あの花
別れは唐突にやってくる。
「3月は別れの季節」とよく謳われるが、季節なんて関係ない。
別れというのは唐突なものだ。
・・・
私の家の近くにはミニスクランブル交差点と(勝手に)よんでいる十字路があり、
その十字路を大通りの方向を下にして真上からみた左上の右から二番目の家の軒先には、冬と春のまんなかに白い花を咲かせる木が植わっている。
生まれてこのかたこの土地に住んでいるのに
その家にどんな人が住んでいるだとか、どんな車を持っているか全く知らない。
けれど毎年、冬と春のまんなかに咲く白い花々を私は楽しみにしていた。
夜にその家の前を通る(行きは反対方向の駅を使うので)と
暗闇の中に白い花だけが浮かんでいるようにみえて
(きっと昼に見るよりも)綺麗だった。
だけど、オリオン座が一番高いところにきた1月のある日、
いつものようにその家の前を通りかかったら、さら地になっていた。
まるで最初から家など建っていなかったかのように真っ平らな土地だった。
真ん中に赤い字で「売地」と書かれた看板が気だるそうに立っていた。
シュン..
その場に5秒ほど立ち尽くしていたが、
すぐに、誰かに見られたら恥ずかしいと足早に家に帰った。
湯船に浸かりながら
あともうちょっとで花が咲く季節だというのに、なぜ住人は待てなかったのだろう。私だったら最後に一花咲かせてやるのに…。
などと考えていたら、久しぶりにのぼせてしまった。
風呂からあがり、ほてった体を冬の冷気で冷ましながら
花の写真を撮っていなかった自分の愚かさと、
もう二度と見ることはできない、名も知ぬ花に恋焦がれた。
目を閉じても瞼に浮かぶ、暗闇に浮かぶキラキラ光る白い花。
もしかしたら全部、夜のノスタルジックな気分が見せた幻想だったかもしれない。
もう記憶の中にしかない、名前もしらないあの花が一番好きな花だった。