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"焦燥"というエンジンに頼りたくない

何かを始める、何かを頑張る、いつだって自分を衝き動かしてきたのは「焦燥感」だった。

絶妙なタイミングで湧き上がったあの焦燥感がなければ、今の自分はなかったのかもしれないけれど、僕には焦燥感というエンジンしか搭載されていない。

そんな焦燥感と切っても切り離せないのが、他者との比較だ。

「他者」

一体、誰を思い浮かべているのだろう。誰とそんなに競い合っているのだろう。

不幸中の幸いと言って良いのか分からないけれど、他者と自分を比較しても劣等感は感じない。もちろん、他者を見下したりもしない。

競い合いたい、優位に立ちたいといった感覚ではなく、

「アイツにできるなら」
「あの人でもああなれるなら」

「きっと自分にもできるはずだ」

そんな、自己肯定感を無駄遣いしたような感覚を持ってしまっている。

そして、その感覚を行動に変える原動力となるのが焦燥感だ。

「何者かにならなきゃ」
「普通じゃだめだ」

時間的な切迫でもなければ、プレッシャーとも違う、かといってやるべきことに追われているわけでもない。

“理想と現実のギャップ”

いつもどこかで感じていた。

「これくらいのレベルの大学には進学しなきゃ」
「これくらいの営業成績は出さなきゃ」

普通や前例、他人という概念に縛られているとは気付かずに定められた理想、縛られながらもそれを追いかける日々。焦燥というエンジンでしか自分を動かすことができなかった。

焦燥感や切迫感がなければ頑張れない、という意味においては、極めて人間らしくそれほど悲観的になる必要はないのかもしれない。

けれど、焦燥に頼り、他人を常にどこかで意識しながら生きる、というのは決して心地の良いものではない。

何の気なしに感じた、何でもない好奇心に、何となく身を委ねられたら。

趣味とも仕事とも言えない、いや、どちらであるかなんて全く重要ではない、「ただ好きだから」という理由でのめり込める何かがあれば。

そんなことをずっと考えている。「ありのままで生きたいのに、生きられていない」という焦燥に頼って。

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おがたのよはく
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