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会って話す価値
目的のための効率
これからはオンラインレッスンが増えていくし,現に増えています.オンラインレッスンは"効率的"だと思う.
毎日ひとりでヨガをするのは,かなり骨が折れるというか,日々の継続はひとりでは難しい.オンラインなら移動するためのエネルギーも,準備も必要ないので,継続しやすい.時間は有限だから『目的のための効率』としてはコスパがいいのだが....
仕事と生活
例えば,旅行に行くとして目的地まで
「移動時間がもったいないから,早く着く高速道路を使おう!」何も不思議はない.
しかし!生活まで『目的のための効率』になっていいのだろうか?
仕事に関しては,もちろん目的達成のための効率(生産性)は大事です.じぶんの生活が仕事によって脅かされないためにも,大切な能力だと思う.
しかし,この思考の延長線上には,目的のための人間関係や,目的のために過程や感情など一切考えず,とにかく生産性だけで物事を進めるような思考を生むのではないか?
リアル(実感)
「音(言葉)は空気の振動です」
解剖学者 / 養老孟司
これは二つの意味があると思う.
一つは,言葉を単なる空気の振動(ただの言葉)だと思えば会話で一喜一憂しなくなる.
もう一つは,言葉は振動として身体に伝わる.
つまり,言葉を"ただの言葉"として受け取るのか,それとも,"身体感覚(実感)"として受け取るのか.
『目的のための効率』で様々なことを判断して,非効率な中にある経験や体験(一般道を通ると感じるその土地の風景や空気,移動時間に深まる会話など)を無意味かのように省いたり,ヒトと会って会話すことを"ただの言葉"として捉えて「会いに行くよりオンラインの方が時短で効率的!」として,リアルに同じ空間で言葉を身体的に受け取るということを無視してよいのだろうか?
会いに行く
わたし達が, 仕事で新たな価値を生み出すこと,よい人間関係を育むこと,生活を楽しむことは,言葉ではなくじぶんが身体的に実感していることが最大のポイントだと思う.
わたし達は,論理的に正しいから,それを選んでいるのではないし,じぶんに実感がないものに魅力は感じないはずです.頭で分かってどうのこうの....より,じぶんの身体で実感してほしい.
魅力を感じる先生がいたら会いに行ってほしい!相手を知りたいなら面と向かって話してほしい!目的地に着くまでの時間を楽しんでほしい!
ヒトはいつ死ぬか分からない.
そういった意味でも時間は有限です.
だからこそ....