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Antahkarana/こころのレベル

「わたし」は「こころ」? 
「心変わり」という言葉があるように、それはコロコロ変化していくもの。変わることはもちろん、変えることもできます。
変わらぬ「こころ」もあるのでしょうか。

さて、「わたし」という概念さえ創り上げてしまう「こころ」を扱うことは実に難しいものです。「こころ」にコントロールされてしまう「わたし」を知り、熟考し、実践を繰り返すことで「こころ」を制御する「わたし」を目指すこと。
これがヨーガのひとつの目的です。

つまり、「こころ」と思っているものや「わたし」と決めてしまっているものを越えて、それらの「マスター」となること。外界に求めるのではなく、内観してわたしを変えていく練習を繰り返します。

こころ、すなわちマインドは、ヨーガにおいてChitta チッタとよばれます。
このChitta チッタを扱うために、マインドには4つのレベルがあるということを知りましょう。

【Antahkarana アンタカラナ/マインドの4段階】
(1) Manas  マナス :快・不快 〜感覚器官により動くこころ

(2) Buddhi  ブッディー :善・悪 〜知識により動くこころ

(3) Ahamkara  アハンカーラ :「わたし」という概念 〜エゴにより動くこころ

(4) Chitta  チッタ :(1)〜(3)全てを支えるマインド 〜記憶

すべてのマインドのレベルを経て「こころ」があります。「こころ」を湖と例えると「チッタ」は水。感覚や知識、そしてエゴにより波立つ水面が落ち着けば「こころ」とは何か、「わたし」とは何かを見つめることができる。

チッタの質はこころの質

だからこそ、動かないようにうごかないように…というよりは、いかに動くかを知り、質を高めて純粋さに気づくことが必要なのかもしれません。

美しいものに触れて動くこころ、変化するこころを知る。鎮める手段を知っているわたしに出会う。

こころの動きを知る機会は日常にたくさん溢れていますが、外の影響ではなくそれらは全て内で起こっているものです。

そのことを教えてくれるひとつの手段として「ヨーガマット」があります。マットの内と外。それだけでも、わたしの思う「こころ」は変化を現します。
まずは、内に持っているものがいかにピュアで美しいものかを知ること。外との調和を目指すなかで乱れてしまうように思うこともあるかもしれません。
そんなときは、こころのレベルの教えを思い出してひと呼吸。
マットの内で見出す「わたし」と、マットの外で見つける「わたし」との差が小さくなることを目指すことから始めてみるのもひとつです。


風により現れる波、雨により生まれる波紋、穏やかな水面。
どれも美しい。その美しさに気づいたら、差し込む光を想像してみます。
まっすぐに差し込む光をいかに受け入れることができるかは水の状態によります。

「こころ」の美しさを丁寧に見つめ、いつかコントロールできますように。
そのとき、変わらぬ「わたし」に出会えるはず。

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Yogi in Chigasaki
Chisato Iwamoto
yogiinc7.wixsite.com/yogi-in-chigasaki

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