『武蔵野夫人』の鉄道
『武蔵野夫人』の中央線
大岡昇平『武蔵野夫人』は〈はけ〉と呼ばれる崖地に住む人々の不貞を描いた作品であり、大岡の代表作の一つとされている。
〈はけ〉は国分寺崖線とも呼ばれ作中の冒頭に詳述される通り、東京の西部、鉄道でいえば「中央線国分寺駅と小金井駅の中間」にあり
といった地形なのである。本作はその〈はけ〉の日当たりのよい高みに建つ家の住人である秋山家とその近隣に住まう大野家にまつわる不貞を軸として展開される。時代設定としては作中に明確に「終戦三年目の六月」をはじまりとしており、つまり1948年が舞台となる。
政治学者の原武史による放送大学の講義『日本政治思想史』のテキストの第13章『戦後の「アメリカ化」』および、第14章『戦後の「ソ連化」』において、東京西部が革新勢力の土壌となっていく背景を解説している。
米軍の駐留による風紀の乱れに対する国立での浄化運動、杉並区での原水爆禁止運動、そして砂川闘争といった民主的かつ反米的な運動が中央線沿線で起こっているという事実を指摘し、
と沿線の特徴を説明する。
『武蔵野夫人』はこうした運動が起こる以前を舞台とした物語ではあるが、主要人物の一人であり「はけ」の家に住む秋山忠雄は東京の私立大学に勤めるフランス語教師であり、原武史が指摘するような、中央線沿線に住む「文化人」として設定されている。まさに上述される中央線の風土に合致する人物として描出されているのである。
そして秋山は近隣の住民であり、その妻と姦通することとなる実業家、大野英二がかつて雇っていた貝塚という共産党員の男との会食の場に呼ばれる。その席で秋山はエンゲルスを引き合いに出して自説を披露する。
こういった具合に、エンゲルスの理論を不倫の肯定として理解しようとする姿は、秋山の愚かさを強調し読者の笑いを誘う。その一方で自論の正統性を強調するために引用されるのが他の何でもなくエンゲルスであるという点に、原武史の指摘する「無党派の市民や新左翼の学生と親和性の高い中央線沿線の政治風土」を見出すこともまた可能なのではないだろうか。
また、中央線における反米運動について原武史は前述の講義において「GHQが進めた民主化よりはむしろ駐留し続ける米軍によって、親米的というよりはむしろ反米的な性格をもつ下からの民主主義が根づいていった」と説くが、『武蔵野夫人』にも「下からの民主主義」の源泉となった米軍の駐留の様子が描かれている。
狭山丘陵からの光景を描いた一節であるが、これは敗戦とともに米軍に接収された立川飛行場(=アメリカ空軍立川基地)から飛んだ軍用機を描いているのだと考えられる。立川基地は、先に述べた砂川闘争の舞台ともなっており、ここにもまた中央線に形作られる風土のみなもとが描かれているのである。
『武蔵野夫人』の西武線
秋山忠雄の夫人である道子と姦通する宮地勉は、ビルマからの復員者であり五反田駅近くのアパートに在住している。彼は道子との思い出の場所である狭山丘陵に至る鉄道の車中での光景に触れ、ある感慨に至る。
ここで言及される「郊外電車」とはおそらく西武新宿線のことではないだろうかと思われる(中央線は複数箇所ではっきりとそう書かれている)。
原武史によれば、西武沿線もまた『武蔵野夫人』の舞台より後の時代になってからの団地開発により、「中央線沿線に比べてよりソ連的な風景が現れることに」なる。また、ただ風景が近似するというだけではなく
と、政治風土においても〈ソ連的〉な部分を持っていたと指摘するのであ る。そして、それが団地開発によって唐突に沿線に現れたのではなく、その前段階として沿線の「広い武蔵野に点在したおびただしい学校」に通う学生たちの共産主義への傾斜があったということを、『武蔵野夫人』は描出しているのである。
結論
〈はけ〉をはじめとした地形や自然に関する詳細な言及が印象的である『武蔵野夫人』であるが、武蔵野を横断する二つの鉄道沿線の、後に展開されるその政治的な土壌の萌芽を克明に記しているという点において、本作は武蔵野の姿を正確、かつ多面的に描き出した作品と言えるのではないだろうか。