僕のこれまでの人生と障害者のこれからの働き方について。
僕は生まれつきアスペルガー症候群という発達障害を持っている。
保育所の時は大阪の精神科の病院の院内学級に通院し、小学校の時は『ことばの教室』という宇治市の小学校の学級にも通っていた。
コミュニケーションが苦手で動作がにぶく言葉の滑舌が悪いことから周りにとけこめず、小・中・高といじめっ子やヤンチャな子によくからかわれていた。
そのたびに違う人に生まれ変わりたいとか消えたいと思ってきたし自尊心なんてものはとてもじゃないけど持てなかった。
大学に入っても友達らしい友達ができず、さらには単位をとらなければならないことがストレスになり精神的に追い詰められ、のどや体の神経がおかしくなり日常生活をおくることすらしんどかった。
幸い大学の教授や相談員さんに手厚く支援をしていただき無事に卒業できたものの「卒業後の仕事をどうするか?」という壁にぶち当たった。
集団生活にずっとなじめなかった僕が働ける場なんてそんな簡単に見つかるわけもなく、大学卒業後3年間はずっと無職で両親からは仕事を早く見つけるようプレッシャーをかけられ続けた。
そんな自分の中には「自分に目標があって普通に人とコミュニケーションをとれるならバイトでもなんでもやりたいに決まってる。けど不安な気持ちで毎日をおくるのが精一杯で、しかも嫌なことがあってもすぐに心の処理ができないし、どこに行っても仕事なんてできるわけないやん」という思いが強く、表向きは「仕事したいから探してる」と言いながら、裏では「自分は仕事ができないから見つけたくない」と考えていた。
そういうときにあるテレビ番組から出演依頼をいただいた。
NHK 教育テレビ(今はEテレ)の『きらっといきる』という、現在放送されている『バリバラ』の前身番組からだ。(写真はそのときのもの)
表向きはあくまで「仕事したいから探してる」ということなので番組にも同様の投稿をし、一週間仕事探しの密着ロケをしていただくことになるのだが、もちろん魅力的なシーンが一度も撮れるわけはなく、ただ仕事することに躊躇している発達障害の男の子が映し出されただけで、番組出演後には一部の当事者の方からは「発達障害の当事者があなたと一緒だと思われちゃうじゃないですか!」というご批判もいただいた。
その出演から一か月後、ハローワークの障害者職業相談室経由でイオンモールKYOTOに新しくできるテレビエンタメショップの仕事が決まった。当時、開店にあわせて障害者を大量雇用していて採用されたのだが新人研修の2日目にもはや問題を起こしてしまった。
商品の棚卸作業を新人全員でやることになったのだが動作が遅い僕は他の同僚と同じようにこなせない。指導者や同僚ができない僕をフォローしてくれるわけはなく冷たい目線がそそがれ、気持ち的に限界を感じた僕はパニックを起こし、制止した指導者を振り切り仕事をほったらかして帰ることを選んだ。
案の定このことは社内で大問題になり、両親の逆鱗にも触れ、厳しく怒られたことでまたパニックを起こし、宇治からなにも持たず一晩京都市内に徒歩で家出した。この数日間ほど生きていて辛かったことはなかったし、誰も助けてくれない中でなにがあっても切り抜けられないと仕事なんてできないということをあらためて思い知らされた。
当然、テレビエンタメショップは退職。それから1年後、いまの作業所に通うことになり今日でちょうど通い始めて5年をむかえた。
何回かパニックを起こし迷惑をかけながらもここまでやってこられたのは作業所の所長や職員さんの温かさとおかげだし、メンバー全員にも感謝をしている。『きらっといきる』に出たことでいまもよく「障害者が一般就労するためにはなにが必要ですか?」という質問をいただくことがあるのだが、「そもそも精神的な障害を持った人が一般の職場でとっさのトラブルに動じず対処できますか?」と聴きたい。どこの会社だって営利目的でやっているわけで仕事上の配慮をお願いするということ自体気が引けてしまう。
さらには「一般の職場に就労さえできればそれでいいのか」という問題もある。障害者雇用は圧倒的に非正規雇用が多く、僕の周りでも志はあるのに辞めさせられた人の話をよく聴く。
そしてなによりも障害者すべてが一般の職場で働きたいと思っているわけではなく、僕のように一般の職場への適応しづらさを感じている人もいる。
そういう人が自分で生活していけるだけの収入を得ていくためのシステムを確立することもまた必要とされている支援だし、僕自身も支援を求める前に当事者から声をあげていきたい。
社会をあたりまえを変えるために。
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