38歳、僕は何者になれたのだろうか。
2019年12月、僕たち夫婦は旅に出た。
行き先は、南ドイツ・バイエルン州にある「Freising(フライジング)」。
きっかけは、どうしてもこのタイミングでFreisingへ足を運んでほしいという、妻の誘いだ。
Freisingは、僕たち夫婦が2014年冬から2016年夏まで暮らした街。
ドイツ国家認定フロリストマイスターの資格取得を目指した僕と、それに帯同した妻が、新婚生活を送った街だ。
マイスターの資格を手にして、日本へ帰国したのは2016年8月。
その後妻は幾度となく僕をドイツ旅へ誘ってきたけれど、僕は乗り気になれなかった。(そして業を煮やした妻は、2018年に同僚と二人でドイツ旅行に行っている。笑)
僕が、マイスター学校を卒業した後に、ドイツへ足を運ばなかった理由。
それを「ヨーロッパはもうおなかいっぱい。ほかに旅行に行きたい場所がある」ぐらいに感じていた僕に対して、妻はピシャリとこう言い、僕をはっとさせた。
資格取得に向けたドイツ語での勉強と、企業駐在派遣のようなバックサポート(家探しや役所の手続きなど)がない生活がハードだったうえに、お金に余裕がなかった暮らしに疲れて、ドイツは「苦しい思い出の場所」になっているんでしょ。
ドイツのマイスターである自分を、取り戻す旅。
33歳で、Freisingのマイスター学校に入学し、ピカピカの1年生になった僕。
35歳でマイスターの資格を取得後、帰国して再就職。
3年の月日が流れて、38歳になった。
日本帰国後の暮らしを振り返って、
順風満帆かというと…壁にぶつかっていた。
妻はそんな僕を見て、どうしてももう一度ドイツへ足を運んでほしかったそうだ。
彼女は、今行くべき理由をたくさん言い並べた。
「ドイツ行きにポジティブになれなくても、あなたはドイツ国家認定フローリストマイスターなの。どう考えても、やっぱりそれがあなたのフローリストとしての強みなの。それなのに、ドイツを好きじゃなくてどうするの!」
……。
「ドイツに行って、ドイツのマイスターであることの誇りを取り戻してよ!」
……。
「苦しい思い出が多いなら、楽しい思い出を塗り重ねればいいでしょ。当時と違って、食べたいものどれだけでも食べれば良いし、飲みたいビールをどれだけでも飲めば良い!プレッツェルも食べ放題だよ!」
…ビールとプレッツェルは恋しい。
「ほら、12月は毎年Ausstellung(展示会)の時期でしょ!」
…Ausstellung、見たい。
行こう…かな。
(妻、ガッツポーズ)
こうして僕は、マイスター学校を卒業してから3年ぶり、ようやくドイツに降り立った。
3年ぶりのドイツは、僕をあたたかく迎えてくれた。
早朝にミュンヘン空港に到着後、そのまま向かったのがFreising。
12月は毎年、母校「Staatliche Fachschule für Blumenkunst Weihenstephan」で冬の展示会が開催されている。
卒業生が気軽に学校へ足を運べる機会。
ひさしぶりのFreisingは、「あぁ良い街だな」と感じた。
そう、住んでいるときも僕は、この街が好きだったんだ。
学校に到着すると、かつて住み込みで働いたケルンのお店の先輩や仲間たちも展示会に集っていて、一緒にランチを楽しむことができた。
マイスター学校でお世話になった先生のもとへ
「Überraschung(サプラーイズ)!!」と訪問したら、
「えぇ!? わざわざ日本から!?」と驚きながらも、懐かしい話で盛り上がり
「夜にまたあらためて、ワインでも飲まない?」と自宅に招いてくれた。
Freisingに
出迎えてくれる人がたくさんいること、
そして彼らと笑顔で話せることは、
2年間がんばった何よりの証だと感じた。
僕は、きちんとWeihenstephanの卒業生だし、
ドイツ国家認定フロリストマイスターなのだ。
日本にいると忘れてしまいがちだけど。
マイスターという資格を取得したことはゴールではない。
ここで経験したことがあるからこそ、できることがある。
はずだ。
ドイツ生活が大変すぎたことで、
気がつけば僕の中で、
マイスターを取得することがゴールになってしまっていたのかもしれない。
だから、ドイツに近寄ろうとしていなかった。
日本で壁にぶつかった僕は、
新たなステップを歩み出す必要があった。
あらためて何をやるべきか考えれば考えるほど、ドイツの経験が頭をよぎる。
やっぱり原点なのだ。
38歳、僕は何者になれたのだろうか。
旅を終えて。
僕は、2019年年末に、日本帰国直後から3年間働いていた会社を辞めた。
38歳、まだ何者にもなれていない。
けれども、3年ぶりにドイツを訪れて、
マイスターとしての誇りや
原点の地への愛を取り戻すことができた。
また、この旅では、(暮らしていた当時は節約節約の毎日だったので)ちょっとの金額には気にすることなく食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、買いたいお土産を買い、当時はチケット代を節約して登れなかった展望台に行き。あえて余裕をもって過ごすことを心がけて過ごしたことで、嫌な記憶に、きちんと楽しい思い出が上塗りされた。
行って良かった、本当に。
ドイツで再会した人たちに「日本の仕事は順調?」と聞かれて、曖昧な答えしかできなかった今回の僕。次足を運ぶ時は、胸を張って「順調だよ!」と答えられるように。進む。
こうして僕は、お花の仕事「yohaku」をはじめた。