個人の尊重と分断化
なぜ「愚か者で何も知らない」から
スタートできないのか?
最近は「個人の尊重」が大事にされ過ぎている.確かに自由に生きられることは素晴らしい.決められているかのような錯覚を与える常識は,見ている世界を狭くすると思う.しかし「自分のことは自分で」という社会のスタンスによって,自分を真に認めてくれる人間関係や共同体は希薄になり,じぶんでじぶんを肯定するしかヒトは自尊心を保てなくなっているのではないか?その埋め合わせとして『人間最強!』『日本スゲー!』『皆んな天才!』という,どこか妙な形でじぶんをアゲているように見える.そう考えると「自己肯定感」という言葉が近年流行るのは非常によくわかる!しかし,自己肯定感を上げただけで,この問題は解決するのだろうか?ヒトの問題を解決しても,我々は社会に生きなければならない.このジレンマをどう乗り越えるのか?
最初に戻りますが…まず人間は利己的であるという,人間のマイナス部分に目を向けて,その上で…利己的にならない為の処方箋を模索しなければいけないのではないか?人間関係の希薄さをどうしたら乗り越えられるのか?
人間(人間がすること)は,
パーフェクトではない.
そこから目を逸らしてはいけない.これはヒトが劣等であるということではなく,よりよく生きる為にネガティブを知ることが大事だということです.
「人間は抗い難い利己的な本能を持っている愚者である」から目を逸らさず向き合った上で…どうしたらいいか?の処方箋を探し続ける.
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