合理的な生物と非合理的な自分
ごく一部をのぞいて、研究者はみな限られた研究予算の中で節約しながら実験をする。
苦労話をしたいわけではなく、低コストで優れたアウトプットを出そうとする点では営利組織と同じだ。
コストだけではなく、できるだけ効率よく仕事をしようとするのも同じだと思う。
ただし、大学院生や研究生といった立場、予算の配分の仕方など、企業とはちがう仕組みがあるので、コストを削る方法自体はしばしば同じではない。
企業では購入した方が安い試薬や器具などを、大学の研究室では自作することがよくある。
どちらが良いかという話ではなく、その場その場で最適な方法を選択していれば、それは合理的で効率的だ。
効率化の話は予算の使い方だけでなく、テーマ選びにも及ぶ。
もし、大学で生き残ることを最優先の目的にすれば、自分のやりたいテーマではなく、結果が出やすく予算が確保しやすいものを選択した方が効率的だ。
ここに一つ、役に立たない研究の壁があって、研究者自身も役に立たない研究を選ばない傾向にある。
誤解されないよう付け加えておくと、優秀な研究者ほど予算がとれる研究と、自分がやりたい研究を絶妙にリンクさせながら両方進めていっているように見えた。
売れるイラストと描きたい絵の両方に取り組むイラストレーターと同じようなものだと思ってもらえればいい。
そもそも生き残るために最適戦術をとるのは、生物の進化そのものだと思う。
意思をもって進化するわけではなく、結果として環境に適した生物が生き残っていくという身も蓋もない理論だ。
そうした生物の体は知れば知るほどに効率的で洗練されていて、美しい。
進化の過程で、研ぎ澄まされてきた。
話はずれるが、歳を重ねるごとに時間の進み方を速く感じるのは、脳が差分を認識するからだと個人的には思っている。
証拠があるわけでなく、おそらくそうだろうと思っているだけだけれど。
歳をとり自分の中に蓄積する記憶が増えるほどに、新奇で目を引く対象が減っていく。
脳はよくある出来事にコストを払わない。
すでに記憶にあることだからいちいち細部を認識したりせず、忘れてしまう。
食べるものも眼前の風景も、日常にあるものすべては、いつも通りであるかぎり大雑把にしか覚えていないほうが合理的なのだと思う。
逆に、新奇なものや、命の危機を感じるできごとは、細部や一瞬一瞬を克明に覚えていて、記憶の中の時間も長くなる。
(我を忘れて、あっという間に時間がたつこともあるが)
生存に必要な情報を集めて判断する過程を効率化するために、脳は最適化されているのだと思う。
必要な記憶は持ってなければいけないし、必要な思考はしなければいけないが、やればやるほど脳はエネルギーを食う。
食べ物を手に入れるのはものすごく大変なので、それに見合うメリットがないかぎり、エネルギーを消費することは許されない。
できるだけ小さなエネルギーで、最大のパフォーマンスを発揮するように脳は進化してきた。
常にのしかかる、効率的に仕事をしろというプレッシャーに疲弊しつつ、しかし同時に、どこまでも効率的で精密な生物の姿に感銘を受けていた。