稲城〜新百合ヶ丘の、足利尊氏も通った?!古道グラベルロード
今回は、タイトルの通り、稲城から新百合ヶ丘にかけての古道グラベルロードをご紹介します。
南山、薄葉谷戸、清水谷戸、稲城市と川崎市の行政界、その他を行きます。
◇◆□■
自転車は好きですが、動向をフォローしているわけではないので知りませんでしたが、数年程前からグラベルロード( = 砂利道等のオフロード)用の自転車が流行っているそうで。
ドロップハンドルに太いタイヤという特徴なんですが、それが今年はフラットバー化するのでは?!とのこと。
元々グラベルロード用自転車は、安定性を増す為にホイールベースが長目など、クロスバイクに近いジオメトリー。
私のクロスバイク、スペシャライズド シラス エリート 2005年モデル(もう15年選手!!!)にも、昨年から、チェーステー内幅ギリギリの35Cを履かせてるから、これ、まんま、グラベルロード用クロスバイク( = グラベルクロスと言うらしい)じゃないですか!!!
と、言うことで、ハンドルを700mmのライザーバーにし、ステムを35mmのショートにして、より、"らしく" して、さぁ、シェイクダウンです。
◇◆□■
二子玉辺りから多摩川グラベルロードに突入し、稲城に向かって遡ります。
稲城大橋を渡り鶴川街道の旧道を右に折れ、神王橋(いつも思いますが何か謂れがありそう)を渡り南山に向かいます。
南山の南東半分はもう見る影も無い程、開発されてしまいましたが、北西半分はありがたいことに、足利尊氏も通ったであろう鎌倉街道を始め、古道グラベルが残っています。
※下記迅速測図で、ほぼ真ん中、南北に走っている片実線片点線の太い道が鎌倉街道七曲ルート、その西にある一本実線や枝分かれしている各種線も鎌倉街道大道ルートやその支線と言われています。残念ながら七曲ルートは開発で消失していますが、大道ルートや支線はかろうじて残っています。
※吉川英治の私本太平記で、北条高時に呼び出された足利尊氏は、足利庄を出発し、鎌倉街道上道を南下、是政の渡しで多摩川を渡り鎌倉に向かいます。是政を渡ったのなら、ここを通るはずです。
今日はここ南山を始め、稲城〜新百合ヶ丘に残る古道グラベルロードを走り倒します!!!
◇◆□■
下写真は、かろうじて残る鎌倉街道大道ルート東です。その東側には開発の波がもう直ぐそこまで迫っでいるのが分かりますね。
下写真は鎌倉街道大道ルート西です。
こちらは妙見尊に向かうシングルトラック
こちらは南山南西をトラバースするダブルトラック
南山を下って、清田谷戸は入れず、その南の薄葉谷戸に入ります。写真のようなダブルトラックのグラベルローが谷戸途中まで続きます。奥まで行けないことはないですが、結構な藪こぎなので今回はパス。
次は清水谷戸です。いやぁ、美しかった!!!
清水谷戸と言えば滝です。
清水谷戸は、谷戸頭まで詰めれば、高勝寺通りの東の尾根古道に接続できます。これがその古道です。
この写真の直ぐ先で高勝寺通りに出まして、暫く舗装路ですが、やがて、三沢川の南の崖地、ここをつづら折れに三沢川まで下っていきます。
ここも迅速測図では一本点線の徒歩道古道です。いやしかし、こんな所まで舗装されてるから驚きですね。逆に言えば、グラベルロード探しは難しいということですね。
三沢川まで下ったら、鶴川街道から学園通りを左折し、迅速測図では一本点線の徒歩道を行きます。
ここは稲城市と川崎市、つまり東京都と神奈川県、嘗ての武蔵国多摩郡と都筑郡の行政界ですから、多摩郡と都筑郡が成立した時に出来た郡境道です。凡そ、1300年前ですね。
もう一枚、暫く舗装路を行きます。これはもう古沢緑地に入ってから。
道はやがて新百合ヶ丘総合病院脇を抜けて津久井道(これも古道)に出て、多摩水道橋を渡り再びの多摩川グラベルロードで終了です。
◇◆□■
如何でしたか?
記事中でも触れましたが、日本は人里離れた山奥でも舗装路となっていますから、グラベルロードを探すのが基本難しいんですが、稲城には残っています。
それと、今回も後半走りましたが、行政界ですね。ここは、ギリギリまでそれぞれの行政が開発してますが、境界線は手付かずのケースが多いように思います。だからグラベルロードが残っている確率が高いですね。
それから行政界に通じますが古道ですね。意外にも、古道は現代の道に引き継がれていますが、一本実線の荷車道や一本点線の徒歩道は、道自体は消えていないものの、舗装路とはなってないケースが少なくないと思います。
皆様のグラベルロード探しのヒントになれば!!!