「夫33歳、ピカピカの1年生」になった話。
noteの初投稿↑ に、多くの ♡ をありがとうございます。
お花の仕事を始めて15年近く経ちますが、「yohaku」の活動を始めるに至るまで、大きく3つの期間がありました。
● ドイツのマイスター学校に入学するまで(2005~2014年)
● マイスター学校で学んだ2年間(2014~2016年)
● ドイツから帰ってきてから(2016~2019年)
その中でも、今日は「ドイツのマイスター学校に入学するまで(2005~2014年)」のエピソードを綴ります。
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学生の頃から夢見ていた「海外暮らし」。
僕がドイツに旅立ったのは、31歳の秋。
――― 31歳で叶った「海外暮らし」は、大学生の頃から夢見ていた。
さらに遡ると、高校時代に1年カナダ留学を経験し、大学も英語圏へ進学することを検討していた。
でもいろいろあって日本の大学へ進学。
長期休暇となれば、バックパッカーよろしく海外を歩き回る生活、かと思いきや…それは1年生の間だけだった。2年生の春にはじめた和太鼓にどっぷりハマり、長期休暇は国際線の飛行機どころか、国内の格安鈍行列車やフェリーに飛び乗り、東へ西へ、日本各地の伝統芸能の地元をめぐった。
そして、海外で暮らす夢は社会人へ持ち越した。
もともとイメージしていた「海外暮らし」は英語圏。
ドイツに視点が移ったのは、偶然だった。
2005年春。大学卒業後、ご縁があって入社したお花の会社。
就職先で配られたテキストに、ドイツのマイスター学校の名前が載っていた。
お花の技術を高めようと、仕事が休みの日に通い始めた教室が、ドイツの流派だった。
そう、ドイツだった。
花の仕事は、僕を夢中にさせた。
振り返れば、幼い頃の愛読書はNHK出版『趣味の園芸』。もらったお年玉を、実家の庭のプランター菜園に注ぐこともあった。成長していくにつれて、周りの友達がスポーツやゲームに詳しくなっていく中、僕は植物の名前に詳しくなっていた。こうして、もともと好きだった花に関われる仕事に就けた。しかも人に喜んでもらえる仕事だということが、嬉しかった。
ショップ、ホテル、ブライダルとさまざまな現場で経験を重ねた僕は、たとえば、ビジネスを深めるためにMBAに通う人がいるように、好きな花の世界で高みを目指して、「ドイツ国家認定フロリストマイスター」の取得を目指すようになったのだ。
旅立ちが31歳になった、「ドイツならでは」のワケ。
「海外暮らし」の準備は、
「ドイツでマイスター学校に通う」に照準を合わせた途端に、
ハードルがとても高くなった。
日本で働き続けながら少しずつドイツ語を勉強し始めたものの、なかなか出発には至らなかった。
まずは、ドイツと日本とでは、進学の流れが大きく異なる。
マイスター学校に入学するためには「職業学校(Berufsschule)」「職業訓練(Ausbildung)」というドイツ独特の過程が必要になるのだが、日本の大学を卒業して社会人になった僕は、その過程を踏んでいない。
そして、僕のような外国出身者に対するマイスター学校の入学条件が少し曖昧で、最終的には、その年の校長先生の判断にゆだねられている。
どういう条件が整えばドイツでマイスター学校に通えるのか、
マイスターの資格が取れるのか、
日本ではなかなか情報が得らなかったのだ。
気がつけば、社会人になって8年の月日が過ぎていた…。
31歳で脱サラ。ドイツへ旅立った僕。
そうして、2012年秋。
僕は、31歳の誕生日を翌日に控えて、ついに行動に。
ここを逃すと、もう旅立てないかもしれない。
そうして、30歳まで申請が可能* な、ドイツのワーキングホリデービザを取得したのだ。
詳しい行き先はまだ決まっていなかったが、
とりあえず1年間ドイツに滞在できるビザだけは手に入れた。
すると、それまで8年間何も決まらなかったことが嘘のように、突然「うちのお店で働かない?家も提供できるよ」という声がかかり、ケルンという街の花屋に、住み込みでお世話になれることが決まった。
8年間働いた会社を辞めた僕は、スーツケース、ボストンバッグ、バックパックそれぞれ1つずつに荷物を詰め込んで、ドイツへ出発。
▲ 出発当日の朝(2012年10月)
人の縁とは不思議なもので、ケルンでお世話になったお店のオーナーが、偶然僕が進学を希望していたマイスター学校(Staatliche Fachschule für Blumenkunst Weihenstephan)の卒業生で、僕の進学に向けて、あれこれお世話をしてくれたのである。
ドイツで暮らすようになって、最終的に分かったマイスター学校入学の条件は、ドイツ人が入学する際に求められる「職業訓練(Ausbildung)」経験の代わりに、日本の実務経験(僕の場合は7年以上といわれました)と、ドイツ語・ドイツ文化習得のために1年以上フロリストとしてドイツの花屋で働くこと。
2012年秋からドイツ・ケルンで、語学学校に通いながらお店で働く生活が始まった。途中、ワーホリから就労ビザに切り替えて、計1年半働いた。
そうして2014年の春に入学試験を受験。
ぶじ合格し、晴れて2014年秋から、マイスター学校「Staatliche Fachschule für Blumenkunst Weihenstephan」の生徒になったのだ。この時、33歳。「33歳、ピカピカの1年生」の誕生である。
▲ 2014年9月、入学初日に妻が撮影してくれた登校のようす
ちなみに。
タイトルの通り、ピカピカの1年生になった時の僕は「“夫”33歳」。大学生の頃に抱いた「海外暮らし」の夢を追い続け、31歳で脱サラし、ドイツで暮らしはじめた僕だが、途中で結婚もした。
2012~2016年の約4年間にわたるドイツ暮らしの中、後半の2年間マイスター学校に通った期間は、妻もドイツで一緒に暮らしている。脱サラ留学生活であるにもかかわらず。
「夫33歳、ピカピカの1年生」が誕生した裏にある、妻のエピソードはまた次のnoteにでも。
* ワーキングホリデーのビザ取得可能年齢や条件は、対象の国・地域によって異なります。ご注意ください。
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