プール大好き
泳ぐのが大好きだ
とても遅いし下手だが
水と一体になった様な流れを作り進む感覚が大好きだ
中学の時
小学校からの同級生に
「水泳部作らない!?」
突然誘われた
「いいね!水泳部無かったね!部員集めだね!」
4月から1ヶ月かかったが
なんとか女子5人集まって
女子水泳部を作った
学校には男子水泳部があったが
女子水泳部は無かった
先生達に聞いたが皆口をつぐみ
「新しく部員を集めて一から作るしかない」
それしか説明は無かった
後になって知ったが何かの事件があり廃部に追い込まれたらしい
詳細は知らないが女子更衣室で起きたとだけ聞かされた
私は不思議だった
誰も教えてくれなかった
5月気温は上がっているが水温はまだまだ低い
水温に体が慣れるまで歯をガチガチ言わせながら泳いだ
熱伝導でだんだんプールと一体になってゆく
気持ち良かった
照りつける太陽の下
プールの掃除をして塩素を投げ入れる
あの塩素の香りも大好きだ
2年に上がり
5人の弱小水泳部に後輩が入って大会に出られる事になった
人数が最低限なので競技を掛け持ちで出場する以外方法は無かった
競争が苦手で運動会も苦手だった
ただ泳げればいいだけだった
試合になんて出たくなかった
後輩が入った事で試合に出られる様になり
今までただ泳ぐだけの水泳部から
男子水泳部と共同練習になった
高所恐怖症で飛び込みの出来ない私の特訓は続いた
飛び込み台から離れた位置に顧問が竹刀を掲げ
「これを飛び越えるんだ!」
どうしても飛び込みの出来ない私は
上空にジャンプして竹刀を飛び越えようとした
何故出来ないのか
繰り返しお手本を見せられるが
竹刀に届くどころかおなかから水面に叩き付けられる日々
大会に向けて男子部部長の個別メニューは厳しくなっていった
ペースクロックとストップウォッチ
タッチターンとクイックターン
プルを挟んで腕の強化
ビート板で脚の強化
私はリーチが長く腕だけだといつも一位だった
だが不器用なのか脚だけだといつもビリだった
クイックターンに3秒もかかりタッチターンの方が早かった
不思議がられ繰り返し繰り返しクイックターンの練習や
如何に早く泳げる様になるか
そればかり考えて泳がなければならなくなった
だんだん泳ぐ事が辛くなり
ある日突然呼吸が出来なくなり
気付いたら見慣れた保健室の天井が見えた
目を移動させると端に部長が座っていた
「あっ!」
「よかった、気付いたなら、そのまま今日は休んで」
部長は出て行った
(え?保険の先生は?顧問は?どうやって私ここまで来たの?)
起き上がると水着のままだった
どうやら溺れて顧問が救急車を呼んで
救急車でプールから保健室に移動したらしい
顧問も保険の先生も校長への届けや親への連絡で
部長が付き添うしかなかったそうだ
溺れたことも救急車も何一つ覚えていなかった
不謹慎だけれどせっかくの初めての救急車だったのに…
どうやって帰ったのかも覚えていない
とうとう試合の日がやってきた
遅い私は1種目だけ
50m自由型
飛び込みは出来ないままだ
心臓は爆発しそうだった
スタートの音と同時にボチャンと飛び降りて
壁を蹴り泳ぎ始めた
泳ぎ始めたら不思議と緊張が解けていき
水と一緒に遊ぶ様にゆっくりゆっくり泳いだ
強豪校ばかりの中
私は25m遅れでゴールした
気付くと私以外誰も泳いでおらず
どこからともなく拍手が巻き起こり
のんびり泳ぐ私は拍手喝采を浴びてゴールした
なんの拍手だったのだろう
試合期間が終わっても
水泳部は11月までプールを占拠
再び歯をガチガチ言わせながら
部長の個別メニューを無視して
ひたすら遠泳する日々を過ごした
部長は拍手喝采のゴール以来
個別メニューをこなさなくても何も言わなくなった
ところがいよいよ12月
プール禁止になり泳げなくなった
途端に縄跳び走り込み筋トレ
縄跳びをクリア出来ず
居残りでひとり縄跳びをずっとずっと続けた
ただ泳ぎたかっただけの私は
誰にも止められず
あっさり水泳部を辞めた
時々思い出したかの様に泳ぎに行く
塩素の香りと水と一体になる心地好さ
久しぶりに泳ぎに行こうか
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