ふじ大山道(日光御成街道岩淵宿口大山道)
大山道シリーズ、これまで、
と、来ましたが、今回は、ふじ大山道です。
ふじ大山道は中間部分で2ルートあって、
西武柳沢駅近くの六角地蔵尊から榎ノ木通り、深大寺街道を南下し、押立の渡しで多摩川を渡った後、稲城長沼、百村、坂浜、この先も更に2ルートありますが何れも小野路・図師で府中通り大山道に合流するルート
六角地蔵尊で南下せず田無の府中道で府中に至り府中通り大山道に合流するルート
1の方は、甲州道中から先は既に実走しています。
また、深大寺街道も何度も走ってますね。例えばこちら。
勿論、府中から先は実走してますから、
今回は、ふじ大山道の起点から2のルートの府中までを行きたいと思います。
そもそも起点はどこか、ということなんですが、川越街道の下練馬、中山道の志村という説もありますが、日光御成街道岩淵宿からという記事を発見しましたので、今回はこれを採用しました。
鎌倉街道中道で岩淵宿まで。ここに宝憧院があり、門前に道標があります。
東川口善光寺道日光岩付道、西西国冨士道板橋道、南江戸道と彫られています。
はい、大山道、とは彫られていないものの、ここで既に富士山への道筋が意識されているわけです。富士山に行く途中には大山があります。
起点まで行きましょう。新荒川大橋は嘗ての川口の渡しでした。
ここは広重も描いていて、私も10年以上前に来ています。
このブログにも書きましたが、江戸の人々は、極楽浄土に行く為には、信濃善光寺に一生に一度はお参りしなければならないと信じていましたが、唯一の交通手段が徒歩だったこの頃は簡単ではなく、同じ阿弥陀如来を祀っていた川口善光寺が大人気でした。川口の渡しも、御開帳の日は大変な賑わいだったそうです。
ここから、赤羽八幡神社が乗る台地に稲荷坂で上がり、袋村、小豆沢村と行って中山道の志村へと向かいますが、袋村にある諏訪神社に集められた庚申塔の中に、大山道道標があります。
更に進み小豆沢を過ぎ、志村に入った所にやはり庚申塔道標があります。
ということで、日光御成街道岩淵宿が、ふじ大山道の起点と考えても良さそうであることが、これら3つのふじ大山道道標で分かりました。
現代の中山道を渡り、旧中山道に入りまして2ブロック程の丁字路に大山道道標と庚申塔道標があります。
ということで、"是より" ですから、正にここが中山道からふじ大山道に入る所、ということですね。
先を行きます、ここは既述の通り、奥州へと続く鎌倉街道です。源八幡太郎義家の伝承が残る熊野神社を過ぎ、
高速を潜った先に、庚申塔道標があります。
先を行きましょう、南坂で台地に上がり、二又に子安地蔵を始めとした石塔群があります。二又という如何にもな場所にあるんですが、道標が指し示す行き先を見ると元々ここにあった道標ではないようですね。スルーします。
若木稲荷神社で突き当たり、ジグザグと南下するとここの二又にかみなか庚申塔道標があります。
道標に従って二又を左に行き、東武東上線を渡り、板橋区と練馬区の行政界に、三叉の馬頭観音道標がありますが、こちらも、場所移動ですね。スルーします。
この直ぐ先、川越街道に入り、若干北上した後、下練馬の大山道道標があります。
と、ここも、"従是" ですから川越街道からふじ大山道への入口ということになります。
ここから先暫くは基本的に環八ですが、初っ端外れているのは、田柄川を渡る為でしょう。
環八に復帰する所には、立派な庚申塔道標があります。
環八に乗って平和台駅の手前には、丸久保馬頭観世音道標があります。
ということで、富士、大山は言うに及ばず、新高野は東高野山妙楽院長命寺、新井薬師こと新井山梅照院薬王寺、雑司ヶ谷は鬼子母神堂で、起点の川口善光寺と合わせて、この道は信仰の道といっても良いかもしれません。
と、いうことでやはり、参詣が絶えなかったようですね。
と、いうことでこちらも賑わったようです。
この先、愛染院の辺りで環八から離れますが、その少し先に地蔵尊があり、その脇に道標があります。
はい、この道標も、雑司ヶ谷鬼子母神堂と新井薬師への信仰の道、道標です。ここから南東に行く道が新井薬師と雑司ヶ谷鬼子母神堂に続きます。
この先、少し進むと二又にまたしても延命地蔵道標です。
この直ぐ先、東高野山妙楽院長命寺への入口には、馬頭観音道標があります。
道標に従い、東高野山妙楽院長命寺に寄りましょう。
境内掲示によれば、この寺は紀州の高野山に倣ったもので、東高野、新高野と呼ばれ、御府内八十八ヶ所霊場17番霊場になり、関東における有数の庶民信仰の霊場となったということです。
先を行きましょう、石神井公園を通り越し、榎ノ木通りとの交差点には、六角地蔵尊があります。
ということで、ここが、冒頭の1つ目のルートとの追分ということになります。
この直ぐ先で現代の富士街道は終わり、田無神社、総持寺を通り過ぎ、府中道との出合いに、百箇所供養塔と青面金剛庚申塔があって、百箇所供養塔は道標を兼ねています。
道標に従って府中に向かいます。
小金井公園を突っ切り、玉川上水を関野橋で渡り、地蔵通りを右折しますがここに、地蔵菩薩道標があります。
この後、中山谷通り、薬師通り、質屋坂通り、小金井街道と行って、府中駅に、新宿庚申塔があって、台座正面に此方ふじ大山道とあるようなんですが、分かりませんでした。
程無く、ゴールです。
如何でしたでしょうか。
最初の印象は、とにかく道標が多いということでした。
場所移動の道標も入れていたら、とんでもない数になっていたと思います。
何故こんなにも富士山、大山への道標が多いのか。それは、富士講が盛んだったからじゃあないでしょうか。
富士山に参るのなら、途中の大山にも寄るでしょう。セットで参るのも流行したと言いますし。
また、信仰の道でしたね。日光御成街道岩淵宿からスタートする参詣者は、まず川口の善光寺、次に雑司ヶ谷鬼子母神堂、新井薬師、長命寺とお参りして、府中に至り、大山に向かったのです。大山の後は富士山ですね。