読書メモ:日本人は何を捨ててきたのか
思想家 鶴見俊輔の対談録。
日本の近年のエリートに対する手厳しい批判が続く。「一番病」にかかったエリート、「マルバツ」が得意な優等生では世界に出るような【個人】は生まれない。
傑出した個人が努力してつくった明治国家は「樽」をつくった。樽の中から見える世界は狭く、樽の中のお手本を見てその模倣がうまいやつが偉いとされるのが明治以降の日本のエリートだ。”イヌの読唇術が「樽」の中の学習だ。”とまで言う。なかなか強烈。
さらに「悪人性のない、いい人は困る。」と続く。いい人は世の中と一緒にぐらぐら動いていくから、いい人ほど友達としてすら頼りにならない。一方、悪党はある種の法則性があるから敵としても味方としても頼りになる。
これはなるほどその通りだと思う。これまでのプロジェクトや事業を振り返ってみても、「いい人」が率いるチームは大した成果が出ない。いい人は物議を醸せない。
”いまを見るときに、来た道をずっと見るということです。いま生まれた人が、これからずーっと生きていくであろう道を想像すると、二百年の中にある峠として今を見たい”
この「二百年の幅でいまを見る」という視点は自分の生き方や事業を考えるうえでじっくり考えたいスケール。ちょうどハバタクのあり方を議論している只中にこの一節に出会えてよかった。