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世界は生きるのが得意な人間に任せておけばいい

世の中には「それをしていること自体が快感だ」と言い切るかのごとく鬼のように何かを継続する、いわば「変態」がどの分野にもいる。

私が過去に携わってきたコミュニティで言えば、ギターを弾くことそのものが楽しいから発表機会のあるなしに関係なく毎日練習している奴、とか、アイデアを形にしないと気が済まないから毎日3DCGとUnity触ってる奴、とか、とにかく日常のツイートをしまくって累計15万件近くの投稿数がある奴、とか。

彼らは明らかに何もしていない私に比べてその技量が凄まじく高いレベルで備わっているんだけど、それは毎日の蓄積によるところが大きい。じゃあ私は努力してそうなれるのかというと、まず努力するというところにひとつ「それを永遠にやり続けられるかどうか」という条件というか障壁があって、まず無理なんだ。

何も知らない子供の頃は一丁前にピアノを習ったりギターを弾いたりしていて自分も何かしらのクリエイターとして名を馳せるんだと思っていたけど、結局自分にはその才能がなかった。才能というのは別に音楽的な何かとか発想力とかそういうことではなく、まるで空気を吸うようにそれをできるという能力。クリエイターになりたいな、ではなれない。何かを毎日作っていたらクリエイターになっていた、が正しい。ミュージシャンになりたくてなるのではなく、演奏していたらなっていた、が正しい。

だから私はいつからかもう変に「創作者」への憧れを抱かなくなった。自分と全く関係のないものに憧れを抱かないのは当然だ。余力のある時にそれの真似事はもちろんできる。それが楽しいのも否定する必要はない。ただそれは趣味だ。余暇活動だ。信念のない遊びだ。というか全ての人間は常に毎日何かを生産して、作りだして生きているのであって、それが周りの人間を少なからず動かしていることは事実である。それが目に見える形で金になってはいないだけで。

就活生の時、調子に乗ってとあるヤングな音楽事務所の採用に応募したことがある。持ち前のこねくりまわした文章を履歴書に書いたら目立ったのか面接をしてもらえることになった。会場に指定された渋谷のビルへ行ってみたら普段からめちゃくちゃ聴いていたあのアーティスト(事務所の代表でもあった)がそこに座っていた。その実は気さくなにーちゃんって感じでいろいろとざっくばらんに話をすることができた。

そして、あ、この世界って自分のコンセプトが強烈に確立されてる奴じゃないとやっていけない(業界に勤めることすら難しい)んだと思い知った。何か突拍子も無い概念が心のうちに強烈にあって、それを三次元的な形に出力する術を貪欲に求めている人間、そういう人がアートの世界でやっているんだと思って、うん、やめとこ、と思った。めんどくさいもの。

音楽に関して、よく「技術があるんだからやればもっといいじゃない」とひとに言われることがある。確かにいろいろやれる経験値は貯まってはきているんだけど、しかし、そういう消極的な姿勢じゃ何も産まない(し自分としても面白くもなんともない)というのがわかってしまってもいる。ある意味初期衝動的な「楽しいー!」を忘れてしまったとも言えるんだけど、むしろそれを忘れられない一部の人間こそが芸術・芸能の世界でやっていける。そういう人間に任せておけばいい。自分は普通の人間でした。

じゃあ自分は何で金を稼いでいけばいいのかというと、これが難しい。自分のできることと興味のあることのベン図のごく狭い重なりに何があるのか。よく言う、自分のできることのたいがいは他の人間もできるが、自分の2つのできることをそのままやれる人間となると少なくなってくる、3つ、4つとなれば…みたいな言説はまさにその通りだと思うし、実際そういう複合的な価値の高め方じゃないと戦いが熾烈すぎるって言うのはあると思うんだよね。プログラミングができる人、なんてありふれすぎているけど、他の能力と合わせた瞬間オンリーワンな魅力になるというような。

じゃあ自分に何ができるのか。自分の特性ってなんだ。人に驚かれる特性って。向上心がないことか。お金がなくても平気なことか。あ、部屋にものがないってのはひとつそうだな。ミニマリスト。しかしそれだけじゃインスタにもnoteにも今時腐るほどいるから、ミニマリストと何かを掛け合わせる。自分の特性……。怠惰、根暗、胃腸が弱い、体重が軽い、奇妙、奇天烈、摩訶不思議、奇想天外四捨五入、出前迅速落書無用……。

結局わからんな。結局、自分の性質といまいち合致していない環境しかない世界で生き続けるしかないと言うのが見事なまでに絶望感を催す。あぁ自分はここにならいられるぞ、という場所を見つけられんもんですかね。

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