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道興が歩いた道、廻国雑記を辿る〜鞠子川(酒匂川), 剣沢(曽我), やまびこ山(六本松峠), 蓑笠の森(井ノ口)
廻国雑記によれば、道興は、
近江、若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、上野、武蔵一回目、下総、上総、安房、相模、下野、常陸、下総、武蔵二回目、相模、伊豆、相模、武蔵三回目、甲斐、上野、下野、陸奥
と、東国を巡礼しました。
武蔵国の二回目と三回目、そして、二回目の武蔵国の後の相模国は、既にexploreしています。
今回は、三回目の武蔵国入りの前の相模国をexploreしたいと思います。
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新松田駅まで輪行です。
駿河国から足柄峠を越えて相模国入りした道興は、古代東海道(矢倉沢往還、あるいは大山道)を吉田島まで来て、酒匂川を渡ります。
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さきのたび渡りける鞠子川をまたとほるとて、俳諧、
まりこ川、またわたる瀬や、かへり足
鞠子川 = 酒匂川は、二回目の武蔵国入りの後の相模国で渡っていますから、"さきのたび渡りける", "またとほる" と、書いたのですね。今回は西から東へですから前回とは逆で、だから、"かえり足" なんでしょう。
酒匂川は度々の反乱で渡し場は何度も変わっているようですが、足柄峠から来たなら、迅速測図と道標によれば、恐らくこの辺りを渡ったと思われます。
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新松田駅まで戻ります。
この後、道興は、古甲州道で、金手、金子、大井と行って曽我丘陵西縁の曽我道へと切り替え、、、
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、、、本山修験諸法山実相寺大光院を訪れた、と、私は思っています。
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文明十八年1486, 曽我兄弟養父曽我祐信より十一代目の祐高の末子氏重、出家し、先祖の守り本尊不動明王を奉じて中興開山、小田原玉瀧坊配下本山修験となった、と、いうことですが、文明十八年1486は道興が訪れた正にその年です。道興はここに寄り、中興開山を支援したのではないでしょうか。
そしてここを拠点に名所を巡ったものと推測します。
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剣沢といへる所にて、氷を見てよめる、
此のごろは、水さび渡れる、剣沢、氷りしよりぞ、名は光りける
3回目の武蔵国入りは冬ですから、水は少なく、氷っていて、その名の通り、剣のように光っていた、という歌ですね。
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ここは確かに名所のようで、風土記によれば、北条の時代、若侍がここに集い、藤の花を見て、歌を詠ったと言います。
道興は、この後、曽我の里を後にし、六本松峠を越えます。
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やまびこ山にて、
こたへする、人こそなけれ、あし曳の、山びこ山は、嵐ふくなり
風土記によれば、山彦山は六本松峠です。
"山彦山、東に在り。峯通りを字して六本松と呼ぶ。"
また、
"山上に姥石姫石と唱える石あり。この山越しは大山道なり、昔は中村通りと呼べり。これは古き世よりの道にて曽我物語に建久四年五月十郎祐成大磯の虎が曽我よりの帰路を送る。この山上にて別れし事を見えたり。"
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とも記載があって、道興は、曽我物語にある名所として意識しながら峠を越えたものと思われます。
この六本松通り大山道は何度か走っていますが、いつもここ(下記写真)で詰まってしまってましたが、またしても詰まりました。もう無理ですねここは。
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仕方が無いので一旦下界に降りて、逆側からアプローチしてみます。
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この後もしっかりとしたダブルトラックが続きますが、ソーラーパネルで寸断されました。
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結局今はもう通しで歩けないのですね。
戻って中村川に下ると、道興は、曽我兄弟縁の五所八幡宮をお参りしたはずです、廻国雑記に記載はありませんが。
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その後、一本松峠を越えると井ノ口です。
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蓑笠の森とて、社頭ましましけり。暫く法施侍りて、
天が下、守らむ神の、ちかひとや、ここにきやどる、みのかさの杜
ここには、スサノオノミコト大山天下り伝承があります。
天が下守らむ神、とは、姉天照大御神から天上界を追放されたスサノオノミコトのことですね。道興の時代に既に流布していたかどうかは分かりませんが、スサノオノミコトがここに蓑笠を忘れた伝承は当時既にあったということです。
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六本松で思わぬ足削られと時間のロスでした。今日は平塚は無理ですね。おとなしく秦野駅から輪行で帰ります。
如何でしたでしょうか。
道興の廻国雑記を辿るという目的から、やや、脱線してしまった感がありました。六本松通り大山道のルート解明です。前々から課題となっていたので、やり切ることにしました。結果は上記の通りです。