「恋愛」という言葉は明治時代まで無かった
訳語と翻訳語
訳語と翻訳語の違いを皆さんはご存知だろうか?
「apple」の訳語は皆さんご存知のとおり、「りんご」だ。
では、「society」の訳語は何でしょう。そう、「社会」です。
ではでは、明治時代において、「society」の訳語は何だったでしょうか?
実は「社会」ではありません!
明治期に海外から文献が多く日本に流入し、当時の知識人は休む暇なく和訳に努めました。
しかし、どうもピッタリ合う日本語が見当たらない語が中にはありました。
そのひとつが「社会」です。
そのため当時、「society」の訳語は「国」「交際」「連中」など様々でした。
また「society」の訳語として、「世間」が候補にあがりました。
「世間」という言葉は、その時代にも存在したのですが、「社会」という言葉はなかったわけです。
ですが、当時の知識人は「世間」という言葉が英語の「society」と同じ意味では無いことに気付いていたので採用されませんでした。
「社会」と「世間」のちがい
社会と世間は違うのだと明治期の知識人は確信していたのですが、皆さんは社会と世間の違いを説明できますか?
ヒントは現代における使われ方の違いです。
「世間」という言葉の使用例で言うと、
「世間は許してくれない」
「世間は甘くない」
「世間では通用しない」
などがあります
「社会」と言う言葉の使用例で言うと、
「社会生活」
「社会問題」
などですよね
これらの例からある導き出されるこたえは
「世間」は自分以外の何者かであって自らの力で変革する術を持たない
「社会」は自分も含めた共同体を指し、自分の力による変革が可能である
ということです。
「society」は変革可能であったのです(その違いを見抜いた先人やはり偉大)
もちろん「世間」と同義で「社会」という言葉を用いることもあるが本質的にはこれが両者の決定的な違いだと言えます。
社会という言葉はとても抽象的な概念で、説明しろと言われてもパッとは説明できないでしょう。(翻訳語は概念を指す語が多い)
ですけど明治期の偉人たちによってうまれた美しい訳語の数々をながめるとそのぼんやりとした言葉をくっきりと捉え直すことができると思うのです。
恋愛ってなんだろう
「society」を明治期の知識人は「国」「会社」「連中」と訳していたと学び、
また「世間」という言葉との違いを考えることで
「社会」というぼんやりした言葉が幾分くっきり見えてきたように
同じプロセスで、日本語であるにもかかわらず、あまりよく意味のわからない語に輪郭を与えることができることでしょう。
「恋愛」という言葉も翻訳語の一つで明治まで存在しない言葉でした。
「恋愛」ってなんやろ?「恋愛」ってなんだったっけ?
そう感じた時は
恋でも愛でもない「love」の持つ美しさを捉え直してみませんか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?