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nice_hornet111
美しさと動かないことと脱炭素 あるべき世界、来るべき社会のイメージ
直観だが、美しさと脱炭素が関係あると思う。美しいとは、自然に従順ということでは?ここに、きっと温暖化騒動の、人間への教訓がある。
これだけ災害が多いと、個人として何ができるか、考えてしまうが、どういう世界像を持つかということは、大きな影響があると思う。同級生を見ていると、昭和平成と、何も変えていないように見える?!違っていたらゴメン。
5年前から1回も、私は車に乗っていないのだが、そのことで、自分も予想外に、変わった。視界が変わる。速度が変わる。感じ方が変わる。関心が変わる。
歩く速度だと、クラシック音楽の何が美しいか、実によくわかるようになった。植物が見えてきた。鳥の声もよく聞こえる。サウナについて「整う」と表現する人のように、歩くと「整う」。
難しいけれど、この先技術進化で、だんだん人は動かなくなるのではないか。AI、ロボット、機械は動く。世界は「静かに」なる。(EVの音。)感覚は鋭く、豊かになる。
この考え方だと人がダラダラし、無活動になるのがよいように受け取られるかもしれない。いや、今後20年はむしろ、あれこれやって危機を越えねばならない。しかし、必要ないこと、余計なことはせずに(え?!?どういうこと?)。
動かないことについて、こんな記事がある。
これからは「都会のど真ん中」に住むべき? ドイツ最新研究が示す、温暖化対策時代の持続可能な暮らしのヒントとは(Merkmal) - Yahoo!ニュース
ジェット機の高い排出量から「飛び恥」とかいう言葉も作られ、西洋ではここまで自転車も重要視されている。日本では、まだそこまでいっていない。
話がずれるが、グレタ・トゥンベリが毎回帆船で移動したように、日本も帆船を振り返るべきではないか。立派な帆船文化があったのだから。