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フレンチプレスの味Ⅱ(台所珈琲の足どり④)

フレンチプレスのような「湯をためる」タイプの道具は、味の形を整えることが得意です。前回書いたように、誰がやっても同じ味をつくることができますし、味そのものにも安定感があります(抽出の時間を安定させやすいということでした)。

しかし、苦手なこともあります。それは、味わいにふくらみを出すことです。

たとえば、コーヒー豆の中に、味が入っている箱がいくつかあるとします。ひとつの箱につき、1種類の味(酸味や苦味、甘味など)が入っています。「湯をためる」と、それらの箱をひと通りすべて巡ることができます。でも、取り出す味はどれもちょっとずつで、お試しセットのような、かけ足で名所を巡る旅行のような感じになります。

「まとまっている」とも「もの足りない」とも感じられそうな状況を生み出しているのは、味を引き出す力を「鈍くする」仕組みです。粉と湯が接触すると、粉から湯へと味が移動していきますが、「湯をためる」状態が続くと、やがて、粉の周りの湯は「コーヒー」になっていきます。すると、まだ粉の中には豊かな味が残っているにも関わらず、ちょいと入り口をのぞいて「ん~混んでそうだな」と、味が移動を止め始めてしまうのです。

さて、このまま終わってしまうと、「もの足りない」の方が強く出てしまうので、「湯をためる」タイプの道具には、何か別の方法や道筋で「味を足す」仕組みが見られることがあります。

今回の例に挙げているフレンチプレスでは、金属フィルターがその役割を果たしています。紙のフィルターに比べて目が粗いため、「ろ過」がゆるいことは前回も触れました。そこを通過する微粉は、ある意味では「ざらつき」になりますし、ある意味では「コク」になります(ポタージュやココアをイメージしてください)。また、香りを含むオイル分も通過しますので、これも「コク」に繋がります(豚汁をイメージしてください)。

フレンチプレスの味わいは、このようなバランスで作られています。のっぺり感を、まろやかなコクがカバーします。フレンチプレスで淹れたコーヒーは、ペーパードリップで淹れた澄んだコーヒーとは、個人的にはもう別の料理です。

面白いなと思うのは、味わいの安定感と、安心感やほっとする感じとは、また別物だということです。わが家では、年に数回、ふと思い立ってフレンチプレスを引っ張り出してみるのですが、「これはこれでおいしいね」と言いながらも、いつも、いつの間にか、ペーパードリップに戻っています。そのたびに、ふだんの食生活やいろいろな習慣、好みや趣向に「なじむ」ということが、「ほっとする」ということなのかなと、ぼんやり考えてみたりします。

でも、いつものを「いつもの」たらしめているものは、時々味わう、ちょっと違う味なのかもしれません。「これはこれでおいしいね」というのも、「いつもの」をつくっている味のひとつなのかもしれません。

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