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道興が歩いた道、廻国雑記を辿る〜鞠子川(酒匂川), 剣沢(曽我), やまびこ山(六本松峠), 蓑笠の森(井ノ口)

廻国雑記によれば、道興は、

近江、若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、上野、武蔵一回目、下総、上総、安房、相模、下野、常陸、下総、武蔵二回目相模、伊豆、相模、武蔵三回目、甲斐、上野、下野、陸奥

と、東国を巡礼しました。

武蔵国の二回目と三回目、そして、二回目の武蔵国の後の相模国は、既にexploreしています。

今回は、三回目の武蔵国入りの前の相模国をexploreしたいと思います。

■◇◆□

新松田駅まで輪行です。

駿河国から足柄峠を越えて相模国入りした道興は、古代東海道(矢倉沢往還、あるいは大山道)を吉田島まで来て、酒匂川を渡ります。

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さきのたび渡りける鞠子川をまたとほるとて、俳諧、

まりこ川、またわたる瀬や、かへり足

鞠子川 = 酒匂川は、二回目の武蔵国入りの後の相模国で渡っていますから、"さきのたび渡りける", "またとほる" と、書いたのですね。今回は西から東へですから前回とは逆で、だから、"かえり足" なんでしょう。

酒匂川は度々の反乱で渡し場は何度も変わっているようですが、足柄峠から来たなら、迅速測図と道標によれば、恐らくこの辺りを渡ったと思われます。

想定渡し場、ちょうど小田急の辺り
想定渡し場までの一本道にある道標、"坂本" とあります。矢倉沢往還上の今で言う関本です。

新松田駅まで戻ります。

この後、道興は、古甲州道で、金手、金子、大井と行って曽我丘陵西縁の曽我道へと切り替え、、、

梅香る曽我の里の曽我道
道興も見たであろう、曽我道から足柄平野、箱根の山越しの富士山の眺望
曽我郷六ヶ村総鎮守、1028年、神奈川県神社誌によれば、"式内宗我都比古神社の神官、宗我播磨守保慶、社職を息保頼に譲りて当所に下り、祖先宗我都比古命の御霊を賀て、時の天皇に奏請して武内宿祢命、宗我都比古命を鎮め、宗我都比古神社の神号を請い、長く当地曽我郷の総鎮守産土神として祭祀される。"

、、、本山修験諸法山実相寺大光院を訪れた、と、私は思っています。

本山修験諸法山実相寺大光院

文明十八年1486, 曽我兄弟養父曽我祐信より十一代目の祐高の末子氏重、出家し、先祖の守り本尊不動明王を奉じて中興開山、小田原玉瀧坊配下本山修験となった、と、いうことですが、文明十八年1486は道興が訪れた正にその年です。道興はここに寄り、中興開山を支援したのではないでしょうか。

そしてここを拠点に名所を巡ったものと推測します。

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剣沢といへる所にて、氷を見てよめる、

此のごろは、水さび渡れる、剣沢、氷りしよりぞ、名は光りける

3回目の武蔵国入りは冬ですから、水は少なく、氷っていて、その名の通り、剣のように光っていた、という歌ですね。

剣沢、細い流れです。確かに何度も渡れました。
剣沢上流の弓張の瀧

ここは確かに名所のようで、風土記によれば、北条の時代、若侍がここに集い、藤の花を見て、歌を詠ったと言います。

道興は、この後、曽我の里を後にし、六本松峠を越えます。

相変わらずのこの勾配、勿論押し、でも充分キツイ
曽我太郎祐信宝篋印塔
いつもの相模湾、真鶴半島、足柄平野、富士山撮影スポットですが、富士山は隠れてしまいました。
六本松峠

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やまびこ山にて、

こたへする、人こそなけれ、あし曳の、山びこ山は、嵐ふくなり

風土記によれば、山彦山は六本松峠です。

"山彦山、東に在り。峯通りを字して六本松と呼ぶ。"

また、

"山上に姥石姫石と唱える石あり。この山越しは大山道なり、昔は中村通りと呼べり。これは古き世よりの道にて曽我物語に建久四年五月十郎祐成大磯の虎が曽我よりの帰路を送る。この山上にて別れし事を見えたり。"

姥石、今は忍石と呼ばれています。

とも記載があって、道興は、曽我物語にある名所として意識しながら峠を越えたものと思われます。

この六本松通り大山道は何度か走っていますが、いつもここ(下記写真)で詰まってしまってましたが、またしても詰まりました。もう無理ですねここは。

中井町の通行注意の看板がある通り、ここは、一応、通行出来る道のはずですが、ご覧の通り、藪で通せんぼされてしまっています。
電子国土地図を見るとこの尾根を行けというのですが、そこまでの道がありません。

仕方が無いので一旦下界に降りて、逆側からアプローチしてみます。

明治期の馬頭観音が在りました。
しっかりとしたダブルトラックで大道の証拠、杉並木もありますね。
尾根道に合流しました。
尾根からの眺望、南側、相模湾が見えます。
こちらは北側、大山です。道興も見たはず、この後行きますから。

この後もしっかりとしたダブルトラックが続きますが、ソーラーパネルで寸断されました。

左右の柵の向こうがソーラーパネルです。右奥に見える鉄塔は、7枚前の写真の所です。直前で寸断されたということです。

結局今はもう通しで歩けないのですね。

戻って中村川に下ると、道興は、曽我兄弟縁の五所八幡宮をお参りしたはずです、廻国雑記に記載はありませんが。

五所八幡宮

その後、一本松峠を越えると井ノ口です。

一本松峠
峠の先、当時のままの古道
大山も顔を出す

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蓑笠の森とて、社頭ましましけり。暫く法施侍りて、

天が下、守らむ神の、ちかひとや、ここにきやどる、みのかさの杜

ここには、スサノオノミコト大山天下り伝承があります。

天が下守らむ神、とは、姉天照大御神から天上界を追放されたスサノオノミコトのことですね。道興の時代に既に流布していたかどうかは分かりませんが、スサノオノミコトがここに蓑笠を忘れた伝承は当時既にあったということです。

蓑笠神社

六本松で思わぬ足削られと時間のロスでした。今日は平塚は無理ですね。おとなしく秦野駅から輪行で帰ります。


如何でしたでしょうか。

道興の廻国雑記を辿るという目的から、やや、脱線してしまった感がありました。六本松通り大山道のルート解明です。前々から課題となっていたので、やり切ることにしました。結果は上記の通りです。



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