柳島通り大山道、粕屋通り大山道
大山道シリーズ、これまで、
と、来ました。
大山道はそれはもう色々なルートがあるわけですが、東海道や甲州道中などのメジャーな道から大山に向かう道もその一つです。
柏尾通り大山道、田村通り大山道、六本松通り大山道、保土ヶ谷通り大山道は東海道から大山に向かう大山道で、浅川口大山道は、甲州道中からとなります。
そして今回は、柏尾通り大山道、田村通り大山道、六本松通り大山道、保土ヶ谷通り大山道と同じく、東海道から大山に向かう大山道、柳島通り大山道と糟屋通り大山道をexploreします。
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小田急で伊勢原まで輪行。柏尾通り大山道で江戸方面へ。R271を潜って渋田川が二又に分かれる地点まで。ここは柏尾通り大山道、糟屋通り大山道と中原豊田通り大山道の3つの大山道が出合う所です。
ここを糟屋通り大山道に行きます。曲がり角には道標があります。
この道は良い道ですね。アスファルトは敷かれてますが、幅一間で当時の雰囲気が残ってます。
少し進んで振り返って大山を拝むとこの通り。
小稲葉の集落に入っていきます。その入り口には道標、"○("不" に見える。)○尊" と彫られています。もしかしたら、"不動尊" で、大山道道標かもしれません。
ここ小稲葉には大山灯籠が灯される風習が残っていて、ここも設置場所なんですが、今はシーズンではないようです。先に行きまして八坂神社の裏手には不動明王の道標があります。
大山灯籠設置場所をなぞりますが、やはり、出ていませんでした。小稲葉を後にします。
横内の交差点で田村通り大山道と交差しまして、ここを田村通り大山道へと行き、途中、南下するのが柳島通り大山道ですが、糟屋通り大山道は、ここを尚、南下します。八王子道との追分手前には、馬頭観音道標があります。
ここから平塚八幡宮までは八王子道と重なります。平塚八幡宮に寄っていきましょう。
平塚の駅を越えます。須賀の集落に入って直ぐ、三嶋神社があります。
創建詳らかならず、ですが、風土記によれば、本地仏は弘法の作とされ、須賀は平安時代、"須賀の唐浜" と呼ばれていたとのこと。
唐浜!!!
大磯と同じですね。大磯の照ヶ崎海岸は、昔は、唐ヶ浜(もろこし浜)と呼ばれていました。
渡来人の匂いがします。
三嶋神社を過ぎると長楽寺があります。
弘法大師空海が相模国の中で最初に滞在したとされるここ須賀湊に、僧鎮海が1185年頃に草庵を結び開創したといいます。またしても空海です。
直ぐ先に須賀湊の札の辻跡がありました。今日は大山から逆向きに来ましたが、糟屋通り大山道の起点はここです。
ここが起点ということは、はい、ご察知の通り、房総などから船で大山に向かう、人達が、ここ須賀湊に降り立ち、ここから糟屋通り大山道で大山に向かったのでした。
須賀湊の歴史は古く、先程長楽寺、三嶋神社で登場した弘法大師空海がここ須賀湊から相模国に入ったという伝承や、後北条の時代には海上輸送の根拠地でした。江戸時代には幕府公認の廻船が立ち寄る七浦の内の1つとして、大いに賑わいました。なので、房総や伊豆などから船で須賀湊に降り立ち、大山に向かう人達もいたわけです。
さて、それでは本日2つ目の大山道、柳島通り大山道の起点へとトラスコ湘南大橋で移動します。
トラスコ湘南大橋から鉄砲道に入り、浜見平団地西端が柳島通り大山道です。少し南下すると柳橋跡がありますが、この辺りが柳島湊の中心地だったのではないかと思います。
折角だから海を見ましょう。
ここ柳島も柳島湊があって、廻船業で賑わいました。しかし、迅速測図を見て分かる通り、また、先程の、"南湖三百六十軒" はここですから、須賀程ではないんですが、でもここも、船で大山詣に来る人もいたようです。そういった人達が使った大山道が、柳島通り大山道なんです。
さぁ、柳橋まで戻って、柳島通り大山道の起点とし北上します。
東海道に接続する直前に、古相模川の橋脚があります。頼朝はこの橋供養の帰り道、落馬してそれが原因となって、死に至ったとされています。頼朝の時代の相模川の流路はここだったんですね。今の小出川です。
東海道を一瞬走ったら、今宿の丁字路を北に行くのが柳島通り大山道です。
萩園の集落には三島大神があります。
頼朝が伊豆三島大社を勧請との伝承があります。頼朝と縁がある土地ですね。
先を行って田端の集落に入ると田端宿の交差点で東から来る道は迅速測図に載る古道でここを行くと大山灯籠が、時期になったら設置されます。小稲葉同様、江戸時代から続く風習とのこと。
やがて柳島通り大山道は田村通り大山道に接続し、ここから先は田村通り大山道で大山に向かいます。
上記linkの通り、一度行ってますので、スイスイと進みましょう。
相模川を渡って新幹線を潜ると土道の古道が残っている所があります。
程無く、伊勢原駅です。輪行で帰りました。
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如何でしたでしょうか。
房総や伊豆などから船で大山詣に向かう人達が使った柳島通り大山道と糟屋通り大山道をexploreしました。
大山道は本当に、全ての道は大山に通ず、と言っても良いくらい、色々な所から伸びてるんですが、相模川と酒匂川の間の東海道からも数多くの大山道が生まれています。
今回の2つは最も東のルートでした。今後、徐々に西へ行きたいと思います。