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欧州の歴史と未来:プロイセンから現代への軌跡

強大な軍事力を背景に1871年のドイツ統一を主導したプロイセン王国の強国化の起点が17世紀前半の30年戦争(1618~48年)にあることを恥ずかしながら最近、知った。ペンギン・ヒストリー・オブ・ヨーロッパの1冊として近世史家ティム・ブラニングが著した『Pursuit of Glory(栄光の追求)』に、プロイセンの統治者であったブランデンブルク選帝侯ゲオルク・ヴィルヘルムが、30年戦争に参戦しドイツを荒らしまわっていた義弟のスウェーデン国王グスタフ・アドルフ2世にブランデンブルクの中立を尊重してほしいと伝えたところ、善と悪(プロテスタントとカトリック)の存続をかけた戦いに中立という選択肢はあり得ないとにべもなく断られたというエピソードが記されている。
この無力な父ゲオルクを見て育った息子のフリードリヒ・ヴィルムヘルムは40年に即位すると、弱肉強食の食う側になることを決意。強権化へと舵を切った。この決断が奏功し、当時4,650人に過ぎなかったプロイセンの兵員数は120年後の1760年(日本でも有名なフリードリヒ大王の統治期)には26万人に拡大し、英仏墺などと並ぶ欧州のパワーゲームの主要プレイヤーにのし上がった。

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