をお世話する」って
見方になっているからで、
実際は学ぶこと、働くことをとおして、
どちらも助け合い、支え合い、
相性が悪ければそれなりに
お互いにどう認め合っていくかの
勉強になるはずだ。
あとの課題は障害のある人や
病気のある人がどこまで社会に出る
勇気を持てるかだ。
いくら門戸が開かれていても、
そこの場所が自分にあわなかったり、
きつかったりすると、
今度は自分の方から門戸を閉じ、
孤立してしまうなんてことも
少なくない。
門戸を開く側の意識がまだまだで、
門戸に入っていく側もこだわりや
門戸への疲れの感じ方が強いと
お互いに関係を続けることは
むずかしい。
「じゃあやっぱりハンディがあると、
結局、人のお世話にならないと
いけないじゃん。協働なんてできるか」ってツッコミも入るけど、
それも「助けてあげる」
「育ててあげる」じゃなくて
「お互いに一緒にいやすい
環境を作る」ってことなんだろう。
これらのことは夢物語とか
絵に描いた餅ではなくて、
国連からもそういう風に捉え方を
変えていきましょうと
国レベルで言われていることなのだ。
ということは、障害のある僕も
捉え方を変えていかないといけない。
玉木さんの講演から1週間、
無理矢理、玉木さんの言うことを
聞くとかそういう感じじゃなくて、
気づくこと、行動を変えられることは
気づいて変えていきたい。
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